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司馬遼太郎

タイトル評価一言メモ
燃えよ剣うなぎ∈(゚◎゚)∋漢と乙女の気持ちをキャッチする土方萌えの原点にして最高峰
竜馬がゆく 全八巻うなぎおっさんたちのバイブル。男ならやってやれ!だ
最後の将軍 -徳川慶喜-慶喜ちゃんはニート気質。
幕末うなぎ短編集。幕末のうんざり具合が良くわかる。
馬上少年過ぐうな短編集。キモメン伊達政宗
花神 全三巻うなぎブサイクでもカッコイイという司馬哲学
項羽と劉邦 全三巻うなぎ蛮人とヘタレならヘタレが勝つという話。名作。
大坂侍うな
北斗の人うなぎ千葉周作の半生。安定して面白い
坂の上の雲1うな愛媛人として読もうと思った
うな





  燃えよ剣  うなぎ∈(゚◎゚)∋

燃えよ剣
司馬 遼太郎
文藝春秋





長編歴史小説。
キタキタキタキタキタ、新撰組キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
いや、これは名著だ。
こんなものを見せられたらそりゃ新撰組に燃えざるを得ないさ。 
土方さんは突っ走ったら止まらない典型的な破滅型人間で、剣も軍略も我流だが鬼強、そのくせけっこうナイーブなところがあったりしてポエマーで、女癖は良くないが、本当にほれた女には手も出せない、冷酷で人と人とも思わぬくせに、時々へんに優しいと、それは萌えざるを得ないさ。

沖田も、まあ従来のイメージどおりのキャラだが、いい。(ていうか、まあこの作品の新撰組の主要メンバーのイメージがいわゆるデフォルトになっているんだろうけど)
しかし斎藤一は、なんだってあんなに最後まで土方につきあったんだろうな。どうもさほど親しかったようでもないし、義理堅い性格でもなさそう。
強くはあったが人斬りに執着していたわけでもなさそうだし、この辺、好きものだったら突付いてみたいポイントだな、たしかに。
ただ一つ云えるのは、うに心に出てきたアレは、なんか違う、ということだ。

いままで、わりと新撰組関連の話を読んできたんだが、実はどうも鳥羽伏見の戦い以降の、晩年のへたれた新撰組のことはよく知らんかった。京都のあたりのことはわりと知っていたんだけどね。
ていうのも、負け犬時代の新撰組は魅力が薄いというのもあるかもしれんが(沖田、近藤も途中で死ぬし)あまり書いている作品に出会わなかった。
ていうか、そこまでたどり着いていない作品が多い。
渡辺多恵子の『風光る』はたらたらと少女漫画やってて、いまだに伊東甲子太郎がどうのこうのって場面だし、そもそもこの作者に晩年の新撰組を書く度量はなさそう。特に沖田没後の。
で、岩崎陽子の『無頼』は、池田屋事件の手前あたりで編集部の都合により打ち切り。「最後まで書くためにこそ主人公を斎藤一にした」のに、あんまりだ。
斜め読みだけど、里中満智子のもあったな。あれも最後のほうはかなりはしょってた気がする。
で、我らが御大、栗本先生の『夢幻戦記』は、着々と巻を重ね、なんと現在十ウン巻にして、いまだに芹沢鴨先生がご健在であらせられる。

そんなわけで、晩年の新撰組を知ることができたのは、わりと面白かった。
ドカタさん、最後まで突き抜けてあらせられたのですね……

にしても、近藤勇。あれはなんなんだ?
なんの役にも立たない単なるお調子者で大馬鹿者の愚物ではないか。
伊東甲子太郎を信用して裏切られ隊をがたがたにされるわ、土方に止められてるのに危険な時勢にあちこちうろちょろして狙撃され大事な鳥羽伏見の戦いには参加できないわ、勝海舟にだまされてやっかいばらいで甲州に飛ばされるわ、しかも田舎に帰って自慢しているうちに甲州城はとられるわ、闘ったら最新の銃を中心にした西洋戦法にぼろ負けしてしょぼーんだわ、暴言吐いて昔馴染みの原田、永倉に見限られるわ、それでしまいにゃ勝手に降伏して死ぬわ。
こいつ、結局なんなん?
こいつがやったのは京都でやたらあちこちに妾をつくっただけ?
なんで土方があんなにたてていたのかがまったくわからん。

