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山田風太郎

タイトル評価一言メモ
甲賀忍法帖うなぎこれが半世紀前の作品とかマジ信じられない
室町少年倶楽部うなぎ鮮やか過ぎる風太郎史観
剣鬼喇嘛仏うなお下劣なのになぜかそうは感じない不思議
伊賀忍法帖うな面白いけれど、ちとワンパターンかも。
かげろう忍法帖うな∈(゚◎゚)∋鮮やか過ぎる短編集
忍法忠臣蔵うなぎでたらめなのに史実につなげる豪腕すげえ
くのいち忍法帖うなぎいつも通りなんだけどクオリティ高い
婆沙羅うないやな南北朝
忍者月影抄うないつもの忍法帖





  甲賀忍法帖  うなぎ

甲賀忍法帖―山田風太郎忍法帖〈1〉 (講談社文庫)
山田 風太郎
講談社





時代劇、というか忍者物。

時は慶長十九年。
三代目を争う暗愚な兄・竹千代派と、聡明な弟・国千代派に別れ、徳川家は二つに割れていた。事態を憂慮した家康は、一つの選定方法を決断する。
峠一つを隔ててお互いを憎しみ合う忍者の二門、伊賀と甲賀。そのうちの伊賀を竹千代派、甲賀を国千代派とし、十名の代表者に相争わせ、生き残ったほうの派閥を後継者とすると云うのだ。
下知を受けた伊賀の首領お幻と甲賀の首領弾正は、部下に事態を知らせることなく互いに相討つ。これによって二門の精鋭十八名はその理由を知ることもないまま、壮絶な死闘を繰り広げることとなった。
その中には相愛の仲である甲賀の若君弦之助と伊賀の姫朧の名もあった……
果たして生き残るのは伊賀か?甲賀か?

え?
あれ?
なにこれ? 普通に面白い。
なにが普通に面白いって、まったくもって古さを感じない。ほんとにもう、これっぽっちも古びてない。なんだこれ? だってこれ五十年前の作品だよ? いくら時代小説だからってこの古びてなさは異常。むしろ不気味。

ジョジョに端を発する近年の能力バトルムーブメントは、不思議なことに少年漫画よりもむしろライトノベル界で隆盛を誇った。
まあ、不思議とは云ったが、不思議ではないのかもしれん。能力バトルってのは、要するに屁理屈バトル。言葉で読者を騙すノベルの世界のほうが、漫画よりもむしろ能力バトル向きだ。現にジョジョだって能力バトルとしての質は四部、五部の方が複雑で練れているのだが、一番人気があるのは単純なパワーゲームに近い第三部だ。

結局、漫画という手法では理屈云々よりも、絵の持つ説得力の方が遙かに意味を持つのだろう。逆を云えば、単純なパワーゲームを描かせたら、小説はどんなにがんばっても漫画・アニメ・映画にかなうはずがないのだ。
よって、小説独特の面白さを有したバトル物を描こうとしたら、必然的に能力バトルに流れ着いてしまうわけだ。

余談。
無論、同様に漫画は写実性において映画に叶うべくもないが、戯画化と省略によってより優れた表現を成し得る。
要は多彩な表現方法が同時に成立しているということは、すべてに役目があるということであり、優れた創作とは表現方法の特性をよりよく生かしたもの、その方法でなければ十全に表現できぬものをこそいうのだろう。
世の中には、アニメは一人じゃ作れないから漫画を描く輩や、絵が下手だから小説に逃げる輩もいるが、それはもう、はなから間違いなのだ。漫画で描くべき物語は漫画で描くべきだし、小説で書くべき物語は小説で書かなければいけないのだ。

小説の書ける漫画描きや(稀少ではあるが)漫画の描ける小説書きもいるが、たいていの場合、同じ物語を描いてすら、片方は圧倒的に劣っている。もっと単純に、イラストはうまいのに漫画は下手な人だっている。(つうかイラストレーターはたいてい漫画下手だけど)よっぽどの特例をのぞいて以外、一人の人間に適した表現方法は決まっているのだ。
作者が表現方法を選んでいるのではない。作品が頭の中に湧いて出てきたその瞬間に、それが出力されるべき表現方法はすでに定まっているのだ。それを己の都合や怠惰によって捻じ曲げることこそが、作品にとっての冒涜となる。

