タイトル | 評価 | 一言メモ | |||||||
私説三国志 天の華・地の風 1.2 | うなぎ | 歴史物JUNEの金字塔 | |||||||
私説三国志 天の華・地の風 3〜5 | うなぎ | チョイ悪親父最強伝説 | |||||||
私説三国志 天の華・地の風 6〜9 | うなぎ | 美しくも恐ろしい「物語」の完結 |
JUNE史上に燦然と輝く三国志JUNEの傑作長編。 なんと元の単行本で全九巻、復刊されたバージョンでは全十巻にも及ぶ長編っぷり。 JUNE系の歴史の中で十作選べといわれたら間違いなく入るであろうし、入るべき作品。 ストーリーを簡単に述べるなら、三国志に出てくる天才軍師・諸葛亮孔明が超美形のホモだったら……という孔明の一代記。 ここだけ聞くと「ただのホモパロかよ!」と云いたくもなるだろうが、そこはグッと我慢だ。 この作品が優れている点は、大きく分けると三つある。 まず一つに、エロい。 JUNEなのでエロくないとダメだという需要をがっちりキャッチ。 まあ、これは自分的にはどうでもいいので置いておくとして。 二つ目に、文章が普通に上手い。 JUNE・やおい・BLの抱える最大の難点に、基本的にたいていの人は文章が下手だというのがある。 勘違いしないで欲しいのは「面白い作品」や「萌える作品」はある。ただ「文章が上手い作品」は少ないのだ。 しかしこれは、ジャンルのもつ宿命的なものでもある。 このジャンルは、結局のところ、若者の勘違いだの鬱屈だのパトスだのが原動力になっていて、読者と作者の深い共感こそがもっとも重要な点になっている。 簡単に云えば、読者が中学生レベルなので、作者の感性も中学生レベルなのが望ましいのだ。 ゆえに、上手い老練な作家よりも、下手だが情熱のある若い作家の方が受け入れられやすいのだ。萌えが同じだから。 しかし、どのような道であれ、技術的に熟練するということは精神的に熟練することに通じる。ましてや創作は一応は思索的活動だ。小説が上手くなるということは、精神的に大人になるということと密接な関係がある。 よって、その構造上、小説の上手いやおい・BL作家というのは、あまり存在しない。 栗本薫の稀有なところは小説技術はあれだけ上手かったのに、やっていることは中学生の妄想から一歩も出ていない恥ずかしい内容だったところで、そのちぐはぐな変態さが彼女の最大の魅力であった。よって技術が衰えた今は名実ともにただの中学生の妄想になってしまい、しかも実際はもう歳なので勢いもなくぐたぐだしているだけのつまらない話になってしまったわけだが、閑話休題。 とにかく、JUNEでありながら文章が上手いということは、それだけで稀有なことなのだ。 そして江森備は単純な筆力なら全盛時の栗本薫に比肩、時には凌駕している。 しかし、ここまでなら単に「上手いやおい作品」だ。 この作品を名作たらしめてるのは三点目の特徴。 明確な史観が最後まで完璧に貫かれていること。 この一点に尽きる。 すなわち、彼女の提示する史観によって、三国志のできごとが、すべて綺麗につながってしまうのだ。 では彼女の提示する史観とはなにか? 「歴史上に残る英雄たちはみな欲深い政治家にすぎない」 これだ。 この夢も希望もない真実を、英雄豪傑たちの物語である三国志にあてはめ、それですべてがうまく説明できてしまう、このおそろしさが今作の最大のすごみだ。 この作品の人物はみな、己の欲望やメンツを大事にしている。己のプライドに振り回されて生きている。そして政敵の足をひっぱることにばかり全力を尽くしている。 なにも不思議なことではない。現実の政治の世界がそんなものだってことは、みんな知っている。だがそれを三国志の世界にかくも見事にあてはめるとは。 もう少し詳しくストーリーを説明する(ネタバレする) この話は大きくだいたい四つの部にわけられるだろう。 赤壁編、成都編、南蛮編、五丈原編、といったところだ。 赤壁編(一巻、二巻)は、周瑜と孔明の愛と確執を描いている。 孔明は幼少時、その美貌ゆえに董卓に捕らわれ、陵辱の限りを尽くされていた。 