まあ、近藤勇はともかく、普通に名作だった。いまさら云うまでもないことだけどな。






  竜馬がゆく  全八巻  うなぎ

竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋





長編歴史小説。全八巻。長いっ!
うーん、竜馬がゆくなあ。

一巻
  なんていうかさ、確かに魅力的なんだよ、竜馬。普通にカコイイ。
んだけどさ、なんていうか、そもそもこの作品のせいなんだろうけど、坂本竜馬的なキャラクター像ってあるじゃないか。
大人物で肝が太くて人に好かれて学はないが知略があり、ロマンを追い時運に助けられ大事を為しその後に非業の死を遂げる。後世に名を残し若者の憧れとして心に生き続ける。
そういうのって、なんていうか、出来すぎていて好きになれない。好きになれないというか、釈然としない。
若者はみな竜馬を目指すとはよく云ったもの。若者がみな目指すものをおれが好きになれるかよ、みたいな単純な天邪鬼な気持ちも動いてこようもの。
なにより武田鉄也が竜馬大好きなのがどうしても心にブレーキをかける。あと孫正義とか。
きれいな上昇志向の象徴的な感じだからなあ。

長期連載らしく、脇役の一人一人にまで気が配ってあり、司馬遼にしては珍しく遊びの多い作品だな。あんまり読んでないけど。
ことに他作品と比べると女性の扱いが破格だ。
美人だが大女の姉・乙女。勝気でお転婆なさな子。女狐の冴。淑やかでありながら明晰かつ大胆な田鶴。
みな普通に考えて可愛く普通に魅力的で、その普通に面白いところに釈然としないのはぼくがいい人生を送ってこなかったからでしょうか?
それらのウホッ! いい女たちにモテモテでありながら朴念仏であり、それでいて時々おいしいところをいただいていく竜馬は、実に男性読者にとって理想的な存在であろうと容易に想像がつき、やはり釈然としない。
いや、普通に面白いんだけどさ。

しかしモテモテの坂本竜馬よりも、情のわいた女に失望し「おれには剣だけがあればいいさ」と呟きながら、本当に惚れた女の前では我慢に我慢を重ねたあげく三日三晩の愛欲にふける土方歳三の方が、どうにもぼくは好ましい。バカで。

それにしても長ぇ。
坂本竜馬ってそれほどいろんなことをしたのかなー?(いや、したんだろうけどさ)
疲れるしぼちぼち読んでいくか。


第二巻
いつもモテモテ竜馬くん、今日も男の道をつっぱしっております。
幕末時代の面白みは、現代へのつながりが濃厚に感じられることだろう。
例えば、竜馬が地元、土佐で出会った悪たれ坊主・岩崎弥太郎は後に三菱財閥を起こしているし、竜馬たち郷士の敵、土佐藩上士の中でも荒くれ者であり竜馬の暗殺も目論んだ乾退助は、後の自由民権運動の板垣退助であったりする。
そのあたりに、素直に歴史の妙を感じる。
板垣退助などはよくもまあ階級差にこだわる上士の出であり、典型的な権力主義者でありながら、自由民権運動などと言い出したものだ。


3〜5巻
だるだるだると読んでいるうちに五巻。

いよいよ竜馬は志士として立ち、勝海舟に師事し、本ヒロインであるおりょうも登場し、いよいよ脂が乗ってきた今作ですが、実は読んでから間が開いているのでどれがどの巻にあったエピソードなのか混然としていてよくわかりません。