酒見賢一が短編集『ピュタゴラスの旅』のあとがきで、自身のデビュー前後の気持ちを語っている文がある。彼は「近年は小説よりも漫画のほうがずっと面白い」と思っており、そのことに悔しさを感じながら「しかし私は小説の人なので小説を書くしかない」と断じている。
おれはこの酒見賢一の言葉に、歯噛みするほど嫉妬を駆り立てられる。劣っていると悟ってなお捨てられぬこそが愛であり、そして酒見賢一は小説ならではの作品を現実にいくつも物している。

話がずれたが、そろそろ閑話休題。
ともかく、ラノベが能力バトルに偏重していったのは、だから必然なのだ。
で、そうした能力バトルの開祖はなにか、といえば、それはもう山田風太郎の忍法帖シリーズなのだ。
かつて『猿でもわかる漫画教室』で超能力ものは忍者ものが現代風に変形したもの、と示唆されていたことを踏まえることもなく、能力バトルはESP大戦であり忍術合戦なのだ。

そして忍術ブームを開いたのは、紛れもなく山田風太郎であり、その端緒となったのが1958年に連載されたこの『甲賀忍法帖』であるのは疑いようもない事実だ。解説で示唆されているように、大正期から忍者小説はあったらしいが、忍者ものがブームになったのは山田風太郎の力によるところがあまりにも大きい。
つまり、現代のラノベの始祖とすらいえる存在が、山田風太郎忍法帖シリーズなのだ。

……と、いうようなことはずいぶん前から知っていたことで、近年、本作が『バジリスク~甲賀忍法帖〜』というタイトルで漫画化されヒットした(ついでにその作者が元セガ社員だ)ということも知っていた。もちろんバジリスクをちらちらと読んだこともある。やたらキャラが多くて最初から読まんとわからんと思ってその時は捨て置いたけど。
いずれにしろ、何度となく山田風太郎の名前はおれの人生の前に現われていたのだ。司馬遼太郎を読めば当然のように山田風太郎の名も出てくるし、ジュリー主演?の映画『魔界転生』の原作だってもちろん山田風太郎だ。

だから、いずれ読もう読もうとは思っていたのだが、これが不思議なもので、山田風太郎、あまり古本で落ちていない。幾度も復刊しているのに、全然目に入ってこない。そんな感じで、長年スルーしてきたのだが、このたびはじめて読んでみたわけだ。
で、結果として「なにこれ面白い」なわけですよ。

月並みな言葉であるが、まずキャラの立ち方がすごい。
伊賀甲賀合わせて総勢二十名の手練れが登場するわけだが、これがみんなちゃんとキャラ立っているんだからすごい。
無敵の瞳術の使い手、弦之介。生まれもった破妖の瞳ですべての忍術を破る朧。官能を感じると毒の息を吐く陽炎。全身より血を噴く朱絹。五体不満足な地虫十兵衛。ゴム鞠のごとき肉体をもつ鵜殿丈助。溶けて塩になる雨夜陣五郎。
挙げればキリがないが、みな瞠目すべき技をもっているし、技を抜きにしてもその愛憎や人間関係がキャラ立てを明確にしている。
彼らが次から次へと現われ、おどろくべき技を披露していくだけでも十分に面白い。なのに、この作品はそれだけでは終わらない。なんとも巧妙な構成が怒涛の展開を演出しているのだ。

そもそも、この徳川三代をめぐった竹千代・国千代の争いは有名な話で、結果として竹千代がのちの三代家光となったことから、勝つのは竹千代派である伊賀とははじめからわかっているのだ(ちなみに国千代がのちの駿河大納言忠長で、この人が色々と楽しい人だったというのは『シグルイ』読者なら常識ですね)
にも関わらず、これがまあ、先の展開が読めないこと読めないこと。

