タイトル | 評価 | 一言メモ |
傀儡后 | う | 意味不明 |
ファントムケーブル | う | 悪趣味なだけ |
単行本未収録作品 |
長編SF。2002年の日本SF大賞受賞作。 SF大賞らしいので、じゃあちっと見てみるべえかあ、と読んでみたが、なに? SF大賞ってのはあれか? やたら設定が入り組んでいればそれでいいのか? 04年の受賞作はイノセンスだし。 イノセンスにあげるかなあ、SF大賞。パパはよくわからんよ。 で、よくわからんということで、この傀儡后。よくわかりませんでした。 いや、力作だよ。とても力作だったと思うよ? でも云ってる意味がさっぱりわからねえよ。 いや、途中ね、お、もしかして面白いんじゃないかこの作品、と思った瞬間もあるんだよ。人間がゼリー状になってしまう麗腐病とかさ、街をテキストとして認識してしまう街読みとかさ、いい設定もあったよ。 でもなんつうかこう、この人の文章ってわかりづらいし、入り込みづらい。 主役の不在っぽさもそれを助長している。 やっぱね、長編になると作中に一人くらいは信じられる人物が欲しいわけよ、ぼくとしては。 謎の少年・七道桂男も、最初は雰囲気出してたわりにはさっぱり出番がなくて強引にオチがついてげんなり。 そもそもあれか? 隕石が落ちてきて、地下に眠る謎のなんたらが目覚めて地球が進化して、最後、人類がみんなゼリー状の皮膚に溶けちゃって、壮大な感じでエンドって、これはエヴァンゲリオンか? SF大賞つながりで。 じゃああれか、傀儡后は綾波レイか。って、傀儡后ってネーミングと綾波レイってイメージ的にすんなりイコールにできるね。 じゃあこの作品はエヴァンゲリオンだったということで。 それにしてもあれだね、SF大賞って奴はまったくあれだ。 いやあ、最初にね、その存在を知ったのは神林長平の『言壷』がSF大賞を受賞したときだったわけよ。 この「言壷」ってのはもう、すごい名作でね。 魅力的な設定の数々と一つ一つの話のまとまりのよさ、カッコよさ、加えてやはりラストの「我、勝てり」これにもうすっかりいかれてしまったわけで、読み終わったときは小一時間ほど無駄に興奮して家中をうろつきまわったりしたものでした。まる。 で、その直後くらいに読んだ筒井康隆の『朝のガスパール』、これも良かった。 パソコン通信の時代にしてすでにここまで実験的にネットを駆使した作品があるとは。 新聞連載とネットと現実と小説内の多次元と小説内の作者とが珍妙に混じりあいいい具合にこっちを翻弄してくれて、いやあ、筒井先生にはかなわんわい、と思ったこの作品もSF大賞をとっているらしいと随分あとになって知る。 このあたりから「おや、SF大賞って、もしかしていい作品が受賞してる?」と思ってた頃に読んだのが新井素子の畢竟の大作『チグリスとユーフラテス』 いかにも新井素子的な手癖はあるが、火の鳥的な壮大さと人間の感情がもつれあい、感動のラストまで一気に読ませる新井素子随一の名作で、これは出たばっかの頃に読んで、その年のSF大賞になった。 これでもう、なんかSF大賞ってのはいい作品が多いらしい、と思い、翌年ネット環境がそろったときに検索してみたわけですよ、SF大賞を。 そしたら大原まり子の『戦争を演じた神々』も受賞している。 確かにあれは意味はわからなかったがえらいエネルギーのある作品で、意味がわからなかったせいで俺の頭には残らなかったが名作げな雰囲気を発していたよ、と納得。 夢枕獏の『上弦の月を食べる獅子』も受賞している。 あれもまた結局なんだったのかよくわからないところも多かったし、獏のバイオレンスワールドにはついていけない面もあったが、宮沢賢治と崑崙とを絡めた幻想的な話は圧倒的なパワーをもっていて、読んでいるとき、無性に「おれはいますごいものを読んでいるんじゃないか」的な感覚に陥ったものだったよ。 結局、意味はわからなかったんだけどさ。 そんなわけで「SF大賞はどうやらいい賞」という認識の出来た俺は、ぼつぼつSF大賞を読み出したわけですよ。 最初に読んだのは2001年の『かめくん』で、これはまあ、やらんとしていることはわからいでもないが、やっぱり曖昧すぎるし、いろんな意味でやりすぎじゃないか? と思った。 のち、同作者の『ざりがにまん』『いか星人』を読んで、かめくんはまだわかりやすかったのだと知るのですが。 ここらでSF大賞に疑問を持ったが、同年に候補になった『ΑΩ』は面白く、やはり信憑性がある、と自分に言い聞かせる日々でした。 疑いをもったのは、やはり梶尾真治の『サラマンダー殲滅』でしたかね。 いやあ、これがまたつまらなかった。 