幕府高官でありながらべらんめえな感じの勝先生は、まあ、うほっ!いい男ですが、失脚する直前に竜馬に語ったセリフ、うろ覚えだが「竜馬、おれはおめえに色んなことを教えてやって、一人前の艦長にしてやった。だが恩に着ることはないぜ。その代わり、おれが着けてやった翼でしっかり天に羽ばたくんだ」というものは、なんというかあまりに少年漫画的にくさくて身悶えした。なんだそりゃ。
おりょうは、可愛いんだが江戸のさな子とキャラがかぶりすぎている。実在した人物にキャラ立てが云々いうのもどうかとは思うが。

余談だが「燃えよ剣」とあわせて考えると、土方と竜馬は存外に近しいところがある。
無学であるために常識にとらわれず臨機応変、それでいて理に叶った思考をし、集団の統率力にすぐれ、情熱家でありながらそれを内に秘め、剣の腕は恐ろしいほどにたつ。
その二人の最大の違いを物語序盤において示している。二人とも女の縁で抜刀騒ぎを起こしているのだが、竜馬はきれいな篭手の峰打ちで相手を逃がし、土方は外道剣法のすね切りを多用し、逃げる相手を背中から斬っている。

作者は作中で幾度も「人を斬ったものは異相になる」と言及している。結果、数々の白刃のもとをくぐりぬけながら、終生だれ一人殺すことのなかった竜馬と、自ら新撰組を結成し、数え切れぬほどの人を斬った土方。
物語序盤にそれを示唆するエピソードをいれる辺り、うまいな、と思う。

それはさておき。
なんか同じようなことの繰り返しでダルダル。さっさと維新しちゃえって感じ。
史実を追っているだけなのかもしれんがね。

板垣退助はガキの頃、隣の後藤象二郎とケンカ友達で、それはいいんだが、後藤がヘビ嫌いだと知って、胸元に蛇をほうりこむなど、とてもすばらしいDQNですね。
でももっとひどいのは、後藤がその仕返しに、板垣がきれい好きだと知ってて、その場でうんこをひり出して投げつけたそうですが、いくら時代が時代といってもあんまりだと思うんですがどうでしょうか?
やっぱり土佐はそういう土地柄なんでしょうか?


6.7巻
いよいよ大詰め、ぼくらの竜馬君。
西郷隆盛も登場。薩長連合も成り、大政奉還の案も出た。
ついに維新回天が近づいている〜というところで最終巻につづく。
そして最終巻だけが手に入りません。むかつきます。殺します(だれを)。

どうも西郷さんはただの百貫デブのような気がしてならない。
いや、当時の外交官としては最高峰であったと作中では云ってるんだけどさ。
特に、薩長で牽制し合っている宴席で、場の空気が険悪になったとき、おもむろにまたから一物を出して、ロウソクで陰毛を焼きだして場の空気を白けさせて事なきを得た、というエピソードは、もしかしてただの馬鹿なんじゃないだろうかという疑いすらもたせる。結果的にはいいんだろうけどさ。

坂本、西郷の二人が異常に高評価されているのは、維新の立役者でありながら不遇の最後を遂げ、他の政治家のように老醜をさらさなかったから、というのが最大の要因だと思うんだけどね。
と、作品の魅力を放り投げるようなことをのたまいつつ。

なんかさ、おりょうがむかつくのね。悋気が強すぎてさ。
竜馬つぁんのお手つきになってから、ただの独占欲の強いダメ女になっている気がする。いや、ダメ女自体は嫌いじゃないんだけどさ、どうも出てくるたびに鬱陶しい。
人が天下国家のために奔走している最中にやれ家を買えだのやれあの女が色目をつかっただのとうるさい。
しかしこれはもしかして世のサラリーマンが常日頃、女房に抱いているであろう不満を竜馬にも味あわせ、共感を高めようという策略であるのやも知れぬ。
恐るべきはサラリーマンキラー・司馬遼太郎。伊達におっさんたちに愛されていない。

