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谷川 流

タイトル評価一言メモ
電撃!イージス5頼まれ仕事感全開
涼宮ハルヒの憂鬱うなぎ無駄によくできたSFラノベ
絶望系・閉じられた世界うな作者が読者嫌いなのはわかった





  電撃!イージス5  う

電撃!!イージス5 (電撃文庫)
谷川 流,後藤 なお
メディアワークス





連作短編コメディ

天才科学者のじいちゃんのところに下宿に行ったら、じいちゃんは次元の彼方へ行方不明で、じいちゃんの家には下宿して正義の味方をしている女子中高生がたくさんいて、主人公は彼女たちの司令官をやらされることになりましてたよ、という感じのどうでもいい話。

この作者はハルヒの作者なんだが、この作品はあとがきを見るに、どうも作者が単行本デビュー前に編集主導の企画として雑誌で連載されたもののようで
「おいおい、ハルヒ売れてんじゃん。なんでもいいからうちでももっと谷川書かせろよ。デビューさせたのスニーカーじゃなくてうちじゃん。無理?そこをなんとか。あ、単行本化してない雑誌連載のやつあったよな? あれ単行本にしよう、うん」
という編集部の思惑が透けて見えるような感じだった。

作品自体は、編集主導の作品にろくなものがあるわけはないので、ストーリーもキャラもステレオタイプでなにひとつ面白くなく、ギャグは切れがなく、文章は実にどうでもいいと、なにひとつ見所がない。
実にどうでもいい作品だった。

(07/12/25)







  涼宮ハルヒの憂鬱  うなぎ

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)
谷川 流,いとう のいぢ
角川書店





ラノベの有名なシリーズの一作目。

高校に入ったらうしろの席が奇矯な美少女で「宇宙人とか未来人とか超能力者にしか興味ないから」とかいうので、変人だなあ、とひいてたら、気がついたらそいつにまきこまれてずいぶん大変なことになりましたよ、みたいな話。

うまいというかなんというか、ラノベとして必要なものがあまさず入っている。
美少女、バトル、SFに萌えキャラという設定を、読みやすい一人称の文体と、あきさせない展開の早さですいすいと読ませていく。
特にメタフィクション的な設定を、すべて「奇矯な美少女」という一つの軸にまとめる読みやすさと読者のニーズをともに満たすやり口がうまい。
一見、手垢のついたような設定で手にとられにくいという欠点を、五年ぶりのスニーカー大賞受賞というネームバリューと広告展開、いとうのいぢのオタク受けするイラストでカバーし、内容以外にも欠点なし。

売れるものには売れる理由があるというが、売れない理由がないという商品も珍しい。
さらに京アニの評価が上昇しているときにアニメ化され、動画サイトなどが普及したときにいろんな場所で露出するという、時流に乗る幸運も見せ、ライトノベルというカテゴリに関して云うなら、完全無欠の商品だろう。
ステレオタイプに描かれたキャラクターたちに素で萌えるもよし、作者の意図的な配置にニヤリとするもよし、浅いオタクと濃いオタク、双方を楽しませる作品だ。

まあ、べつに続きをよむ気がしないのはアレだが、好きな人にはたまらないんだろう。

(08/2/25)







  絶望系・閉じられた世界  うな

絶望系 閉じられた世界 電撃文庫 (1078)
谷川 流,G・むにょ
メディアワークス





ラノベ。

中学一年生の恋人烏衣ミワとセックス漬けの毎日を送る高校生・杵築のもとに、友人の建御から電話が来る。
なんでも天使と悪魔と死神と幽霊が出て、世界か自分が狂ったみたいなので確かめに来てくれという。
かれの家を訪れてみると、果たして美女の天使と美少年の悪魔とハレンチ幼女の死神と存在感のない普通人の幽霊がいた。
とりあえず、一番まともな幽霊の素性を調べてみると、かれは無差別連続殺人事件の被害者であり、その影にはミワの姉であり、異常人格者である鳥衣カミナの姿が見え隠れしていた……

