タイトル | 評価 | 一言メモ |
鏡の中の世界 | うな | ショートショート。さすがといえる無難な出来 |
題未定 | う | こちらの気持ちも未定 |
ある生き物の記憶 | うな | 小松先生のショートショートは手堅く、時におセンチ |
果しなき流れの果に | うなぎ | ハードすぎる小松のSF哲学 |
SF。ショートショート。 小松左京のショートショート。 それ以上の説明がいるのだろうか? 小松左京のショートショート以外の何物でもない。 ちょっと不思議だったりちょっと怖かったりちょっと頓知がきいていたりちょっとおセンチだったり、だから小松左京のショートショートだってば。 ただ、あれだな。「え? これで終わり? ここから始まりちゃうん?」とか思うような話もけっこうあり、こいつは本質的には長編作家なんだろうなあ、と思った。 つうか小松先生をこいつ呼ばわりしてしまった。 まあいいか。サスペンダーお似合いですよ。ホホホホホ
SF。長編。 小松左京の長編SF。それ以上でもそれ以下でもない。 ……ごめん、ちょっと嘘。 新連載のタイトルが思い浮かばず「題未定」で連載を始めてしまったために、現実と作品世界、時間と時空が混雑し合い、さまざまな場所、時間へ飛ばされた小松左京本人が、いろいろあって歴史を守るお話。 けっこう昔の話なのにメタフィクションしてたり、定期的に入る捏造された編集者のほやきとか、ところどころにある無理くり感の強い「ダイミテイ」のもじりとか、小松左京の分身の名前とか、言葉遊びもしてたりするし、いろいろ詰まっているけど、そのわりに途中からあんまり面白くなかったのはきっと古代日本にぼくが興味ないから。 わりと企画倒れ感あり。そこもまた小松クォリティ。
ショートショートがわさわさといっぱい。 おセンチなSFキター!という感じ。普通におもしろかった。 SFの一般的なイメージは小松左京がつくっていたのだな、と再確認した。 というか、日本のSFは、実は「小松左京」というジャンルであった、みたいな。
長編SF。 六千万年前の地層から発見されたのは、謎の砂時計クロニアム。 それは、いくら砂が落ちても減ることがない不可思議な構造をしていた。 大学教授野々村は、クロニアムの出土された古墳について調べるうちに、しだいに奇妙な事態にまきこまれ、ついには失踪する。関係者も次々に変死を遂げ、クロニアムも紛失し、すべては謎に包まれたまま事件は終結した。 しかし、それは遥かな未来・過去・平行世界をめぐる壮大な戦いの始まりに過ぎないのであった。 なんという壮大さだ。 はっきりいって、序盤は退屈でならなかった。 ゆつくりとした情景描写を中心に、たいしたこともない事件をもたもたと描写していて、これが本当に小松左京の代表作かと疑ったほどだ。 が、中盤に入ると一転、次から次へとめまぐるしく世界が入れ替わり、豊穣なSF的アイデアがこれでもかと詰め込まれ、物語の加速は止まることなく、ついにはSF史に残る壮大で広大な世界が姿をあらわす。 なるほど、これは確かに名作SFであり、小松左京、畢竟の大作だ。 SF好きなら読まねばなるまい。 ……とは言え、今読んでも古びない、とは言えないのが寂しいところか。 今となってはありふれてしまったアイデアも多く(まあ、小松左京がオリジナルなのも多数あるのだろうが)、あまりにも昭和のSFの臭いがしてならない。 また、これは小松左京の特徴だと思うんだが、彼の作品にはヒーローが登場しない。 主人公が特定の人物になることも少なく、長編になればなるほど群像劇の様相をていし「この人物を追っていけばそれだけで楽しい」ということがない。要するに萌えキャラがいない。 小松作品のキャラクターたちはいつだってヒーローではなく、大いなる事態に翻弄される一般人だ、 よく知らないのであまりこういう言い方をしたくはないのだが、なんとも団塊の世代に受けそうな感じだ。そして、この主人公たちの没個性は、現代ではあまり受けそうにないなあ。 ストーリーや構成、設定は現代でも一級品であるのは間違いないのだが、キャラ造詣のせいでいまの世代は退屈に感じそうだ。つまり、おれはその点で退屈だった。 しかし、そんな欠点を跳ね飛ばすほどに、後半の勢いは強烈だった。 古代から中世日本、現代に21世紀、25世紀から40世紀へ。 時に大胆に跳躍し、時に繊細につながっていく物語の構成は圧巻の一言。 面白いというか、ものすごい作品だ。勢いとか妄想とかが。 でも、正直にいうと、かなり意味のわからんところばっかりやってん。 だから、ちゃんと評価できてないかもしれへんねん。 意味わからんのよー、ほんとに。 ぼくにはSF脳がついてないのだなあ。 (07/1/7) |