ところで、竜馬にとっては政敵の一人となる土佐藩父・山内容堂。
このおっさんはわりと好き。
同作者の短編「酔って候」で主役を張ったこのおっさんは、表題どおりのアル中。
おまけにひどい歯痛もち。高い知性と幕末屈指の詩人の心、自らを信長に例える強烈な自惚れと誇り、免許皆伝の腕前をもつ抜刀術と馬術を備えた、異常なキャラ立ちのおっさんである。
結果的にろくなことをしてないんだが、なんか痛快なので憎めない。
これで壮絶に散ってくれれば少年漫画的に言うことなしなのだが、実際は維新後も普通に生きているので残念。


八巻。
やっとこ見つかった竜馬がゆく最終巻。

大長編作品いよいよ完結。怒涛の展開と涙の止まらないクライマックスが待っているはず……なんだけど、悲しいけど、これって歴史物なのよね。
基本的に大きなフィクションを交えていないため、ある日突然、暗殺されてさくっと死んだという史実のある竜馬は、やっぱりこの本でも暗殺されてさくっと死んでいます。直前までたいしてそんな雰囲気もないのに。
おかげでさして感動しなかったのが残念無念である。

二、三箇所、多少、長編を読んだ実感というか、物語の終わりを思わせ身の震える文もあると云えばあったが(具体的に云うと「街道は晴れていた。竜馬がゆく」と「この長い物語も終わろうとしている。人は死ぬ。竜馬も死ななければならない」の一文。逆に最後の一文「若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた」は、「フーン」と云った感じで、なんかあんまり)

読む前は「坂本竜馬ってやたら英雄視されてるけど、それだけのことをしたの?」という疑問があった。
で、読んでみた。
結果として「はて、結局それほどのことをしてたっけな?」というものでした。

確かに、思想は新しい。
株式会社の発想や自由民権の思想など、江戸時代の武士が考えることとしてはまったくもって新しい。
が、竜馬は結局、それらの準備として倒幕を考え、その準備がようやく整おうかとしたときに、死んでいる。つまり、何一つ本来の目的は達していないわけだ。
会社が岩崎弥太郎に引き継がれ三菱に発展し、自由民権の思想が板垣退助に引き継がれようと(もっとも、どうも板垣退助は自由民権がどうとかいうわけではなく、体制に反発しないと生きていけないタイプの人格だったようにこの小説からは見受けられる。いわゆる一生涯反抗期キャラというか)竜馬本人は薩長同盟の仲介と、大政奉還の提案しかしていない。しかって云ったらなんだが、しかしなんだかなあ。

死んだのも、当代屈指の剣客でありながら、刀を手もとに置いていなかったのが最大の原因だし、なんていうかこう、冷静に見るとわりと「犬死に?」みたいな感がしないでもない。
まあ、こんなことを云うのも結局、最後まで読んでも坂本竜馬というキャラがあまり好きになれなかったという、その一点にかかっているんだろうけどね。
ただし魅力が薄いキャラかと云うともちろんそんなことはない。この大長編の中心に据えるにふさわしい好漢であると思う。

ま、おれのタイプじゃなかったんだな。
なんたって「世に生を得るは事を為すためにあり」だからね。そんなロマンチストで上昇志向なの、感情移入できないの、あたし。

というわけで、物語としては好みの問題であまり高評価できないが、幕末の日本の情勢を知る本としては、読みやすく面白く非常にすばらしいと思う。
また、結局世の中を動かすのは、知恵でも力でも志なんて高邁なものでもなく、コネと利権であるということを教えてくれるところも素晴らしい。
結局、多くの人間の思惑が絡み合う場所では、欲と欲とが錯綜し事態をややこしくしているだけなんだな。

総合して見ると、漢志向のある人にとっては傑作。ない人にとってはぼちぼちか。だが、男性原理の権力志向上昇志向ってあさましいと、思ってしまうのは、あたしが乙女だからかしら?(間違い探し)