世にセカイ系というものがあって、はっきりいってどういう作品なのかよくわからんが、総じて中高生の主人公たちが、そこから一歩も出ない狭い人間関係と価値観のままで世界の命運を握り、愛を叫んだり絶望したりするような話のようだ。
九十年代後半からやたらとそういうのが増えたが、きっかけになったのはもちろんエヴァンゲリオンだ。

エヴァンゲリオンという作品の凄いところは、庵野秀明が好きだからというという理由だけで学園ラブコメと特撮とロボットアニメとセカイ系のすべてをぶちこんだところにあるわけだが、中でも学園ラブコメとセカイ系を両立させたところが凄い。
現実に適応できずアニメとかに逃避する中高生にもっともストライクするのがその二つだからね。まさか混ぜても成立するとは思わなかった。

で、セカイ系ってのは、けっこうあの手この手で少年少女たちに世界の命運をゆだねようと必死なのだが、谷川流は代表作『涼宮ハルヒ』シリーズでその辺を思い切った。
理屈はともかくとして、ヒロインは全知全能ですが自覚症状がありません、と設定した。
そうした極端なセカイ系設定のうえで、わりきった設定の萌えキャラを出せるだけ出して、読みやすい文体で学園ラブコメとしてまとめた。
で、結果として、ラノベとしては久々の大ヒットシリーズとなった。みんな長門や長門や長門に萌え萌えである。

が、作者自身が自キャラを愛しているのかどうか、これがわからない。
いとうのいぢの表紙を見て「内容に関係なく売れると確信した」という自嘲めいたあとがきでの発言はもとより、萌えキャラのカリカチュアライズとしか見えぬ主要キャラは作者のわりきりや投げやりにすら感じられる。
萌えキャラがカリカチュアライズされたステレオタイプである、ということ自体がヒロインが全知全能であるという設定にもつながっているため擁護するのは容易いが、しかし重要なのは作者がステレオタイプの萌えキャラを配置した、という事実だろう。
設定のことを考えてステレオタイプを揃えたというよりは、ステレオタイプなキャラを配置するのに適切な設定をつくりあげた、とも受け取れることだ。

これはまあ、もちろん作者以外のだれにも真実のわかるところではないし、むしろその二つが書き手の中ですらどちらともわからぬバランスをとっているからこそ、大ヒットシリーズたりえたのかもしれない。
まあ、シリーズの一巻目しか読んでない人間がえらそうに語ることではないとは思うんですがね。

ともあれ、セカイ系設定をもとにラブコメに仕上げたハルヒシリーズに相対するように、今作はストーリーも設定もセカイ系自体のカリカチュアライズになっている。
淡々としたセックスだの無気力な少年だのゴスロリで虐待されている少女だの殺人鬼の美少女だのを出して「世界が間違っている」とか「正気なものなどいない」とか「世界を絶望で染める」とかのありがちな絶望、ありがちな鬱だ死のう展開を、エピソードの積み重ねなどで説得力をもたせようという努力もせずに、ただ雰囲気とありがちな言葉だけで鬱な話ですよと伝えようとしている。
その薄っぺらさ自体が、セカイ系への揶揄だ。

どちらかというと、本作で語られているのは、作中で登場キャラクターが萌えや性を要素ごとに分解して定義づけてみせたのが端的にあらわしているように、セカイ系という作品を分解して最低限の要素だけで構築してみせて、さらに安っぽいセカイ系タイトルをつけることによって「おまえらこれでも鬱になるの?」という作者の読者への嫌がらせ、あるいは諦めではなかろうか?

要するに、この人、自分の読者がすんげー嫌いなんじゃねえの?と思った次第。 まあ、実際は知りませんけどね、あんまり読んでないし。

ありがちだのステレオタイプだのと言い放ってはいるが、しかしそれなりにはキャラが魅力的に書けているのが、この人の厄介なところかもしれない。
「神様の数は人類の総人口よりもずっと多い」という天使の発言は、けっこう好き。そうだなー、神様もそれくらいいるかもしらんなー。

(08/6/3)










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