タイトル | 評価 | 一言メモ |
ぼっけぇ、きょうてぇ | うなぎ | 怖すぎる正統派怪談。 |
邪悪な花鳥風月 | うな∈(゚◎゚)∋ | 投げやりなタイトルに反して丁寧な連作ホラー |
黒焦げ美人 | うなぎ | 読んでいると肩が重くなる秀作 |
楽園 ―ラック・ヴィエン― | うな | ベトナムとSEXと私 |
夜啼きの森 | うなぎ | 津山三十人殺しをモチーフとした作品群の中でもピカ一 |
痴情小説 | うな | 痴情の小説だった |
悦びの流刑地 | うなぎ | よろるけ |
偽偽満州 | うな | いつも通り過ぎて飽きてきた |
嫌な女を語る素敵な言葉 | うな | 想定どおり過ぎる出来栄え |
薄暗い花園 | うな | いつもの志麻子すぎる |
歌舞伎町怪談 | うな | エッセイ。志麻子は不幸な女よのう |
ホラー短編集。 ★『ぼっけぇ、きょうてぇ』 ★『密告函』 ★『あまぞわい』 ★『依って件の如し』 以上四編を収録 こ、こえぇぇ〜〜! ちょっ、これマジ怖いんですけど。 久しぶりだよ、ここまでストロングスタイルなホラーで、しかも怖いものなんて。 もうね、文章自体が怖い。呪われている。なんか人の暗い情念とか妄執とか怨念とか、そういったものが文章そのものにこめられている。言葉の中に悪霊が住んでる。やばい。 四編すべて面白いんだが、やはり白眉は表題作『ぼっけぇ、きょうてぇ』 ある遊女の一人語りという形式をとる今作は、全編岡山弁で語られているのだが、まずこれが怖い。方言独特の怖さを明確に意識して、フルに活用している。 また、展開がうまい。非常にうまい。 人と話していると「うわ、聞くんじゃなかった」と思うことってあるだろうが、今作は全編それ。先に進めば進むほど嫌な真実が次々と明らかになって、本当にもう「聞くんじゃなかった……」と陰鬱な気持ちになる。 要するに、これは怪談なんだよな。 このスタイルはまごうことなき怪談。 ホラーブームの果てに怪談の天才というべき人物があらわれるとは、いやはやなんとも…… 岩井志麻子といえば西原理恵子の漫画のせいで「男一気食い」とかそういうイメージしかなかったが、いや、ほんとに一気食いしてそうでこわい。いろんな意味で。 いやあ、ここまで正統派のやり方で怖がらせることって、できるもんなんだなあ。 (07/6/23)
ホラー。連作短編集。 ★『虚空の鳥』 」 ★『散らない花』 ★『いずれ檸檬は月になり』 ★『黒い風の虎落笛(もがりぶえ)』 収録。 すべての作品は同一の安アパートを舞台にされており、金持ちの若手女流作家がそのアパートを観察してそれぞれの物語を作っているという構成。作品ごとの間に女流作家のモノローグが挿入されている。 傑作だな。 いずれの作品も妄執と愛欲に彩られ、それぞれの主人公の加速していく狂気に否応もなく飲み込まれていく。 得手であった岡山弁による語りを捨て、ベーシックな文体で語ることによって、その狂気が普遍的な女性の悲しみと怖さとなり、読み手の心を侵食するような作品となっている。 作中作という体裁をとりながら、その作者の正気を疑わせる構成と手法は物語自体に揺らぎと歪みを与え、一時たりとも読者に安心をさせず、上質のミステリーのようにそれぞれの話にはオチがつけられながら、しかしどこか不確かな部分を残して後味の悪さを残す。 泣きたいのになにに泣けばいいのかわからない、そんな寄る辺ない恐怖が、読後感として残る。 この作品群の中での白眉は『いずれ檸檬は月になり』かな。 現実とも幻想ともつかぬ世界で不穏なガジェットをもりこんで語られるこの作品は、ただのホラーではなく黒い童話、ダークファンタジーとして一線級の作品といえるだろう。 一つ一つの作品に手抜かりがなく、新境地を開こうという作者の気概が感じられる、まさに新時代のホラーの旗手たるにふさわしい作品だ。なにより女流ならではの恐怖であるのが良い。 人間こそが一番怖い。女は怖い。 などと簡単に言うが、この人ほどそれを物語の形で示せる人は、そうはいまい。 現代的であり、かつ四谷怪談のごとき古典ホラーのたたずまいをもあわせ持つ。 敢えて難をつけるなら、タイトル。 それぞれのタイトルはうまいのに「邪悪な花鳥風月」というタイトルはいただけない。 特に「邪悪」という単語を安易に使ってしまうのはどうか。 作者じゃなくて編集主導のタイトルっぽい気もするけどね。 (07/7/8)