いきなり両首領の死からはじまるというところから驚きだし、お互いが事情も知らぬままに忍の本能で殺しあっていく様は凄惨、かつ哀愁。
ある者はあっさりと死んだかと思えば、ある者はしぶとく生きのこり、だれが生き残り、物語がどこに流れ着くのか、最後まで息もつかせない。
合間合間にクノイチお約束のエロが入ってくるのもなんという読者サービス。それでいて(最後までやってないからかもしれんが)下品さを感じさせない絶妙なコントロール感覚。
伊賀者が襲われているときは伊賀者が心配になるし、甲賀者が襲われているときは甲賀者が心配になるという、絶妙にして均等な筆致。

中でもお気に入りのキャラは、伊賀のリーダー格である薬師寺天膳たん。
いちおうは作中一の悪役なんだろうが、不死身という身もふたもない能力の持ち主ゆえに、これがもう死にまくる死にまくる。
隠し槍で刺されて死に首を折られて死に斬られて死にクノイチを手篭めにしようとして毒にやられて死に最後は腐った床板を踏み抜いたせいで首をはねられるという、そのドジッ子ぶりに全おれが萌えた。
主君のばあさんが怖いけど死んでから調子に乗るわ姫にいいよるわクノイチ欲情するわでいいようにストーリーをひっかきまわしてくれる素敵なトリックスターだった。

で、これらを支えるのは、やはり平易で読みやすく、しかし的確にイメージを掻きたてる文章力だ。
こういうと失礼にも聞こえるかも知れんが、むしろ漫画『バジリスク』よりもすら映像的であると感じた。それほどまでにスピード感のある描写でありテンポの良い会話文なのだ。
はっきりと、上手い。
それも邪魔にならない上手さだ。読者のための上手さだ。

しかし……なんだろう……この読んでいるときの感覚……おれは知っているな……んというか、じつに馴染むというか……
やたら徹底したかなのひらき方。傍点の打ち方。会話文のリズムの取り方。改行のタイミング。初登場のキャラの簡潔かつさりげない紹介。時代小説なのに、時折わざと地の文に差し込まれる「スポーツ」などの外来語、恥ずかしくない範囲でのエクスクラメーションマークの使用……

あっ……
ああっ!
栗本薫じゃん! これ、完全に栗本薫の特徴じゃん!
ええ〜、あらためてじっくり読んでみると、これどこからどう見ても栗本薫だよ。魔界水滸伝初期とかの頃の栗本薫。グインサーガで云えば十巻代の頃の栗本薫。あの文章そのものじゃん。
いや、そりゃ、多少はちがうよ? 栗本薫のほうが説明がくどいし情緒過多だし。山田風太郎は時代物だしね。
ただ、抑えているときの栗本薫の書き方、それに一番近いわ。数少ない伝奇小説は、これもう完全に山田風太郎コピーだといっていいんじゃない? 「地獄」とか「修羅」とかの大仰な表現の使い方がピタリとはまっているところが、実にもう栗本薫。

いやー、まさか、まさか栗本薫の元ネタが山田風太郎だったとは。
確かに、司馬遼太郎とも池波正太郎ともちがうと思っていたけど、まさか山田風太郎とは。
いやー、これは驚いたなあ。あんまり山田風太郎の話してた印象ないんだけどなあ、栗本薫。でもまあ、世代的には絶対読んでるはずだし、影響受けててもおかしくはないよなー。
うーん、そうかー、それじゃおれが楽しく読めてもなにもおかしくないよなー。
じゃあ、いろいろ読んでみるかー、山田風太郎。
と思った次第でした。

で、この作品自体の感想ですけど、世の中にはごく稀に「手直しする場所が見あたらない」という作品があって、そういう作品はジャンルを問わずビューティフルです。おもしろいつまらないを通り越して、もう美しい。そういう美しい作品をして傑作というのだと思う。
甲賀忍法帖はまぎれもなく傑作です。頭から尻尾まで一つの作品として完成されつくしている。だからこそ現在の視点でもってみても、なにひとつ古びていない。そして不気味なほどに読みやすい。
いやー、名作と呼ばれ読み継がれる作品ってのは、そりだけの意味と価値があるもんなのだなあ。

(08/5/17)