そんなことを云ってはいけないと思うのだが、つまらなかった。多分、おれはこの人と気が合わないんだろう。代表作である『エマノン』シリーズのセンチメンタリズムも俺にはピンと来ないし(七瀬シリーズのできそこないに思えた) 『黄泉がえり』とかも(読んでないけど)あらすじ聞くだけで「それってどうよ?」とか思うし。 唯一『ドグロマグロ』だけ面白く読めたのは、明らかにおれが元ネタである『ドグラマグラ』が大好きだからだし、要するにこの人とは趣味が合わない、うんそういうことなんだろう、とその時は自分を納得させたものでした。 納得させたものでしたが、同時にこの頃からエヴァンゲリオンやガメラ2もSF大賞を受賞しているという事実が気になりだしたりもした。SF大賞か? あれは。 ヒットしたという意味でエヴァンゲリオンはまだいいとしてガメラ2って、いいのかホントに?(観たことないけど) そういう疑惑にかられながら読んだ宮部みゆきの『蒲生邸事件』 寝た。 つまり読破してない。すまん。この頃はまだ宮部みゆきを読んだことがなかった。その実力も知らなかったし、実力のわりには俺の心に響かない人だというのも知らなかった。 寝た。読めなかった。 時期的にミステリー離れしていたのも悪かったのだろう。でもだるくて寝た。それだけが事実だった。 (※追記 あとで読みました) この頃、昔『帝都物語』を一巻だけで挫折したことを思い出し、さらなる不安にかられる。 そんな中で昨年読んだのが03年の受賞作『マルドゥック・スクランブル』 この作品、敢えて云うなら、隣の道路をものすごい勢いで走り去っていた大型トラックのようなものであった。 荷台からマグロの一匹や二匹を落としながら走っていた。 多くは語らない。が、おれはそのトラックには載せてもらえなかったようだ。正直、あんまり乗りたくもなかった。 そして今回、傀儡后、なによりもイノセンス受賞。 どうやらぼくとSF大賞の間にあったと思われた深い絆は、ただの幻だったようでした。 そもそもぼくは早々に気づくべきだったのだ。今の日本で年に一冊もすぐれたSFが出るはずがない、と…… だからぼくは、もう恋なんてしない、なんて云わないよ絶対、じゃなくて。 もう日本SF大賞を信じるのをやめようと思う。「日本SF大賞」で検索すると三件目に中島梓の悪口があるし。 そんな「SF大賞とおれ」というエッセイになりながら、だるっぽく終わらせてみる。
ホラー短編集。 ★『ドキュメント・ロード』 糞みたいな人生、を描ききれていないから不条理なだけ。 ★『ファイアー・マン』 某作品と同じ叙述トリックが使われているが、電波ったテンパッタ文章なので、逆にフーン、といった感じ。 電波ちゃんはきもくて良し。でもきもい。 ★『怪物癖』 ちょっとアレだよね。きもいだけでストーリーがないというか。 ★『スキンダンスの階梯』 ……う、ううーーーーーん。 試薬品の実験体になって、実はそれが……というのはありがちで、なんていうか、どうだろうね? ★『幻影錠』 開錠にとりつかれたピッキングの天才、という設定まではよかったが、ストーリー自体はどうも……。 もうちょっと封印の鍵を開錠するのをきちんと書いていればの。 ★『ヨブ式』 うわ、悪趣味。下劣。スプラッタ。 理由もなく嫌がらせをされ家族を皆殺しにされる、ただそれだけの話。 オチなどない! 梶一郎を下品で悪趣味でひねりを無くした感じ。 ★『死せるイサクを糧に』 電波さんいらっしゃい。 ★『ファントムケーブル』 やっほー! みんな、感度は良好かい? いっやー、ひさしぶりに読んだなあ、ぐろいだけのホラー。 二、三作読んで「ああ、全部オチはないんだな」とわかっているから、ドキドキがないよ。 追い詰められる主人公たちに感情を移入する場所もないため「あっ、死んだの?」と云う感じ。 ただ、むなくその悪さは光っていた。 よくもまあこれだけただ嫌なだけの作品を書けるものだ。 でもこれはホラーじゃなくてエログロだよね? 男が怪物にカマ掘られて、そのまま絶命、という描写が何回か出てきましたが、よくよく気に入っているんですね? うほっ、男狩り
逃げゆく物語の話(『2001』収録) うな
設定がすごくいい気がする。 物語を再生するための機械である人形、その逃走。 愛し合う二体の人形が再生する、最後に混ざり合う物語。 文章があっさりしすぎていて、もったいない。 同じ設定でもうちょっと長い話を読みたい感じ。 虫文(『蚊コレクション』収録)
この作者、また設定はいいなあ。 けど、内容は微妙だなあ。 どうしたもんだろ? 設定的には良作。総合的には凡作といったところか。 |