なんか大正浪漫な感じ。 大正元年。 妾をして家族を養いながら、男遊びをつづける美しい姉。 晴子はそんな姉を慕いながら、彼女のもとに通いつづける朴訥な大橋を慕い、同様に彼女の下に通う美貌の中学教師の藤原を嫌っていた。 そしてある日、姉は殺され家は焼かれ、彼女は「黒焦げ美人」という名で新聞を賑わすことになった。犯人と目されているのは大橋だという。 果たして、姉はなぜ、だれに殺されたのだろうか…… 岡山で実際に起きた事件を元にした作品。 うまい。 文章が実に大正浪漫だし、助詞を多用した一文の長さは美しくまた不穏である。 輝ける時代である明治と、不幸を匂わせる黄昏の大正という対比もきいているし、岡山弁をあまり前面におしださず、さりげなく使っているのがいいスパイスとなっている。自分の武器を抑えて使うということが、どれだけ難しいものか。 そもそもタイトルが良いではないか。 黒焦げ美人。 凄惨で滑稽で古めかしく恥ずかしく、人目をひきつける。 乱歩や正史の名作たちと比肩しうるタイトルだ。 ホラーとして見るなら怖さは足りず、ミステリーとしてみるならオチは弱く、ノンフィションとしてみるには脚色が過ぎ、あまりにも趣味的に過ぎる耽美作品であるとは思うのだが、そこが良い。 この作品はストーリーを楽しむのではなく、雰囲気と個々のシチュエーションを楽しむのだ。 黒焦げとなった姉。焼け残った耳。耳だけが聴いていたヴァイオリンの音色。かつて男前だった父の、怒ったときのみに現れる往年の面影。自分を偽る朴訥な男。臭気の漂う納戸。醜い記者の妄執。美しき明治と共に逝った人々。続く不幸な時代への予感。 さまざまな業が、静かな筆致で狂気と共に描かれている。 特に酷薄な美形である藤原の描写は良い。 「退屈なのは、好きですから」 この一言だけで、こいつが悪い奴だということがわかる。 悪い奴ですよー、こいつは。ほんとにもう。 ※書き忘れてたので追記 解説の辛酸なめ子はひどい感じだった。 作品の魅力をかけらほどしか理解できておらず、黒焦げ美人という言葉の表面のみに触れただけで、内容にはほとんど触れていなかった。 のみならず、岩井志麻子がテレビなどで見せているサービスとも自虐ともとれるエピソードを、空気も読まずにそのまま書き、「岩井先生はすごい」と作品とほとんど関係ないすり寄せを見せる姿は媚びにしか見えず、うすっぺらな自意識が垣間見えるだけだった。 辛酸なめ子なんて名前を付けてる時点で「お前が味わったものごときを辛酸と呼ぶんじゃねーよ」まったく知りもしないのに云いたくなるのに、この解説はない。解説になってない。 (07/7/22)
エロホラー。 元三流女性タレントの主人公は、元ファンの中年に囲まれて怠惰な日々を送っていた。 そんなある日、唐突に、意味も無くベトナムに行きたくなり旅立つ。 そして現地のホテルで出会った名も知らぬ青年を部屋に引き入れ、愛欲にまみれた日々を過ごすのだが…… 西原理恵子が岩井志麻子に「お前のエロ小説、怖くて抜けねーんだよ!」と云ってたがこの作品のとだろうかw 確かにエロばっかりの作品なのだが、怖さの方が先にたつ。こりゃ抜けない。 基本的には肉体が主となる関係のエロさというかえぐさというか、そういうのを日本的なじっとりとした情緒を絡ませつつ、東南アジアのカラッとした貧しさが、なるほど、天国とも地獄ともつかない不気味で蠱惑的な情景を生み出している。 やはり根本的に文章がうまいのがよいのだろうな。 中篇なので、適度なページ数にまとまっているし、ところどころに目をみはるような小エピソードや文章も光る。