タイトル | 評価 | 一言メモ |
チョウたちの時間 | うな | 謎の復刊 |
地球・精神分析記録 | うな∈(゚◎゚)∋ | ハードSFで仏教でアクション。これはいい。 |
神狩り | うな | 伝説のデビュー作。古臭ぇ |
ジャグラー | うな | アイデアと最初の勢いは凄い |
竜の眠る浜辺 | うな | 凡人の凡人たる力作的凡作 |
日曜日には鼠を殺せ | うな | なぜこの設定で中篇を書くのか、それがわからない |
イノセンス After the Long Goodbye | うな∈(゚◎゚)∋ | ハードボイルドSF。ノベライズとしては出色の出来 |
弥勒戦争 | う | ふ、ふるくせぇぇぇぇぇぇ |
不可思議アイランド | うな | おっさんくせぇぇぇぇぇぇ |
最後の敵 | う | ふっるぅぅぅぅぅぅぅぅ |
宝石泥棒 | うなぎ | 全力投球の大暴投 |
SF。ラノベ? 時間粒子の存在に気づいた物理学者のマヨラナは、人類の歴史を操る敵と戦うため、時間人となって純粋時間の中を彷徨い、原爆の誕生を阻止しようとするのであった。 なんかけっこう入り組んだ話なので、めんどうくさくなって簡単な書き方をしたら、非常につまらなさそうになった。特に反省はしていない。 これ、徳間デュアル文庫っていう、徳間のラノベレーベルから出てるんだけど、おれ、このレーベルがけっこう好きでね。 SF作品の中からラノベっぽいのを見繕っては、挿絵を入れて「はい、ラノベ」と言い張るその姿勢が、なんとも売れなさそうで、たまらない。 つうか、古い。このレーベル。創設は新しいのに、感覚が古い。 SFマガジンとかSF大会のにおいがする。しすぎる。 だからがんばってください。 で、この作品ですけど。 んー。 山田正紀って、星雲賞を何度も受賞してるし、筒井康隆もほめてたし、ミステリでもわりと評価されてるし、微妙に自分のアンテナにかかるから、これでもう7、8冊読んでるんだけど、んー、あれだな、根本的に文章が好きじゃないんだな。 光瀬龍あたりのラインなんだろうけど、硬質な文章が、SF的で悪くないんだけど、どうにも好きになれず、いつも出だしでひっかかる。 特に風景の描写とかでひっかかるんだよなあ。 で、キャラクターもいまいち好きなのいないし、ストーリー展開は急すぎておいていかれるし、オチはいつも唐突だったり、ぴんと来なかったり、面白みにかけたり。 じゃあ、つまらないのかというと、実は設定と構成はじつにおれ好みなわけで。 今作の「純粋時間」とか「トボット」とか「ブラフマー」とか「敵」とかの設定、凡庸な教師が、ひょんなことから故郷にもどり、自らの出生を知るくだり、そこから一気に戦前のドイツへ飛ぶ大胆な構成、バラバラな事象をつなぐ、象徴としての「チョウ」という小道具などは、実にぼく好み。 なのになんでこんなに読後感がいまいちなのだろう。 山田作品はいつもそうだ。 なんだかなあ。 でもまあ、面白かった。 かなり意味がわからない部分が多かったけど。 (06/7/28)
連作短編SF。 感情を失った人間が増えつづける未来の地球。 人々は感情を象徴する四体のロボット“悲哀”“激情”“愛”“狂気”をつくり、 かれらに感情を代弁させていた。 しかし、かれら神話ロボットこそが人類を堕落させたと目する者たちがあらわれ、それぞれのロボットのもとに、一人ずつ刺客を送り込む。 刺客はそれぞれのロボットのもとで不可解な経験をする。 果たして狂っているのは彼ら自身なのか、あるいは世界のほうなのか…… というようなお話で、こ、これはハ、ハードSFではないか。 たまらん。 仏像でロボットでたまらん。 この大上段にかまえた世界観と心理学・哲学。 まさにハードSF。厨房臭いほどにハードSF。素敵! 実はこの人の文章はあまり好きではなく、以前、数冊読んで見切っていたのだが、この本はあらゆる設定、ガジェットがツボを押してくる。 若書きくさいところがまた良い。30年も前の作品とは思えん。カコイイ。 やっぱ時代はハードSFだな! と思った。 イラストもいい仕事してる。 しかし、オチがちょっと弱かった気がしないでもない。 もうちょっと頭をズガンと打ち抜くような一文があれば素晴らしかったのに。 けどまあ、良作。 「最後の敵」「宝石泥棒」「神狩り」に興味を持つ。読んでみよう。 (06/9/10)