  室町少年倶楽部  うなぎ

室町少年倶楽部 (文春文庫)
山田 風太郎
文藝春秋





歴史小説。
アミダクジによって選ばれた六代将軍義教の破滅を描いた ★『室町の大予言』
八代将軍義政と管領細川勝元を軸に人の変貌を描いた ★『室町少年倶楽部』
以上、二編収録

うわー……
なーんでおれはいままで山田風太郎にたどり着いていなかったかなあ。
見事な歴史小説であり、娯楽小説の理想形ともいえる、見事な作品。
『室町の大予言』は平易でわかりやすい文章で、四代義持からはじめることによっていかに義教が数奇な運命により将軍となったかを簡潔かつ諧謔をも交えて語る手腕も見事だし、その変貌と残虐性をくどくならぬ程度に適切な量のエピソードで示すバランス感覚も見事。

法華経僧に対して、わずか四帖の部屋に三十名の人間を閉じ込め放置するという「んな馬鹿な」と云いたくなるほどの明瞭簡潔な極悪措置がすごい。
法華経の描写も、かれらの念仏や太鼓のうるささを、ただ「ドンツクドンツク!」と地の文にさしこむという、下手すれば幼稚にも思える手法をとりながら、適切なタイミングで行われているため、雰囲気は減じることなく迫力とスピード感を増しているのも見事。

『室町少年倶楽部』は八代義政がまだ十歳でありながら将軍、細川勝元が十六歳でありながら管領として過ごしているシーンからスタートするが、この事態の原因となったのが『室町の大予言』で描かれた嘉吉の乱であるため、スムーズに続けて読めるのも素晴らしい。
『室町少年倶楽部』は三章構成になっており、一章では少年である三春丸(義政)、勝元の兄弟のごとき友情と冒険を、子供向け活劇のような文体で語っている。
それが二章で二人が青年になった瞬間に文体すべてが歴史小説然としたものとなり、物語も性と政のなまぐさい話へ転換する、この仕掛けが見事。
一章が爽やかであるだけに、この仕掛けが効いている。義政、勝元が一章で描かれた根本の人格をなにも崩すことなく、お互いの気持ちが離れていく過程を自然に描いている。
二人だけではなく、今参局、日野富子、山名宗全、みな一章で示されたキャラを崩すことなく、大人になるにつれいやな奴になっていくさまが描かれている。

しかも中盤ではちゃんとエロシーンを入れて読者を飽きさせない工夫もしているし、それが主要人物の変遷を描く大事なシーンとなっているのも見事としか云いようがない。
後半、狂気を深め文化の人として逃げていく義政の弱さは涙を誘う。政治家たちの矛盾した論理への切り込みは冷徹でありながら、情としては理解できる余地ものこしている巧妙さはどうだ?
ここまでぐちゃぐちゃになった事態を、果たしてどうまとめあげて終わらせるのかと思っていたら、ラスト一行の見事なまとめ方!

 ――このとし、応仁元年。
応仁の乱が起こり、これを端緒として戦国時代が訪れる、いわば大崩壊のはじまりを示唆する言葉なわけだが、それをたったこれだけの言葉につめこむ切れ味の鋭さ。
久々に文章読んで「カッコイイ」と惚れ惚れした。
この〆は理屈じゃなくただカッコイイ。
そして読み終わって見直したときに切なくなるこのタイトル。

優れた物語は必然と偶然との間にこそ生まれる。
必然は作者の導きであり、偶然は物語自体の求める道だ。
それの交わりあう場所を見定める能力こそ優れた語り手の技であり、山田風太郎は稀有なほどに優れた語り手である。そう思わしめるに足る二編だった。
ちくしょう、このわざとらしい見せ場や大仰な言葉が嫌味にも笑いにもならずぴたりとはまる才能、どこに売ってるんだ?