特に何度も繰り返し語られる、果実の中で一生をさかって過ごす蜂の話は、非現実であり、恐ろしくも美しい。 構成も、さりげなく上手いし、なかなかの作品だった。 敢えて云うなら他の作品の同工異曲かな、と。 しかし、西原先生のマンガを読むと「男一気食い」とか「東南アジア男食いの旅」とか、かなり飛ばしていらっしゃる岩井先生だが、これはやっぱアレなんだろうな。自分の経験を作品として美しかったり禍禍しかったり、とにかく綺麗にまとめてしまっていることへの照れというか罪悪感というか、そういったものがあって、バランスをとるために他のメディアでは露悪的に生々しく俗っぽく語ってるんですかね。 作品と本人の談を足して割ったぐらいの感じが、岩井先生の実像かしらん?まあ、そうだとしても相当なもんだけど。 (08/1/6)
長編ホラー。 岡山北の山中、近親婚を重ねた血の濃いわずか三十数名の暮らす村。 夜這いの風習が残り、血と憎愛が日に日に濃くなっていくこの村で、昭和のはじめに惨劇は起きた…… 『八つ墓村』の元ネタとしても知られる実在した事件「津山三十人殺し」をモチーフに、呪われた村の情景を描いた作品。 いやあ、これは厳しいな。 性的に乱れすぎた閉ざされた世界。代わり映えのしない日常と、その中で長い年月をかけて腐っていく人々。その世界に唐突に、しかし必然として訪れた滅び。 あいかわらず岩井志麻子のホラーは、怖いというよりおぞましい。呪いを感じる。 「津山三十人殺し」は、一人の鬱屈した青年により村人のほぼすべてが惨殺された事件なわけで、ややもするとその青年の異常性をクローズアップしたくなるところだが、岩井志麻子はちがう。 その村の、閉ざされた世界の人々の生活を、人生を描くことにより、この村が滅びの宿命を内包しており、青年の凶行は必然であったことを読者に納得させている。 この物語は、凶行を犯す青年・辰男を中心に、しかし辰男自身に語らせることはなく、周囲の人間に村の状況を語らている。辰男はその村の一部分でしかない。 だからこそ、辰男という滅びの鬼が、どのような必然により生まれたのかがわかる。村が鬼を必要としていたのかがわかる。 そのすべての象徴として、村の真ん中に存在する「お森様」 やはりこれが「津山三十人殺し」をモチーフとしたほかの作品と一線を画させている。具体的に森がなにかをしたわけでもない。森で何かがあったわけでもない。しかしすべては森がさせた、そう思わせる力量がお見事。 読み終わったあと、同様に「津山〜」をモチーフにした山岸涼子の『負の暗示』を再読してみたが、やはり衰退期の山岸涼子、改めてつきあわせてみると、書いてある事実関係はほぼ同じなのに、閉ざされた村のぐっちゃんぐっちゃん具合が全然伝わってこず、一人の青年が鬱屈して逆切れしたよ、程度にしか感じられない。 やっぱり山岸先生にかけるのは女の情念、個人の情念が限界なんだなあ、と感じた。それでいてドキュメンタリィタッチの書き方をしているのがまったくあっていなかったり。はあ。返す返すも山岸先生は残念なことをした。 でもさあ、細かい経緯は知らないけど、少女小説家であった岩井先生は、離婚間際で『ぼっけぇ、きょうてえ』をものしたわけでしょ? やっぱりこう、なにか己の中の女との戦いってのは、越えなくちゃいけないんだろうなあ。 ま、ともあれ、殺人鬼を生み出した閉鎖社会の描写はピカイチの本作であった。 こんな村さっさと滅べばいいんだ、つうかどう考えても滅ぶ、って読みながら思っちゃうもんなあ。 (08/1/20)
