タイトル | 評価 | 一言メモ |
蒲生邸事件 | うな | SF大賞受賞作。教育テレビか、これは。 |
火車 | うなぎ | 異様に展開がうまい。 |
長編SF歴史ミステリードラマ。みたいな。SF大賞受賞作。 ひょんなことから二・二六事件の日にタイムスリップした浪人生・孝史は、いろいろあって現代に戻ってくる頃には歴史のことを真面目に考える大人になっていました。以上。 感想、大長編『TPボン』だった。以上。 だけで終わらしてもいいんだが、680Pも読んでそれはちょっとばかり淡白すぎるしもったいないような気もするのでだらだら書く。 まず、相変わらずうまい。文は平易で読みやすい。架空の存在である蒲生邸は立地条件からしてリアリティにあふれ、人物の配置には無駄が少なく、人間をただの善人・悪人に隔てない視線は大人であり、事件の進行はこちらを飽きさせないように工夫されており、どこをとっても巧みな作品である。 それが胡散臭いし、物足りねえ。 なんつうの? 手が行き届きすぎてるんだよな。そのせいで逆に人間味かけるというか。NHKで放映予定ですか?みたいな。行儀が良すぎるんだよな。 タイムスリップしたりしてSF層ゲット。殺人事件起こしてミステリー層ゲット。戦前戦中話入れておっさん層ゲット。恋愛話や人情話なんかも入れて一般層ゲット。みたいな、なんつうのかなあ、素直になれないのは何故? 多分、主人公に感情移入できぬからだ。 この物語での主人公はただの狂言回し、語り部でしかないのはわかりますよ? にしたってね、いじけた浪人生のはずが、えらぶった中年や華族の息子と平気で話したり、探偵の真似事したり、たった数日で六十年前の世界に溶け込みすぎちゃうか? べつにあまり魅力的にも感じないヒロインへの淡い想いも、物語を円滑に進めるためには必要であったが、主人公の気持ちは全然伝わってこないし、作者の都合を感じざるを得ない。 タイムトリッパー平田がこの時代を選んだ理由は「それってどこの時代でもいいし、ぶっちゃけ能力使わなければどこでも同じじゃん」だし、なんというのかな、作品のどこにも「止むに止まれぬもの」が感じられないんだよな。 ぼくはその「止むに止まれぬ」という感情こそが美醜であったりする、なんて思うんだけどね。 つまり、しないでもいいのにどうしてもしてしまうこと、というのは、美しいか醜いかのどちらかだ、という。 宮部みゆきの作品には、美というものが一切抜け落ちているんだよな。外見的なものもそうだし、精神的なものにしてももっとそう。 美というのは醜につながるし、それゆえ好き嫌いが分かれることになるから、大衆受けを求めるなら、美なんて邪魔なものなんだけどさ。 しかしね、どんなに深く、大人の視線で人の心理を分解してみたところで、そこに思わず目を背けたくなるような醜さがなければ共感もできないし、醜さがなければかくありたいと憧れる美も生まれない。 うん? いま書きながらはたと気づいたが、俺にとって醜さとは共感を呼び、美しさっていうのは憧れを呼ぶんだな。自分的メモメモ。 ともあれ、他人事なんだよな。要するに。宮部みゆきの作品てさ。 読んだ人間にさ「あなたも歴史のことについて考えたり、未来について考えたりしてがんばっていこうじゃありませんか」的に語りかけているような雰囲気までがさ、どうにもよくできた既製品みたいでさ。 そこに書き手の吐露は含まれないし、ましてや読み手の感情なんて物語には関係ないというかさ。 なんつうのかね、俺が読まないでもこの物語は立派にどこかでやっていけるだろう、みたいな。わけわからんね。 でも、とにかくそういうことなんだよ。 距離があるんだ。おれと作品との間にさ。 なまじ向こうがある程度近づいてきてくれているだけにさ、これ以上はこっち来るなって感じで。