その痴態の描かれた絵を手に入れた周瑜は、かねてより危険な存在であると考えていた孔明を脅迫、犯すことによって肉体的にも精神的にも支配しようとしていたが、やがて孔明を愛しはじめてしまう。孔明もまた周瑜を愛してしまうのだが…… と、書くと、本当にもう一山いくらの頭の悪い作品になるから不思議w だが、ここで特筆すべきは周瑜のキャラクター。 顔がよくて頭も良くて育ちが良くて金と地位があり武に優れ将の才覚があり、でも人間としての器だけはすっげえ小さかった、としか表現のしようがない彼の無様さは、まさに失敗するエリートの典型という感じでたまらない。 己の才覚を誇ってはばからない傲慢さ、そのくせ自分より優れた存在を認めない矮小さ、セックスしただけで相手を手に入れたと思いこむ身勝手さ、一方的に関係を結びながらに相手にも好かれていると信じこむ厚顔さ、愛していると囁き相手にはすべてを捨てることを強要しながら、自分はなにひとつ捨てる気のない都合のよさ。 これらはすべて、世の男性原理の縮図となっており、あまり誇張表現されることもなくさらりと描かれている。なにより怖いのは、作者自身がそういう男が魅力的であるということを百も千も承知で書いているところだ。 というより、どんなにダメな奴だと思っていても、そういう身勝手なエリートにこそ惹かれてしまう作者自身の因果な性質ゆえにこの部は描かれているのではなかろうか。 冷静に読むとここまでダメ人間だとわかるように書かれていきながら、普通に読んでいるぶんには周瑜がけっこう素敵な人に見えてしまうのが面白い。 が、そうした作者自身の葛藤があるからこそ、周瑜は恋人に謀殺されなければならなかった。 しかし、周瑜の一番みじめなところは、孔明の本命が劉備であり、自分は愛人でしかなかったことを最後の最後までまっっったく考えたこともなかったことだろう。 必要なものはほとんどすべて持っておきながら、自惚れゆえに足元をすくわれてあっさりと死ぬ。まったくもってエリートらしい生き様だ。 そもそも三国志における周瑜というキャラクターは、赤壁という大舞台で曹操を負かして孔明に負かされる、まさにそのためだけに存在しているようにしか見えない。 赤壁まで特にたいしたエピソードもないくせに、やたらと仰々しい肩書きと、しかも美形であるという設定までをもってあらわれるし、すべてがプンスカ死するという恥ずかしい死に様のために用意された壮大な仕掛けにしか見えない。 この周瑜のたぐいまれな負け犬属性を掘り下げている作品は、不思議なことにあまりない気がする。 周瑜を謀殺した孔明は荊州に帰るのだが、彼の本命である劉備は単に気まぐれで男も女もたらしこむのが趣味の人間道楽の人で、しかもたらしこんだあとはぜーんぜん見向きもしないという、いわゆる「釣った魚に餌をやらない」タイプの人。 この辺も典型的なよくあるタイプの男を絶妙に描いている。 しかも孔明さんは調教されているので夜な夜な身体がうずいちゃうタイプなんだが、劉備さんは真顔で「ホモはキモいな。でも一緒に寝ようぜ」とか云っちゃうタイプなので、色々と困るのだが、もちろんなにも察してくれない。 孔明は夢の中で周瑜と思い出しエッチしちゃうくらい溜まっているのだが、バカと朴念仁と欲深ばっかりの周囲の人間はなにも察してくれないし、プライドの高い孔明さんはそんな素振りをまわりに察せられるようなドジな真似はしないのであった。 孔明を一方的にライバル視しているスーパーブサイクの龐統は、偶然に赤壁での孔明の謀略を見ていて、ちくちくと嫌味と脅迫を繰り返して孔明に嫌がらせするし、劉備にとりいって孔明を馬鹿にして感じ悪い。のでどさくさにまぎれて殺したりもした。 とにかく周りは若く手美形な孔明に嫉妬して足を引っ張ろうとするばかり。 が、朴念仁だと思っていた関羽が「おれってそういうのわからないタイプだけどさ、なんかお前が大変なのはわかるよ。