しかしこの大ベストセラーに、いまさら感想もくそもなあ。
読む前のイメージ通りの話だったし。
まあ、司馬遼のふかしはすごい、と。

ホラをつきとおすこと、それが、小説家の花道。
土方さんはカコイイ。竜馬は大物。
でも二人ともわりと無駄死に。 わりとただの誇大妄想狂。






  最後の将軍 -徳川慶喜-  う

最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文芸春秋





歴史長編。
題名通り、徳川最後の将軍慶喜の半生を描いた作品。

『竜馬がゆく』を読んでいたら、当然のごとく幕府側の見解というのをもう少し知りたくなり、読んでみた。
が、なんか読みにくい。
そしてこの時点でようやくぼくは「竜馬がゆくはバカにも理解できるようにキャラを中心に描いていた」ことに気づくのでした。
それはよしとして。

慶喜が好かん。
おかげで読みづらい読みづらい。
色々ぐねぐね考えすぎて、結局なにもできない奴だ。
大政奉還の受け入れも、なんだか面倒になったから渡りに船と全部投げ出したようにしか思えん。
その後、速攻で静岡に逃げて生涯そこから一歩も出ずに子作りと趣味の世界に没頭したというのもヘタレ。
慶喜で感心できるエピソードは、晩年に近藤、土方のことを尋ねられたとき、黙って涙を流し続けるだけだった、というものしかない。しかもそれはこの本ではなく「燃えよ剣」のエピソードだ。

まあ、やっぱりどう考えても幕府が滅びるしかなかったという事情の理解がいっそう深まったから、とりあえすぜヨシとする。






  幕末  うなぎ

幕末 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋





幕末にあった暗殺を描いた短編集。


★『桜田門外の変』
普通の話かな。


★『奇妙なり八郎』
清河八郎はどの観点から見てもいやな奴だな。


★花屋町の襲撃』
竜馬がゆくの感想で書きわすれていたが、海援隊にいた竜馬の部下の陸奥陽之助というのが好きだった。
皮肉屋で頭が切れて遊び人で、そのくせ実は友達がいなくて根は実直で、竜馬にだけは私淑している姿がわりかし微笑ましかった。
その陸奥が、剣などろくに握れもしないくせに、新撰組屯所に討ち入る話なわけだが、やはりどこか微笑ましい。


★『猿が辻の決闘』
けっきょく、武士とはバカなやつらだ、という話。
しかし小才よりは愚直を愛すべきだろう。


★『冷泉斬り』
暗殺などはなにももたらさない、というこの本通じての作者の主張がよくわかる作品。
冷泉が斬られるのに理由などなかった。それが虚しい。
あと、こういう話を読むと司馬先生は女が嫌いなのかな、とか思う。
司馬先生の話に出てくるいい女って、みんな肉体関係がないか、あるいはあっても一夜限りであったりして、長い付き合いの女はみんなやな女になる。
まあ「男女の仲などしょせん本能のすり寄せ合い」と断じたこともあるらしいから、仕方ないか。


★『祇園囃子』
ブスは追ってくるからうかつに手をだすなってこと。
かんしゃく玉投げカンタローの東海道五十三次かいな。


★『逃げの小五郎』
えーと、桂小五郎はむっつりスケベであんまり役に立たなかったってこと?


★『死んでも死なぬ』
どこでもウンコできる井上聞多は大物だよ、とかいう話だった。
最後に「この先のことは海音寺潮五郎の本「悪人列伝」に詳しいのでそちらを読んでもらいたい」とか書いてあるのには素直にビビったりした。
でもちゃんと同じ文春文庫の作品であるあたり、憎いったらない。さすが元サラリーマン。


★『彰義隊胸算用』
おもしろかったな、これは。
志士だのなんだのでいばっていても、結局は人間のやること、たいていの場合は政治と商売でしかないな、とか思う。まあ、利害のない志なんてない、と。