短編集。 痴情の小説だった。 『翠の月』 『灰の砂』 『朱の国』 『青の火』 『白の影』 『黒の闇』 『藍の夜』 『茶の水』 『碧の玉』 『赤の狐』 『緋の家』 『桃の肌』 『銀の街』 以上、十三篇収録 全部エロースホラーエロースホラーエロースホラーな感じなので、あらすじ割愛。 いやあ……つかれたw 一度に読むもんじやねえな、こりゃ。一日に一個ずつ、寝る前とかに読むもんだよ。 基本的に、中年女性が不穏な空気を漂わせながら愛欲に生きて、いやな感じに終わる話ばかり。 一編15〜20Pと短く、それが矢継ぎ早に襲ってくるので、とても疲れます。 まあ、この芸風はもはや岩井志麻子のお家芸みたいなものなので、エロイけどそれ以上に怖いからまったく抜けないといういつものアレとしか表現のしようがない。文章が下手で書き手が男だったら、ストーリー的には本当にフランス書院なんだけどなーw 今回はいつもの岡山篇に、男一本食い旅行で有名なベトナム篇に加え、韓国という新しい領域を開拓していた。日本に近いが違うという絶妙な距離感をつかれる感じに仕上げています。 いやもう、本当につかれた。読むのに費やした時間は短いのに肩が重くなった。 腐った果物のような、吐き気をもよおすほどの甘ったるく気持ちの悪いな空気を描くことにおいては、岩井志麻子にかなう人はいないよなー。でも、それ需要あるのかなーw それはそうとして『ぼっけえ、きょうてえ』の写真はやたら綺麗で(少女小説家時代の写真でも流用したのかしら?)、たまにテレビで見る自称「下品で変なおばちゃん」とはまるでちがっていておかしいなー、と思っていたが、この本の写真ではちゃんと「下品で変なおばちゃん」だった。なんか安心した。 岩井先生と仲良しの西原理恵子がいつもいい意味でぼろくそに書いているので、ついまじまじと写真を見てしまうのであった。 (08/6/2)
盲目の由紀夫は、いつも家で姉が帰ってくるのを待っていた。 姉は旅館で仲居をしており、帰ると由紀夫の布団に潜りこんで、由紀夫のからだを淫らにまさぐりながら、旅館に泊まる客の話をしてくれる。盲目の由紀夫にとってはそれだけが楽しみだった。 目下、由紀夫がもっとも楽しみにしているのは、旅館に長逗留しているという女作家の話であり、姉がこっそり持ってきて読んでくれる、彼女の書き損じた原稿であった。 だが夜毎その話を聞くうちに、由紀夫の周囲には化け物が徘徊し、現実は曖昧になっていく…… イヤッホーイ! 志麻子は今日も絶好調でイヤッホーイ! 盲目の弟と、弟を溺愛する美しい姉の近親相姦というネタがベタでイヤッホーイ! 盲目の主人公のまわりをいろんなものが徘徊する気配が不気味でイヤッホーイ! 作家の話、作家の描く物語の話、現実の話、と三つの物語が交錯して読者を惑わし、やがて綺麗に収束していく構成の巧みさにイヤッホーイ! 大正末期から昭和初期を舞台にした作品ならではの雰囲気でありストーリーであってイヤッホーイ! 全体的に志麻子が全力でイヤッホイヤッホーイ! そんな感じの作品でした。 乱歩ほど無意味にねっとりしてないが、久世光彦ほど枯れてはいない。そんなおいしい位置にいるヤッホイ志麻子ですが、今作は幻想小説としても大正浪漫としてもホラーとしてもサスペンスとしても一級品。 長さも適度で文章のくどさと迫力のバランスも適量。ただちょっとエロが多めのような気がしないでもないが、まあ許容範囲。 志麻子作品の中でもまとまりはトップクラスでないかしら? お薦め。 難を云うなら前半、三つの話がころころと入れ変わりすぎるため、ちと混乱してしまう。 あと、最後の最後、展開は文句ないんだけど、もうちょっとカコイイ文章に出来る気がするんだけどなーって感じ。まあこれは高望みというか、過剰な期待。 とにかく盲目の弟の一人称で語られる地の分が、美しくもエロく不吉で、志麻子のおいしいところをしぼりとっている。ついでに解説で語られている普段の全力志麻子ぶりも面白く、実に全面的に志麻子を楽しめる作品。 みんなもこれを読んで志麻子イヤッホーイ!と叫ぼう。 (08/6/08)