(08/6/2)







  剣鬼喇嘛仏  うな

剣鬼喇嘛仏―山田風太郎忍法帖短篇全集〈12〉 (ちくま文庫)
山田 風太郎
筑摩書房





時代小説の短編集。
最後の忍法帖だとかとか。ほんとですかー?(調べてない)

田沼意知が考え出した奇案とは、なんと官営遊郭。しきるのは服部一族 ★『女郎屋戦争』
藤堂家の嫁入りした娘の弟は、なんとも得体の知れない禿男で…… ★『伊賀の散歩者』
ちんとまんに当てて音を聴くと伴侶がわかるという珍妙発明 ★『伊賀の聴恋器』
梅毒で鼻のもげた結城秀康。なんと部下のちん肉を鼻に移植 ★『羅妖の秀康』
武蔵にライバル心を燃やす主家の次男わ止めるため、くのいちの打った手は文字通り咥えて離さない ★『剣鬼喇嘛仏』
民族浄化に励む八戸藩に挑む三人の忍 ★『春夢兵』
甲賀を伴天連にくれてやるという信長の決定に叛いた忍者の打つ手とは? ★『甲賀南蛮領』

いやー、ばかばかしい。
そして面白い。
全編これ「あるあr……ねーよw」という展開の塊でたまらない。
一年間なかに入れっぱなしってどんだけ痙攣してんだよ。なんで幕末に人を殺傷しめる空気銃があるんだよ。ちんこが鼻になるわけねーだろが。その強すぎてやばすぎる神父はどうみてもモズグズ様だろ、とかいちいち突っ込みたくなるくらいにツッコミ待ち。
「ふざけてるでしょ?」という作者のニヤニヤ感がたまらない。
それでいて各キャラクターには愛嬌があり、滑稽でありながら、その死に様のあっけなさがなんとも切ない。短い中で人間の機微をよく書いている。みんな真面目に不真面目。
長編とはまた文体のちがう書き方が、ストンとあっけなくおわる落語のような展開と相性抜群で、いやいや文体の変幻自在さもまさに職人。

ことに『伊賀の散歩者』の悪ノリとサービス精神がすごい。
時代小説でありながら、全編これ乱歩作品と乱歩自身のパロディになっていて、よくもまあこの枚数にこれだけ詰め込んだものだと素で感心した。よくよく好きじゃないとできない。それでいて禿だのブサ衛門だのひどい扱いなのがいい。
どうやら山田風太郎は乱歩大好きっ子らしい。へー。
なるほどねー、リアリティや説得力よりもまず奇想ありきなのねー。だから面白いんだ。つうかおれに合うんだなー。

しかしまあ、山田風太郎はほんとにどの作品も古さをまったく感じないな。頭おかしいんじゃないかしら。

(08/6/6)







  伊賀忍法帖  うな

伊賀忍法帖―山田風太郎忍法帖〈3〉 (講談社文庫)
山田 風太郎
講談社





時は戦国、狡猾かつ俗悪な性で知られる松永弾正は、主家の夫人である右京太夫を欲していた。
そんな弾正のもとを稀代の幻術師である怪人、果心居士が訪れる。
果心居士は弾正の望みをかなえてやると云い、彼に七人の僧を貸し与えた。かれらこそ、果心居士の術を直伝された根来の忍法僧であった。
僧たちは美女を集めて犯し狂わせ、その愛液を煮詰めたものをもって強力な惚れ薬を作り始める。犠牲者の中には、伊賀を抜け出し駆け落ちした若者、城太郎とその恋人もあった。
仇を討つことを誓った城太郎は、単身、七人の怪僧に挑むのだが……

相変わらずのハッタリが効いていて、しつこいながらもどこか無邪気なエログロ展開がむしろほほえましいのは、やはり乱歩の系譜だからか。
根来の忍法僧は不気味できんもいし、その能力も面白い。
一方で、松永弾正という、戦国にあらわれた一人の魔人を題材にしているところも面白い。
しかし、面白くはあるのだが、その松永弾正のくだりと伊賀対根来のくだりが、ちと分離しているというか、弾正の強力なキャラにちと余計にひっぱられてしまったかな、というところがある。たしかに、題材として面白い人物ではあるのだが。

また同時に、柳生新佐衛門という男が、最初と最後だけおいしいところをもっていくのが釈然とせず、いったいこりゃなんだ?と思ってしまった。
忍法帖シリーズとしては中期の作品で、だからいろいろ変化球を入れようとしたのだろうけど、ちょっとうまく消化しきれていないかな、という気がした。