うちの君主もたいがい困った人だよね、まあ一緒にがんばろうよ」とか云い出したのでちょっとよろめくが、そういう真面目ちゃんはやっぱりタイプじゃなかったのでよろめききらなかったし、そもそも関羽はスーパーノーマルな人だった。 「でもお友達としてはいいかも」とか思っていたら、そんな関羽はゴタゴタがこじれて男らしくあっさり無駄死にました。 この辺、本当にいい人は無駄死にするから困る、というところを見事に描いている。 赤壁での周瑜と孔明の密謀の不審さと、その後の周瑜のあまりにもタイミングのいい死はもとより、孔明が洛陽で育ったことや龐統の死、関羽の死など、史上に残る蜀漢の出来事を、すべて孔明の裏事情とうまく絡めている。 スーパー周瑜さまタイムについて語っていたら長くなってしまったので、三巻以降の続きはまた今度。いつになるか知りませんが。 (09/3/1)
そういうわけで三、四巻。成都編 成都編と勝手に銘打ったが、要するに入蜀した後のゴタゴタから劉備の死あたりまで。 実際の三国志でも、孔明の活躍ポイントはだいたい ・新野脱出 ・赤壁 ・入蜀 ・南蛮征伐 ・五丈原 の五つに分かれるわけで、この物語ははじめここまで長く出来ることを想定していなかったため、クライマックスである赤壁からはじまり、だいたい時系列順に語られている。 なので、なんで劉備なんかに仕えるようになったのか、劉備というのはどういう人物なのかを語るエピソードである三顧の礼〜新野脱出がないため、原作を知らないといささかわかりづらい面がある。 ちなみに劉備に仕えた直後の様子は、この作品以前の習作『桃始笑』で見ることが出来る。新版にはこれも収録されているのかな? ない場合は『中島梓の小説道場』で読むことが出来る。 ちなみにこの短編はつまらない。 彼女の中ではこの時点で明確に孔明像ができあがっていたのかもしれないが、ビックリするぐらい説明できてないし、三国志を知らないとどういう状況下での話なのかこれっぽっちもわからないという、素人が歴史ネタでよくやる失敗をしている。 元の歴史を知っていた方がより楽しめるのと、知らないと意味がわからないのは天と地ほどもちがうのは当たり前の話で、この短編は後者だったわけだ。 話としても特にオチもなく、劉備という人間の魅力がまるでないために意味のわからない話になっている。 が、ここで語られる「昔さんざん犯られたから、男と寝るのは怖いし、ムラムラしちゃうよ」という「おまえ、やりたいのかやりたくないのか、どっちやねんな」的な孔明の態度は、物語の最後まで貫かれている重要なポイントとも云える。 さらに云えば、この「セックス怖いけど大好きだけどやられたら愛しちゃうし憎んじゃう」という、女性的な業を煮詰めたような滅茶苦茶な基本設定は、実に江森作品の核であることが、のちの『王の眼』と合わせて判明するわけで、なるほど、処女作には作家の全てがつまっているというのも満更うそではないようだ。 ま、そういう話は置いといて。 えーと、読み直してないので話の順番が正しいのかどうかわからないんですが。 3、4巻は戦ではなく、成都で丞相として政治をする孔明がメイン。 劉備軍は蜀をのっとる形で入ってきたため、ただでさえ旧来蜀軍と劉備古参の間に軋轢があり、さらにその劉備古参の中でも孔明は比較的新しい人材な上に、歳も若く、なのに権限は劉備に次ぐほどのものになっている。 そんでもってこの作品では孔明は美形なうえ、なんかしらんが全然老いないので、とにかく目立つし、そのせいで国中に政敵がいて大変。 なので片っ端から政敵をつぶして回っている孔明なのですが、ちょっと疲れちゃったーん。劉備はもう孔明に飽きて放置プレイだし、云うこときかねえし……という、昼下がりのマダムのようなアンニュイな状態の孔明さん。 刺激が欲しいわ〜、とか思っていたら、来ました、刺激。 それが物語の最後までつきあうことによる相方、魏延さんです。 魏延は荊州平定のさい、君主を裏切って劉備に投降してきた人で、基本的にたいがいの三国志ものでたいがいな扱いを受けている。仮面でカタコトだったり、ハゲでサマーソルトキックだったり、要するに基本バカでブサイクで濃い。 