★『浪華城焼討』
死んで花実が咲くものか、とは云うが、つまり無能者でも長く生きてたらうっかりすると権力握っちゃうよ、と。若い頃の人付き合いは大切だ、と。コネマンセー。


★『最後の攘夷志士』
まあ、なんつーか、結局、本気で維新志士やってたやつってのはほとんどが死んだわけで、それも無駄死になわけで、激動の時代を生き抜くなら、心変わりの激しい信用のならない男であるしかない、と。







  馬上少年過ぐ  うな

馬上少年過ぐ (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社





短編集


★『英雄児』
いつもの司馬遼って感じ。
才能があっても今の身分をわきまえないと迷惑です、ということ。


★『馬上少年過ぐ』
伊達政宗のお話
なぜか政宗がド不細工。なんでやねん。
要するに名将とは名武将ではなく名外交官のことだ、というのが司馬先生のいいたいことなんでしょうか?






  花神 全三巻  うなぎ

花神〈上〉 (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社





幕末の官軍総指揮官・大村益次郎の一生を描いた歴史小説。

序盤は適塾が中心で、蘭学のこととか当時の医学のいいかげんさとか、けっこう面白い。展開も絶妙。
主人公の大村益次郎は怪異な容貌らしいが、実際に写真を見てみたら本当に妖怪みたいな顔をしていて驚いた。

下巻のあとがきに「途中、読書を退屈させたであろうこの長い物語〜」とあるが、実にまさにそのとおりで、上中下全体でみると、面白い話なんだが、中巻はだらけてだらけてたまらなく眠かった。
ヒロインであるシーボルトの娘、イネは司馬作品のヒロインでは一番いい印象。でも都合もいい印象。

一介の蘭医にすぎなかった男が、その信念である合理主義の果てに、官軍の総指揮官となり維新の総仕上げをする、そしてその直後に暗殺されて死ぬ。というのは、できすぎているくらいにできすぎている。
顔の異形さもできすぎている。頭ふくらみすぎ。超キモイです。

全体的にプロジェクトXくさかった。サラリーマンの味方という感じで。






  項羽と劉邦

項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社





歴史小説です。
とても面白かったです。
すっごく長かったです。
でもとっても面白かったです。
はい、感想書くのには飽きてます。






  大坂侍  うな

大坂侍 (講談社文庫)
司馬 遼太郎
講談社





歴史物。
幕末の大阪を舞台にした物語だけを集めた短編集。


★『和州長者』
情を通じていた嫂が殺されてから四十九日。
中間におどされ、訪れた部屋には家中の男が三人、集められていた。
中間の目的は和州の風習を実行することであった。

ノートルダムのせむし男、みたいな話。
中間・段平の忠義な生き様とともに、嫂と通じながら、結局能天気に自分大事な人生を送る欣吾の姿が、対比として印象深く、うまい。


★『難波村の仇討ち』
兄の仇は、大阪の商人。仇を討たねばお家は断絶。
なんとしても仇を討つために大阪にやってきたものの、どうにものらりくらりとかわされて……

命にすら値段をつける大阪の非情さと滑稽さが、なんともおかしい。
あまりにあけすけなため、真意が読めずにもどかしい。
すべてが時代の流れに押し流されるオチも秀逸。


★『法駕籠のご寮人さん』
大阪は天満の料理屋「法駕籠」では、二人の男が食事を世話されていた。
一人は勤皇派の三岡、いま一人は新撰組の山崎。
ある日、二人は店先でばったり出会ってしまうのだが……

勤皇も幕府もない、ただ利と情がある大阪の気風が知れる好編。
奇妙な友情と共に、ご寮人さんと松じじいの気持ちのすれ違いも面白い。


★『盗賊と間者』
大阪境の盗賊、天満屋長兵衛は、わけあって若者とともに、京都で蕎麦屋をはじめることになった。
しかし、若者は勤皇の士であり、新撰組をひそかに調べていた。

盗賊なりの義、というものが、面白い。
この話だけではないが、幕末の話は、まるで天地がひっくりかえったかのように、いままでの価値観がすっかり変わってしまうのがなんとも面白い。
人の世の不思議さだ。