長編エログロ幻想小説。 15で親に売られた後、女郎屋を転々としていた稲子は、なぜだか知らぬが近頃話題のピストル強盗石神完二、通称ピス完に惹かれていた。 そんなある日、女郎屋に訪れた中西という客と深い仲になり、彼こそがピス完であると信じた稲子は、中西とともに女郎屋を抜け満州に渡ったが、そこでまた女郎屋に売られてしまった。 それから稲子は幾度も名を変えながら、奉天・新京・ハルピンと満州の女郎屋を転々とするのだが…… まったくもっていつもの志麻子としか。 不吉な雰囲気をたたえまくった文体と、やりすぎてむしろこわいだけのエロシーン満載で、相変わらず岡山弁と女郎で破滅願望で満州で、と本当にもういつもの志麻子としか。 破滅願望と逃避願望とが肉欲と渾然となり、舞台が満州の奥へ奥へと進むに連れて、次第に現実味を失い、幻想的になっていく展開は見事。 特筆すべきシーンは、解説で花村萬月も書いているが、やはり纏足の中国女とのエロシーン。 悪臭極まりない変型した纏足の素足でもって足コキするシーンの臭いたつような湿度の高さは、とうてい文章だけで書かれたものとは思えない。湿度が高すぎる。読んでいてからだの奥で、なにかが爛れ腐ってボトリと落ちたような気がしましたよ。 ただ、さすがにいいかげん岡山弁の女郎ネタは飽きてきたかな、という気がしないでもない。まあ、岩井志麻子以外に書き手のいないニッチなジャンルだから、べつにずっとこのままでもいいのかもしれないが、個人的にはもっといろいろと開拓して欲しい、志麻子には。 男一本釣りする地域は開拓しつづけているみたいですけど、そういうんじゃなくて。 関係ないですが、岩井志麻子は旧名である竹内志麻子としての活動は完全に黒歴史にしているみたいですが、竹内志麻子の著作の中には『花より男子』のノベライズがありまして、近年ドラマ化されたりしたものだから、本人の意図とは裏腹に、なにげに封印が解かれている気配がぎゅんぎゅんします。 それにしても、竹内時代はどんな文章を書いていたのか、読んでみたいようなみたくないような…… まあまあ、それはいいとして、全体的に集英社での志麻子の仕事はクオリティが高い。 ホラーとかエロとかレーベルカラーが決まっていないのがいい方に作用しているのかな? (08/6/18)
恋愛ホラーの短編集。 美人で人気者の朱実が殺され、親友でブスの真佐子に容疑がかけられる。だが、周囲の証言を重ね合わせたとき、二人の意外な真実を暴き出され……の表題作をはじめ『愛されよう愛されたいでも愛せない』や『秘密には至らない過去』『どこかにいる、そんな女』など、タイトルだけでぐったりするのがわかる女のじとじとした嫌なプライドや競争意識をねちねちと描いたいやな話が全十篇。 岩井志麻子のタイトルにセンスがないのは、編集主導にちがいないと思い込んでいたけど、最近は志麻子の豊か過ぎるサービス精神が悪い方悪い方へと発揮されてしまった結果なんだろうと思うようになった。 岩井志麻子には岩井志麻子という名に求められている作品傾向というのがあり、彼女はそれに答えすぎているんじゃないかな、と。 今作は、そのサービス精神がフルに発揮されすぎていて、そりゃまあ確かに凡庸で見栄っ張りで競走意識が強くてでも受身で、といういかにも現代女性的な人間の心の弱さ残酷さ醜さを描くのは岩井志麻子ならばお手の物だろうが、しかしそれだけに終わってしまっているのはいかがなものか、と。 また、強烈な語り口で騙されがちだが、彼女は男性キャラの描き口が女性のそれに比べるといつも似たような感じで、全体、女がどこに惹かれているのかわからないようなキャラばかりだ。そこには濃厚なセックスの臭いはあれど、悪い意味も含めた人間的なつながりというものを感じない。 恋愛ホラー、と銘打たれたものを立て続けに読んだときに、ちとそこが浮き彫りになりすぎてしまったかな。 文体も、十篇であまり変わらなかったため、安定してはいるんだが、ちとメリハリに欠けて単調に感じもした。 もともと、彼女が傑作『ぼっけぇ、きょうてぇ』をものしたのが、少女小説家竹内志麻子の殻を投げ捨てた瞬間であることを考えると、彼女はそろそろ『セックスとホラーの作家』『テレビに出ている下品で面白いおばさん』という殻を投げ捨てて、また新しい境地を開くべきなのかもしれないなあ、と感じた。 サービス精神のないやつはたとえ傑作をものしてもプロとは呼べないが、しかしサービス精神が旺盛すぎるのも考え物だよなあ。 この短編集自体は、ま、だからして岩井志麻子らしい、セックスと恐怖に彩られ、ちょっとしたいやなオチもついた、それなりの作品ではありました。平均値は越している。 でも、彼女にはもっと上を狙って欲しいなあ。できると思うんだよね。 (08/10/4)