そんな魏延がどうやって物語に、というか孔明に絡んでくるのかというと、まずは脅迫者としてだ。 なんか細かいことは忘れたが、孔明が欲求不満を子供にぶつけていたら、その子供がとっくに魏延のお手つきでばれちゃったんてだっけな? とにかくこいつをばらされたくなければ黙って股ひらいて、今後もおれに従うんだな、という感じで脅してくる。 悔しい……こんな奴なんかに……でも感じちゃう……! と久しぶりの孔明極ハードでヘヴン状態になってしまった丞相は、仕方なくという態で魏延のいうことに従いながら、裏で「殺してやるぅぅぅ」と画策するのでした。 一見すると「また脅迫されて孔明さんカワイソス」な状態なのだが、話が進むにつれてそうでもないことがどんどんと明らかになってくる。 なぜなら今作の魏延さん、完璧超人である。 まず顔がいい。ワイルドな魅力。 性格が悪い。チョイ悪親父爆発。 頭がいい。裏で手を回してしっかりとサポート。 肉体美。マッチョ。 セックスがうまい。精力絶倫。 誠実。じつはけなげで純情。 およそ欠点というものがないまさに完璧超人。それが今作の魏延なのだ。 完全に妄想の産物である。 はじめ、魏延は野心として孔明に近づいてきている。蜀を実質的に動かしている孔明を裏で操ろうとしていたわけだ。 実際、この目論見はほぼ成功しているのだが、わりと仕事人間だった魏延さんはそれで権力に溺れるということもなく、せっせと孔明とのおセックスと仕事にばかり励むばかりだった。 で、そんな魏延さんに脅迫されてエッチしているうちに肌も頭もツヤツヤしてきて「つうかうちの国、トップがバカだからどうにもならないんじゃね?」という結論を出すにいたり、ついには劉備を毒殺するのであった。 新しい男が出来ると昔の男が邪魔になる。 じつに真理である。 劉備の死体を見つめながら「なぜこんなくだらぬものを」と独白する孔明の姿は、私説三国志としての醍醐味だ。 が、惜しむらくは、劉備のダメな人たらしっぷりを描写しきれりていなかったこと。 三顧の礼での厚遇から、孔明に飽きて放置するまでのくだりをもっと丁寧に描写していれば、ここはもっと数倍もよくなった場面だろう。 まあ、ある程度はちゃんと描写されてはいるんだけどね。劉備という人間ははじめて会う人間にはいい所ばっかり見て「この人すごい! 仲良くなりたい!」と思うが、つきあいが長くなってわるいところが見えてくると急速に萎えるタイプなのよね、つまり。 孔明は付き合いが長くなると、自分の云うこと聞かないし、バカには冷たいし、政敵ガンガン潰すし、静かなくせにじつはヒステリックだし、ちょっと怖いよ! ということで放置プレイに走った、と。 わかるっちゃわかるんだけど、作品中での重要度ではトップクラスのわりに、描写がほかと比べるとホント薄いよなー、と。 投稿作からはじまったがゆえの欠点とも云えるが、この辺は本作随一のガッカリポイントでもある。 そんな感じで国内の邪魔な政敵をあらかた片付けて、無能というよりは足を引っ張っていた君主までも首をすげかえた孔明さんは、今度は意気揚揚と南蛮征伐に出かけるのでした。 それが五巻の南蛮編。 この巻のくだりは、わりと印象が薄い。 案外まじめに南蛮征伐しているので、そんなに特筆すべきこともない。 邪魔者がいなくなったので孔明と魏延が生き生きとセックスに励んで楽しそうな姿ばかりしか思い出せない。 ういういとして南蛮軍をあの手この手でぶち殺しながら「でも実はそんなに戦とか好きじゃないの」という感じでふるふるする孔明さんにさりげなく優しくする魏延の姿には、気持ち悪さすら漂いはじめている。 なので今巻はハネムーン編と呼ぶのが良いそうだ(ファンの人が云ってた) 本作数少ないのオリジナルキャラで、孔明配下の女細作のフェイメイ(漢字出ねえ)というのがいて、この人はなんか知らんが孔明が好きで、孔明のせいで拷問されたり不具にされたりさんざんなんですが、肉体関係をもっていたりもします。 女ともちゃんとやっているという孔明さんのリアリティのなさがものすごい。 