★『泥棒名人』
  盗賊・江戸屋音次郎が、ある夜出会ったのは、大阪一の盗賊と名高い行者玄達であった。
玄達は音二郎に「盗んで欲しいものがある」と頼むのだが……

玄達のわざと、一枚上手なやり口が痛快である。
作中の音次郎同様、さわやかに「やられた」という感じだ。


★『大坂侍』
金、金、金の大阪の考えに嫌気の指した又七は、義のために彰義隊に参加しようとしたのだが……

なんというか、なべて世はこともなし、というべきか。
大阪商人のたくましさと同時に、かくあれかしと回天する世界に感心してしまう。
歴史は小さな場所にまで、奇妙な話をつくるものだ。
つってもまあ、司馬先生のは大半が嘘だけどさ。


大阪、というテーマがうまく、面白い。
現代と通ずる場所、異なる場所、どちらも興味深かった。
侍の滑稽さ、庶民の強さ、というものを感じる。

(06/6/20)






  北斗の人  うなぎ

北斗の人 (角川文庫)
司馬 遼太郎
角川書店





長編歴史小説。
北辰一刀流の開祖、千葉周作の前半生を描いた作品。

これ、面白いっす。
剣術の革命家としての千葉周作という視点がまず面白い。
かれの奇妙な一徹者具合もまたおかしく魅力的。
父親のキャラクターもおかしい。楽しい親子だ。

文章も小気味よく「地元では馬と呼ばれた」というはじめの一文からしてうまい。ひきこまれる。
父のエピソードからはじまる構成もいい。
前半生に焦点を当てて、後半生はかるく触れるにとどめたのもいい余韻を産んでいる。
剣戟シーンも過剰な描写をおさえることによって、力学的に剣術を分解した周作のやり方が読み手に伝わるようになっており、良い感じだ。

「道理を考えていては、男子はなにもできませぬ」(すごくうろ覚え)
良い言葉だ。一作に一つ、こういう臭いセリフが入ってくるとたまらない。

と、特にけなす部分はないので、適当におわる。
でもまあ、司馬先生はワンパターンっちゃワンパターンだよな。
読んでる間はそんなに気にならないんだが、あとで思い出そうとすると、ほとんどの作品が混ざる。
ま、面白いからいいんだけどね。

(06/11/21)







  坂の上の雲1  うな

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋





長編歴史小説。全八巻。

時は明治初期。
伊予松山に一組の兄弟と一人の少年がいた。
のちに日露戦争で世界最強を謳われたロシア騎兵団を破った秋山好古。
同じく日露戦争で東郷平八郎のもと、神算鬼謀によって海軍を勝利に導いた秋山真之。
真之の親友にして、落書きされやすい教科書の写真No1、俳人の正岡子規。
三人の奇妙な関係と青春を描いた物語。

端的に云ってしまえば、いつもの司馬遼太郎としかいいようがない。
司馬作品のすごいところは、それぞれ時代もちがえば為した事もちがうし、人物説明もちがうのに、読了してからの印象がどの時代のどの人物を描いた作品でもまったく同じところにある。
すなわち「豪快なバカはすごい」この一言だ。
これがすなわち司馬史観なるものの中心であり、たしかに面白いのだが「結局それかよ!」と思ってしまうのも事実だ。
だから司馬先生の長編はもうあんまり読む気がしないというのが実情ではある。

ところがこの『坂の上の雲』、今度NHKで大河じゃないけど、長々とドラマ化するそうで、なにやら松山が盛り上がっているらしい。
いままで持ちネタが『坊っちゃん』しかなく、つねに『坊っちゃん』フェア状態だった松山が、ついに第二の武器を手に入れたというわけだ。
そうした状況を鑑みて、今後発生しうる「愛媛出身なのに坂の上の雲も知らないの?プ」という状況を回避するため、あらかじめ読んでおくんだぜ!