ものすごい高い木から振り子運動でおちてきて、さらに体術で勢いを増し串刺しにするのが「OH!NINJA!」という感じでカッコよかった。
あと根来忍者は女の陰毛を糸代わりに手術したり、女の月経に紙をひたして武器にしたりとかして……汚いなさすが忍者きたない、と思った

でもまあ、基本的には面白かった。
風太郎のハッタリの利かせ方はうさんくさくてクセになるなあ

(08/6/16)







  かげろう忍法帖  うな∈(゚◎゚)∋

かげろう忍法帖―山田風太郎忍法帖〈12〉 (講談社文庫)
山田 風太郎
講談社

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忍法帖の短編集。

朝倉家にあらわれた、腕を切られても一月後には再生する忍法者 ★『忍者明智十兵衛』
伊達騒動の前夜、由比正雪に仕えた変幻自在の顔の持ち主 ★『忍者仁木弾正』
淀の方より楊貴妃の鈴を盗んだものの正体は…… ★『忍者石川五右衛門』
公儀御庭番が追う恐ろしい忍者 ★『忍者枝垂七十郎』
赤坂見附で忍法指南をはじめた怪しい男の真意とは? ★『忍者車兵五郎』
服部半蔵が捕えることとなった三人の盗賊の正体 ★『忍者向坂甚内』
家康の影として仕えた恐るべき忠臣 ★『忍者本多佐渡守』
みずからの肉体を自在に殺す ★『忍者玉虫内膳』
今昔物語集の一部を風太郎流に翻案 ★『「今昔物語集」の忍者』

なんとも鮮やかな短編集。
歴史の流れを大胆かつ的確に捉え、事件と事件の間の不可解さを、忍法という大胆な解釈で見事につなげていく手法にはアッと云わされる。
ことに明智光秀の出自と本能寺の解釈を描いた『忍者明智十兵衛』は、その奇想、娯楽性、構成の妙、すべてに優った逸品。
『枝垂七十郎』など゛も正統派のどんでん返しが美しく決まった好短編だし、『忍者仁木弾正』や『忍者玉虫内膳』は文章も展開も不気味で怪談話のようだし、組織を守るものの卑劣さ苛烈さを描いた中篇『忍者本多佐渡守』はまた、ほかのまったくちがう味わいがある。
いずれもまったくちがう味わいの作品が、しかし忍者という一つのつながりをもって統一感のある世界を作り出している。

歴史小説としても時代小説としても単純な娯楽小説としても楽しめる懐の広さ。これが古びない秘密だろうか。
ともあれ、長編よりもなお鮮やかさの目立つ短編集であった。

ちなみに、ぼくが読んでいるのはAAにも貼ってある講談社文庫版なんですが、これには巻末に新本格作家たちの風太郎に関するエッセイがついていて、この巻は法月倫太郎だった。
法月くんはあいかわらず、知識は広いしミステリー愛はすばらしいのかもしれないが、ぐだぐだと古今のミステリー作品をあげていき、その説明があまりうまくないのでイライラする味わい。
しかし小説よりもミステリー評論やミステリーエッセイのほうがずっと思いしろい人であるのも事実であった。

『伊賀忍法帖』のエッセイは京極夏彦で、こちらは「忍者」というのが山田風太郎によって命名されたことにより生み出された妖怪であるという説を唱えている。
「忍法名人」だといまいちだけど「忍者」だとカッコイイ。だからみんな風太郎の真似して忍者と呼ぶようになった。
京極夏彦がいいたいのこれだけだしw
京極夏彦のいいところは、これだけ博学であれだけだらだらと事例を枚挙しておきながら、最終的な結論ではとても感覚的なことを言い出すところだ。
つうか感覚的な結論を補強するのにトリビアを入れまくっているだけで、実際は京極先生はさして知的なことは云っていなかったりする。そこが読みやすさ面白さにつながり、ヒットしているんじゃないかな、とななんとなく思った。

(08/6/21)