作者もそれをわかっているのか、その辺については大胆なほどに描写を省略して、肉体関係があるという結果だけを書いている。 で、なんか細かいことは忘れたがいつの間にか出奔して行方不明になっていたフェイメイさんが再登場。なんだっけ、孔明の子供産んでるんだっけ? 完璧に忘れたけど、それで孔明さんはどさくさにまぎれてフェイメイを達磨にしたりして全部なかったことにしたような。 そういう孔明さんの酷薄さというか破滅主義的な怖さを出すためだけに最後まで使われたキャラでしたね、フェイメイは。 つうかこの巻自体が孔明の浮かれっぷりとひどさの落差を楽しむだけの話でしたね。 実際、ちょっとここでいろいろテンション下がったなー。 なにせここでぷっつりと刊行が途切れた。五年? 六年? こういう作品の常として、やはりこの作品は完結せずに終わるのだなー、と完璧に思い込んで放置していた。この五巻で読むのをやめたっきりの読者も多いと思うし、またここで読むのをやめてもそんなに後を引かないのも事実だ。 思春期に読むようなものとして、五年のブランクはあまりにもきつい。 が、ちょっと待って欲しい。 この作品は最終章たる6〜9巻をもって、完璧に、完全なまでに見事に完結している。 なにも江森備は作品に飽きて放置していたわけではなく、最終章を一気に読ませるために五年かけてすべて書き上げて、連続刊行したかっただけなのだ。 かえすがえすも惜しい。 この決断は作家としてはすばらしいものであったが、商売としてはあまりにももったいないことだ。 ここで半年に一度、せめて年に一度の刊行にして読者をやきもきさせていれば、最後まで読んだ読者がもっと増えていたのではなかろうか? なので、まず云いたいのは、この辺りまでで読むのをやめてしまっている人は、黙って最後まで読め、と。話はそれからだ、と。それを云いたい。 つうわけでみんなが読み終わったころに続く。 (09/3/6)
と、いうわけで自分でもすっかり忘れていたが、天の華・地の風、最終話の感想。 前回の感想で「記憶がいい加減すぎ」というツッコミをもらったので、あらすじを調べなおしてみた。同人誌で。そしたら本当にいい加減すぎて、自分の記憶力にビックリしたね。 まあ、それはいいとして。 南蛮征伐の後から、五丈原における孔明の破滅を描くのがこの最終章。 このくだりは、一言でいえば孔明が魔から人へと戻る章だ。 そして人へと戻ったがゆえにこそ、孔明は破滅することになる。 正直な話をいえば、この最終章は無駄に長い。 四冊あるが、二冊が妥当な長さだろう。 というか、孔明のギシアンページが多すぎるし、史実の説明が無駄に丁寧で鬱陶しい面も強い。 が、それを耐える価値は確実にある。 まず面白いのが、六巻以降、孔明はほとんど知謀を見せることはない。 後継者である姜維を見出し育て、恋人である魏延とは心を通じ合わせ、長い年月をかけてゆるやかに安寧を得ていく。そうすることと並行して、孔明の鬼謀はなりをひそめていく。 彼の才は愛憎の果てにのみ発現する能力であり、彼の知謀は彼の苦しみ、あがきの副産物でしかないのだ。この段にいたって、読者はようやくそのことに気づいていく。 すごいと思ったのは、この辺りに出てくる徐庶の台詞。 というか徐庶のあつかい自体がけっこうすごいんだが、この作品は。 三国志演義では劉備の最初の軍師であり、母を人質にとられて曹操のもとに下った孝の人として有名だが、本作ではもちろんまるでちがう。 孔明より魏での諜報活動を任じられたスパイにして、同時に孔明の命を狙う異民族の暗殺集団「赤眉」のリーダー、それが今作での徐庶だ。 冷静に考えれば、たしかに徐庶の去就というのは胡散くさいことこのうえないのだが、それを二重スパイにまで仕立て上げるってのが、なんというかよくやるわー。 で、その徐庶が、曹丕だか司馬懿だかに孔明の才をたずねられてこう答える。 「己の地位を守ることだけに必死な凡人の俗物だが、数年に一度神がかる」(意訳) これは嫉妬やらの複雑な感情が入りまじった末での言葉であろうが、しかしここで読者はハタと気づくわけだ。 