短編集。 エログロホラーに掌編が20篇以上。 エログロホラー掌編を20以上も書け、すべてそれなりのクオリティーに仕上げるのはさすがだが、ほとんどの話のオチが「主人公が殺されそう」「主人公が殺してた」「主人公がもう死んでた」の三択なので、うまいわりには驚きがない。 設定とかのいやさ具合もいつもの岩井志麻子で、クオリティは保っているがやはり驚きや新鮮味がない。 ねっとりしてるのが志麻子の魅力なのだから、やはり掌編だと魅力が発揮しきれないし、印象が分散されてしまってよくないと思うし、なによりもったいないと思う。 この中では「善意だと思ったら悪意だった話」を語り合うやつが、なかなか女っぽい嫌な感じでちょっと目の付け所も新しく、これを膨らませてほしいな、と思った。 (08/11/14)
小説宝石だかなんだかに連載されていたエッセイ。 単行本の『志麻子のしびれフグ日記』に加筆し改題したもの。 よく考えたら志麻子のエッセイってはじめて読んだんだが…… いや、これ凄いね。なにが凄いって、はじめてみたよ、実物が西原理恵子の漫画に出てくるキャラとまったく同じって人。たいていは誇張表現されて面白おかしくされてるのに、まったくもってあのまんまのきわものキャラ。 終始下ネタを云い、ベトナムの愛人との出会いから性生活まで赤裸々に語りつづけ、しまいにゃ実は韓国にも愛人がいるとのたまいはじめ、その展開はあたかも小説のようですらある。 文体は小説のときとはまるでちがい、一人称が「わし」の軽快なものだが、まるで実際に話しているかのような淀みない書き口のうまさは小説の時と同じ。要するに、根本的にうまい。 また、周囲の編集者や作家もいじりまくり、おいしく仕上げているところもさすが。 一見ぼろくそに云っているように見えて、ちゃんと褒めてるんだよね、これで。愛がある。そこがうまい。友達の西原理恵子と同質のものだ。 その西原理恵子はいつ出てくるのかなあ、と楽しみにしていたが、これが全然でてこない。最後の最後になってはじめてお会いした、という形で出てきて、しかも名前は伏せている(同い年で無頼派キャラだけど繊細で当時離婚したばっか、といえば西原先生以外にありえねえ)うえに志麻子がべた褒め。そんなに褒めてどうするんだってくらいべた褒め。 一方、直後の西原先生の解説一コマ漫画はいつも通りで一安心。 なんかもうこの二人は血がつながっているといってもおれは驚かない。むしろつながってない方が不思議なくらいだ。 エッセイとしては笑いあり暴露ありちょっといい話あり切なさありで盛りだくさんのいい作品だ。 が、一気に読むとちょっと食傷気味。まあもとが連載で、一度に読むようなものではないんだから、しょうがないと云えばしょうがないんだが…… だが、どうも中盤から、変に形式が出来てしまって、最初のなに云いだすかわからなかい勢いが薄れていってしまったんだよね。 これは小説でもそうなんだけど、志麻子は読者の、編集者の要望を汲んでくれちゃうんだよね。それで当初のやぶれかぶれな面白さがなくなっていく。 無論、それで作品のクオリティ自体は下がらず、むしろ上がっているのかもしれないが、個人的にはその安定感はいらないなあ。志麻子はもっと不安定で不吉でなにしでかすかわからない怖い人でいて欲しい。小説でもエッセイでもテレビでも。 しかし、前半でやたら出てくる森奈津子は実に変態だな。 おっとりした外見と口調でお嬢さまっぽいけど、いつもオナニーのことしか話さない、というキャラ。これ、確か西澤保彦もおんなじように書いてたな。複数人の作家からそう見られてるってことは、ほんとにそうなんだろう。 これからは森奈津子なのかもしらんなー。 ともあれ、エッセイを読んでますます志麻子が好きになった感じ。 (08/11/11) |