  忍法忠臣蔵  うなぎ

忍法忠臣蔵―山田風太郎忍法帖〈2〉 (講談社文庫)
山田 風太郎
講談社





あらすじ
元禄赤穂事件……いわゆる忠臣蔵の裏側では忍者同士の争いがあった。
討ち入りをもくろむ赤穂浪士たちを暗殺しようと、上杉家は忍者を差し向けた。
だが、上杉家の家老は、いまここで赤穂浪士たちが暗殺されれば世の疑いが上杉家に向けられるであろうことを察し、暗殺阻止のために五人のくのいちを差し向けた。
暗殺ではなく色によって赤穂浪士を堕落させようと目論むくのいちであったが、先に差し向けられた暗殺者たちと争うことになる。
忠義と女が大嫌いなはぐれ者の忍者・無明鋼太郎はくのいちの監視役となり、争いを見届けることになるのだが……

史実において、赤穂浪士たちは決起までに何人かが脱落しているのだが、その脱落の陰には忍者の暗闘があった、という設定がまずしびれる。史実の合間、というのをうまいこと狙っているものだ。
さらに赤穂浪士のダメッぷりと、主君の迷惑具合、将軍家の気まぐれといいかげんさ、家老の苛烈な忠義、そういった人間臭すぎる政治模様がたまらない。同藩で暗殺部隊と暗殺阻止部隊が出動していて、それが浅野家でも吉良家でもないって、どんだけ錯綜しているんだよ。

さらに忠臣蔵を題にとっておきながら、いや、だからこそ、徹底して忠義というものの欺瞞、迷惑さ、気持ち悪さを描ききっているところが素晴らしい。
忠義のもろさ、忠義の生んだ狂気、忠義の名のもとにでうちすてられる人々の命、人生。そういったものを執拗なまでに描いている。
ここまで真っ向から忠臣蔵を否定しておきながら、最後にはしっかり史実につなげていく構成力の巧みさあざとさにはただただ脱帽してしまう。

もちろん、いつもの荒唐無稽な忍法合戦も素晴らしいし、くのいちメインなのでエログロ展開多めでサービスもばっちり。単なる娯楽物としても十二分なクオリティを保っている。

難を云うなら、主人公か。
惚れた女が玉の輿に乗ろうとしたから女嫌いになってみんなぶっ殺す、という逆ギレする現代の若者みたいな性格でありながら、狂言回してきな役割のため理不尽なほどの無敵っぷりで皆殺ししまくる主人公が、もうなんだコイツとしかいいようがない。なにをしたいのか読者にも本人にもわからない。やばい。
あまりにもひどいのでちょっと魅力的ですらある。

とにかく赤穂浪士を題にした作品として、あまりにも異色であるがあまりにも完成度の高い一作。
むしろ忠臣蔵好きならこっちも必読だろと云いたくなる作品。
忍法帖と歴史物の融合という点で理想的過ぎる。
常に弱者の視点、はぐれ者の視点、ダメ人間の視点で物事をとらえる風太郎史観がたまらない、たまらないんだZE!

(08/10/4)






  くのいち忍法帖  うなぎ

くノ一忍法帖―山田風太郎忍法帖〈5〉 (講談社文庫)
山田 風太郎
講談社





滅亡した豊臣家より、祖父徳川家康のもとへ取り戻された千姫。
しかし彼女は亡夫豊臣秀頼の意を継ぎ、豊臣の血を残すことを目論んでいた。
真田幸村の策により秀頼の子種を受けた五人の信濃くの一と、彼女らを暗殺せんと送られた五人の伊賀忍者たちの暗闘がはじまった。

という感じでいつもの忍法帖なんですが、やはりくの一とつくだけあってエロイ。でもエロイというかグロイ。
特に精液がとりもちになったり膠になったり革になったりと便利すぎる忍法を使う奴がいて、垂れ流しすぎて笑った。また、忍者以外にも鎖鎌の達人で乞食の格好をした大女の妊婦とかが出てきて、キャラが濃すぎると思った。