たしかに。たしかに数年に一度神がかるだけで、普段はくだらない政敵つぶしやってるだけの俗物で凡人だ、と。 元からある孔明のイメージと文章の流麗さ・展開の巧みさで、神に選ばれた天才そのものにしか見えなかった孔明が、この一文によって作者自らの手で俗物だと暴かれる。 (ところでいま気づいたが、これ云ったの徐庶じゃなかったかもw まあいいや) いままで数年かけて築き上げてきた孔明のイメージを自ら崩すその所業には恐れ入る。 このように、孔明の虚飾に、多くの人間が気づいていくのが最終章だ。 そして孔明もまた、己の矮小さを受け入れていき、その果てに破滅がある。 愛するがゆえに奪われたいと願い、しかし奪われれば殺さずにいられないという孔明の屈折した性の最大の理解者にして被害者は、もちろん魏延だ。 脅迫という形で孔明を繋ぎとめ、愛ではなく利害の一致による関係であることを建前としていた魏延だが、実際はそういう「仕方ない」という態をとらせないと、短絡的に殺すか殺されるかという話になってしまう孔明の歪みきった性格にあわせていただけで、実体は単なるいい旦那さまだった。 そんな魏延が面白おかしいのが歳とって勃たなくなってしまうこと。 普通は「歳だし疲れてるんだからしょうがない」で済むのだが、孔明とは肉体目当てで付き合っていることになっているため、勃たないのに執着してたらおかしな話に。 かといって「好きだから」とぶっちゃけたら孔明は殺すの殺さないの云いだすし……で、困った魏延はこっそりと自分のナニとまったく同じ大きさの道具を特注で用意して、それでやってるふりをするという。 そして速攻でばれるという。 ばれたらばれたで部下と3Pしてごまかしたり自分は参加してるふりだけになったり。 アホかこいつは。 そんな魏延さんの疲れに気づいた孔明は、無理矢理やられているという態を捨てて、自分からしゃぶってあげるのでした。で、そんな孔明さんに激萌えした魏延は一瞬でEDが治って、二人はいままで以上に激しく夜の仕事に精を出すのでした。 そんないっちゃらいっちゃらしたシーンがとても多いです、この最終章。 ラブラブいちゃいちゃが好きな人にはたまりませんね。 読んでて頭がフットーしそうになるので、おれは適度に読み飛ばしたんですけどね! つうか、6〜9巻の間のほとんど、孔明さんはエッチしかしてないです。 で、孔明の周りの人間を描くことによって、孔明のそれまでの人生を総括しつつ、いろいろな葛藤から解放されて人がましくなった孔明さんの破滅を描いていくわけです。 その中でやたらとページ数を取っているのが、最大の宿敵たる司馬仲達が孔明の調査をするくだり。 董卓の慰み者であった時代から探り、孔明の半生を知っていく仲達は、次第に孔明に同情的になっていく。 というのも、仲達の息子もまたホモで、仲達は「おれが父としてもっと周囲の人間に気をつけていればこいつはホモにならなかったし、うちの家も安泰だったのに……」という忸怩たる思いを抱えていたのでした。 息子がホモで悩む独立を考えている中年、という、そんなものを丁寧に描写してどうしたいんだってくらい、この辺の司馬懿の描写は丁寧だ。 そして最終的に、蜀の内部で孤立するはめになる孔明に救いの手を伸ばすのは皮肉にもこの司馬懿だけなのだ。 三国志でも屈指の「いいとこだけ持っていくいけすかない野郎」司馬懿を「苦労人のいい人」にするあたり、本当に江森はひねくれている。 ひねくれているといえば姜維の扱いもだ。 孔明に見出され、その後継ぎとして育てられるのは従来の三国志通りだが、その実、暗殺集団「赤眉」の刺客であり、孔明の監視者であるというのが姜維の設定だ。しかし任務とはべつに姜維は孔明に惹かれており、ついでに孔明の私生児にも惚れていて、孔明殺すほどでもないんじゃないかなあ、という気持ちになっていた。 が、結局最後の引き金をひくことになったのはこの姜維。 ではなぜそんな風に吹っ切れたのかというと…… 孔明と魏延のエッチを見て「孔明がおれかわいがってるのってそういうこと!? こ、このままじゃおれも掘られる!」