書き手にコントロールされているみたいで。 宮部みゆきは実力のある小説家だ。それは事実だ。間違いない。 けど、じゃあ彼女の「止むに止まれぬ感情」って何処にあるの? 「彼女にしか表現できないこと」は? 結局彼女ってなんなんだ? みたいな。 最初にTPボンって云ったのも、つまり藤子Fの絵柄のように、つるっとして無難すぎて、つかみ所がないって思ったからだし(F先生の場合、あの画風で多彩な作風をもっているからそこが逆に不気味でいいんだけど) うーん、なんつうのかな? 結局、宮部みゆきって小説うまいけど、なんで小説書いているの? ってことかな。
なんか社会派ぽいミステリー長編。 ここ数年の小説界で売上、知名度、メディアの露出とすべてにおいて一番脂がのっているのは、宮部みゆきか京極夏彦か、といったところだと思う。(追記・いまは東野圭吾が並んだか抜いたかだなー) 模倣犯で宮部みゆきが頭ひとつ抜けた感じかな。 なにぶん京極は作風的に売上が頭打ちだと思うし。映画の興行もいまいちっぽいしね。 その点、宮部みゆきは現代物ミステリーが基盤にあるだけに売れる売れる。 そのうえ作風も手広くSFからファンタジーまで書いてゲーム愛好者でもあったりする。 さらには異常にいっぱい賞をとっている。数えあげるとオール読み物小説新人賞でデビューしてから、日本推理サスペンス大賞、日本推理作家協会賞、吉川英治新人文学賞、山本周五郎賞、日本SF大賞、毎日出版文化賞特別賞、そしてご存知直木賞と、まあよくもまあこれだけとりもとったりと感心したくなるくらいとってる。 その点が逆にいかがわしくてあまり手にとってなかったわけですが。 で、そんな宮部みゆきの本をはじめて読んでみたわけですが。 うまい。 おそろしくうまい。 人間に対する洞察力、難解に過ぎない的確な比喩、邪魔にならない適度な警句、ともすれば退屈になりがちな、足でする調査形式を飽きさせずに読ませる絶妙な構成力(まるでタマネギを剥くようにするりするりと核心に近づいていく。そしてその中心にはしみじみとなにもない空白があるのだ) 脇役の一人一人にまで人生を背負わせ、それが読者に重荷にならず、なによりもその視線は人々の愚かさを指摘しつつ、しかしそれを責め立ててはいない。それが人だと、ただその視点で書かれている。これは女性作家ならではのものだと思う。 テーマもうまい。 十年以上も昔の作品にして、クレジットカードからはじまり消費者金融につながり、やがてサラ金へといたる自己破産をもってきている着眼点がまずうまい。 「まるでたいしたことなどないかのように」「自分の金を引き出すように」「気軽にかっこよく」金を貸しだす消費者金融のやり方は、十年前との非ではない。 これは個人の問題でもあるかもしれないが、同時に教育の問題でもあり、社会の問題であり、ある意味公害ですらある、と作中の老弁護士は語る。 だれも子供たちにクレジットカードとの付き合い方を教えていないのがいけない、と。 いつの時代も、だれだって夢を見る。 昔は叶えるか諦めるかだった。 いまは一時的に叶えたような気持ちになれる方法がある。 それがカードであり消費者金融であり、かれらを責める強さが自分たちにあるのかと作者は問う。 渇きに耐えかね海水を口にする漂流者を笑う権利がだれにあるのかと云う。 傑作、といってもいい作品だと思う。 ……と、べた簿めしといてなんだが、かといって宮部みゆきのファンにはならんし、この作品がそんなに好きなわけでもないし、次の作品を読みたいとかはあんまり思わなかったなあ。 あ、いや、なんかいまぼくの頭の中がカラッカラに枯れ切ってるってのも原因だと思うんだけど、なんていうか、嫌いになる要素もないけど、好きになる要素もないというか。 ぼく、ダメな子なんです |