ただの忍法対決、というだけならあまり高く評価はできないが、今作は春日局や紀州大納言、家康など、史実で重要な役割を果たした人物を濃密にストーリーに絡ませ、それでいて史実から逸脱させないというあらわざをこなしているので、惚れ惚れとする。特に家康の死因のくだりはアッと云わせられた。
つまりはいつもの風太郎で、実に見事な出来栄え

巻末エッセイの花村萬月も面白かった。
山田風太郎と比して司馬遼太郎を出し「うざったいんだよねー」と述べ、『竜馬がゆく』に対して「行ったまま、帰ってこなくていいよ、竜馬クン」と言い放つなど、なかなか愉快に反体制していていい。今度、小説も読んでみよう。

(08/10/25)







  婆沙羅  うな

婆沙羅 (講談社文庫)
山田 風太郎
講談社





歴史物。
南北朝時代、婆沙羅と呼ばれ好き勝手に生きながらついには幕府を牛耳るにいたった佐々木道誉の半生を描いた作品。

これはいやな『花の慶次』ですね。
天皇なのに邪教をあがめる後醍醐天皇。
人間味しか取り柄がない足利尊氏。
有能だが嫌われ者の足利忠義。
勇猛だが傍若無人な高師直・高師泰。
冷静に狂っている楠木正成。
そんな嫌な人だらけの政敵を、遊び人のふりして裏で潰し合わせ、棚ボタ的にのしあがっていく佐々木道誉が実にいやな風流人。
これ一冊で南北朝のいや〜んな感じが満喫できる。
風太郎先生は歴史をいやなものとして認識させるつもりか!
でもまあ、現代で政治の場で行われているのは醜い足の引っ張り合いなわけで、昔もそうだったんだろうなあ、人間だもんなあ、としみじみ感じさせてくれる。

ただ、佐々木道誉を題にとったわりには、結局傍観者に過ぎず、婆沙羅というよりはただのうざいハゲという感じで、自分が南北朝時代に疎いのもあいまって、なかなか入り込めなかった。
人間の良いところと悪いところを表裏一体に描く手腕は流石の一言だった。

義満が世阿弥をアンアン云わせているのを見て道誉が憤死するラストは良かった。なにいってるかわからねーと思うが本当にそのまんまだ。
栗本先生はなにかでこの作品について言及したことがあるらしいが、やっぱりオチホモだったから読んだのかしら?(いや、たぶん同名の作品を書いてたから、参考に読んだんだろうけど、でもやっぱホモだからだよね)

(08/10/4)







  忍者月影抄  うな

忍者月影抄 (河出文庫)
山田 風太郎
河出書房新社





風太郎のいつもの忍法帖。

八代吉宗の偽善者ヅラが気に食わない尾張藩主は、吉宗がかつてお手つきした十八人の女をさがし、それをさらし者にしようと忍者を使って画策する。
一方、それを察した幕府は、その女たちを殺すためにやはり忍者はさしむけたのであった……

いつもの風太郎、としかいいようがない。
元が将軍と藩主のくだらない喧嘩でしかないため、目的においていまいち盛り上がりに欠ける。
とはいえ、荒唐無稽な忍法と、とにかくやたらみんな死ぬ無常感はいつも通りのクオリティ。
特に尻から腸を出して自在に操るという忍法「足三本」は、どう考えても自爆技っぽくて無茶苦茶で素敵。
あとはさして特筆することのない、本当にいつもの忍法帖だった。

AAでは河出文庫版を貼っているが、読んだのは講談社ノベルス版で、解説は菊地秀行だった。
やたらと本文を引用しまくって、先に読むとネタバレ著しいうえに、あんまりにも引用しまくって、しかもどこが引用部分なのかわかりにくいため、いまいちなに書いているのかわかりにくい解説だった。
ただ

男と男のセックスシーンを、本質的には男と女と何ら変わらない凡庸な感覚で描写し、「耽美よたんびよ」とうっとりしている「大作家気取りのいま風の連中」


というのが誰を指しているのかはすぐにわかりました(爆)
いや、関係ないのに書き出すあたり、ここはちょっと菊地先生が大人げないし小物っぽく見えるなあ。

(09/1/21)










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