という心持で読み始めたんだけど、なんだよこれ、全八巻かよ、長い、長いよ、面白いけどつきあいきれねーよ、というのが素直な気持ち。
しかし、それでも、やはり。
松山の地名が出てくるとニヨニヨしてしまうのは、自分にもある程度は郷土愛があるということなのだろうか。

今作でも、幕末や明治を題材にした他の司馬作品でも、一貫して伊予はおっとりとした気風(対比として土佐は野蛮な気風)として描かれている。今作では「由来、伊予弁ほどおっとりとした言葉は日本にほかにない」とまで書かれている。
「そ、そうかあ?」というのが思春期になってから松山に移住した自分の素直な気持ちではある。はじめてきいた時期はけっこうビクビクしたものですがw
といっても、おれが過ごしていたころは、老人達はともかく若者は標準語も話せたのだから、一緒の感覚で捉えてはいけないんだろうけど。
気性も、さてそこまでおっとりとしているとは。

あー、でも、そうだな、これは長所でもあり短所でもあるんだけど、全般的に伊予人は視野が狭い印象はあるな。先のことは考えず、目の前のことにだけ対処していけばいいというような感じ。瀬戸内の外の世界にあんまり関心がないというか。「伊予の早曲がり」などで知られる交通マナーの悪さも、その視野の狭さから来るものかもしれんな(愛媛人は曲がる直前にウインカーを出す奴が多いんだ、実際) もちろん、その視野の狭さは転じて気性の素直さや情の厚さ、近隣住民の相互助け合い、地元愛などにもなっているわけだから、責める気はないけどね。
ただ交通マナーはちょっとアレだよな、実際。道が悪い・交通マナーが悪い・空いてるから飛ばす、という三重苦で、なかなか危険な地域だよ、松山は。

まあ、地元話はどうでもいいとして。
あいかわらず主要人物はみな変人だ。
そしてあいかわらず自分の偏屈を自覚し、かつ全肯定している。
なにかを為すにはとりあえず自己肯定しろ、という司馬先生の明確な主張がまぶしすぎる。お、おでには無理だ……

うんこを投げると聞いて、そのシーンが出てくるのを待っていたんだが、ちんこを掻きながら砂浜あるいたり、家に帰ったら「ただいま」より先に褌一丁になったり、他人の庭におもむろに放尿したり、全裸で泳いでいるやつを殴ったりしたが、うんこは投げなかった。
うんこを投げるといえば、司馬作品では板垣退助がういういとしてやっていたので、それと混同したのだろうか?

それはそうとして、最近気づいたんですが、裸を愛する層というのがいる。
男でも女でも問わず、自分も周囲の人間もとにかく裸に近ければ近いほど嬉しいという男はけっこういる。エロイ気持ちとかあったりなかったりするが、とにかく裸が大好きという人間はいるのだ。そしてなんぞしらんがそういうやつはたいてい上昇志向が強く、チンコの大きさを気にする。
この「裸チンコ感覚」というものが、男性受けには必要なのではないかと近頃とみに思う。

小池一夫・叶精作の描いた実権人形ダミー・オスカーの画像を見たとき、あまりのチンコ芸の豊富さに笑い殺されるかと思ったが、しかしこの執拗なまでのチンコ感覚こそが男の心を捉えて離さない本質なのかもしれない。
ゴルゴだって島耕作だって最終的にはチンコ感覚で描かれている。司馬遼太郎が読み継がれているのも過大評価なんじゃないかってくらい崇められているのも根底に揺るぎなきチンコ感覚があるからではなかろうか?
女性作家が基本的に男を描けないのは、この裸チンコ感覚を解していないからだと思う。実際、漫画小説なんでも問わず、この裸チンコ感覚を有した女性作品をおれは見たことがない。
おれは、チンコを甘く考えすぎていたのかもしれないな。

……あれ? これ、坂の上の雲の感想になってなくね?

(08/5/19)










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