とパニクって思わずやっちゃったのであった。 この「ホモにだって好みはあるだろ」とか「そもそも孔明は受けだから掘らないだろ」とか、いろいろツッコミたくなる姜維のアホっぷりは、しかし現実世界で知り合いがホモだと知ると途端に貞操の危機を感じるノンケのようで、ありがちだ。 なのでこの暴走も「アホか」と思いつつ「男ってこうだよね」という気持ちにさせてくれる。 特に姜維は周瑜に顔が似ているという設定のため「あのプライド過剰なアホと同じ顔してるなら、そういう暴走もするか」と納得してしまうのであった。 こうして家庭が安定すると同時にただの人に成り下がった孔明は、内部の政敵に追いつめられ、五丈原において、だれがどう見ても毒入りとしか思えない杯をすすめられるはめに。 江森備のすごいところは、この段にいたってなお、孔明の心理を描写しようとはせず、かれがなにを考えているのかわからぬままに、あっという間もなく毒を飲み干させているところだ。 全九巻にもわたり、十年近くの歳月をかけて紡いできた主人公の最後の気持ちを、敢えてまったく語らない。 この断固たる意思こそが、江森備の物語作家としての最大の力だろう。 普通なら、どうしたってお涙頂戴の独白を入れたくなる。 台詞でなくとも孔明の心理を思わせる描写をいくつも入れたくなる。 しかし江森はあくまでもさりげなく、あくまでも一思いに孔明に毒を飲ませた。 権勢欲の魔であったかつての彼ならば、まず飲むことのなかったであろう毒を、無言で受け入れる。それだけで十分であると彼女は考えたのだろう。 そう、この長い物語につきあってくれた読者を信じるならば、それだけでいいのだ。それで正しいのだ。それだけでわかってくれるのだ。 かつて今作の第1話が中島梓の小説道場に投稿された際、道場主は孔明に逃げられた周瑜のわずか一行の描写を「万言に勝る」と激賞した。 はじめに認められた彼女の特性は、物語の最後でより強力になり生かされた。 不粋に語られないからこそ、孔明は最後まで孔明のままであった。 毒により知能を廃人となった孔明を連れて魏延は逃げる。 初対面で「こいつ裏切るからね。絶対に裏切るよ」と孔明に云われまくりながら、孔明が死んだらほんとに裏切ったという上島竜平のような生き様でのみ知られていた魏延を、孔明の相手としてクローズアップしたのは、この「孔明の死体をもって逃げる」という史実によってだろう。 あまりにも見事に史実と空想はつながり、この私説三国志は鮮やかに幕を閉じる。 だれも救うことなく、だれも報われることなく、ただ歴史を語り終え、物語は終わる。 そこにあるのは喜劇ではない。だが悲劇でもない。無常感ですらない。 すべてを内包した「物語」という化け物だ。 かくあるものがかくあるようにしてかくあるべき場所におさまる。 それこそが、物語であるのだ。 すべてか終わったとき、読者の脳裏には輝く黄金の翼のきらめきだけが残される。 それで、いいのだ。それだけで、いいのだ。 三国志に入門したいなら、まず横山光輝の三国志を読むといい。読みやすいしわかりやすい。 もっと知りたいなら、次は吉川英治の三国志で基本を抑えるべきだ。 そしたら次はもう江森三国志を読め。 男くさい浪漫の世界はいらん。江森三国志によって、三国志という物語の見方を変換させるべきなのだ。 断言する。 面白い三国志、珍妙な三国志作品はたくさんあるだろう。 だが今作品ほど、奇想と史観を両立させた三国志は、他にない。 JUNE作品としても三国志作品としても、間違いなく金字塔である。 えっと、ちなみにここまで褒めといてなんですが。 個人的にはもうちょっと雑で勢いのあるお涙ちょうだいな書き方した作品の方が、好きではあるんだよねw だからうな印がついていないという。 あとまあ、孔明さんの性格っていうのは結局「女の業」としか云いようのないもので、やっぱり男としてはその辺がいまいち理解は出来ても共感できねーなー、というのが率直な気持ちだった。 いやまあ、好みの問題ですよね、結局は。 (09/3/18) |