長編SF。 天才学者である島津は、ある日、作家の導きで奇妙な紋様を見せられる。 直感でそれを古代文字だと見抜いたが、突然の落盤事故により作家は死亡、彼もスキャンダルにより大学からの謹慎を命じられる。 しかし彼は謎の組織に連れ去られ、古代文字について研究をさせられる。その研究から導き出されたものは、古代文字が人間の論理では理解できないものであること。すなわち、人間とことなる論理をもち、世界を操る存在、神がいることの証明であった。 やがて島津は神の悪意に気づき、神を狩りだすことを決意するが…… 山田正紀が23歳の時に発表され、SF界において一躍若き天才の名を与えたSFの金字塔。 なんだけど、なにこれ? むっちゃ未完。 絵に描いたような「おれたちの戦いはまだこれからだ」END。 自分達をあやつる見えざる力を対する怒りは美しいし、イエス・キリストは反逆者であり、神によって殉教者にさせられた被害者、という観点は面白い。 しかし、このSF第二世代筆頭であるところの山田正紀よりもさきに、第三世代の中核である神林長平がおれは大好きで、見えざる力、謎のルールに対する反逆という意味では神林の方が徹底し、また面白いため、いまさら感が強かった。 もちろん、この作品があってこその神林の登場となるのだろうが、要するに、おれは読むのが遅すぎた。 でも、昨年、三十年ぶりに待望の続編が出たそうなので、それはそれでまた楽しませてもらおう。 若さゆえの反逆の狂熱が、三十年を経てどう結実したのか、興味深い (07/8/3)
SFアクション。 あらすじ ファジーコンピューターの作用により、期せずして現実に浮かび上がった、この世とあの世の狭間にある世界ファームランド。 東京湾に浮かぶそこはアメコミ調の極彩色で彩られ、罪人と社会不適合者のみが住む、一度はいったら二度とは出られない街。 リョウはファームランドの浮浪者だ。だがその正体はアメコミヒーロー・ジャグラーである。 ファームランドを支配する霊界の五使徒とジャグラーの戦いが、いま始まる! ……と、書くとまるで普通のヒーロー物みたいですよね〜 山田正紀という作家の特性を一言で表現するなら 竜頭蛇尾 これに尽きる。 本当にもう、出だしとか設定とか聞くと、マジ天才なんじゃないかと思うことが多々ある。 『神狩り』しかり『地球・精神分析記録』しかり『ミステリオペラ』しかり、そして本作もまた。 まず最初に死んだのは、スパイダーマンだった。 このオープニングに衝撃を受け、さらにその後、スーパーマン、バットマンが次々とぶち殺される異常な展開の速さに脳髄がガツンとやられる。マジ天才なんじゃねえの?と思った。 フーイズイット? フーイズイット? フール? フリーク? フー フー フー フー ジャグラー! というテーマ曲もよくわからんがカッコよく、霊界がコンピーターの力で現実化するというぶっ飛んだ設定も含めて、序盤のドライブ感がすごい。とにかくキャラの立った敵が異常にサクッと死ぬので、もうついていくのて精一杯。マジ天才の所業。 でも、なんかいつものことですが、中盤あたりでよくわかんない方向に行きはじめ、最終的にわけわかんないことになって終わる。これもまたいつも通り。 なんだろうなあ、惜しいんだよなあ、いつもいつも。作者とおれの気が合わないとしか言いようがない。もったいないもったいない、ものすごくもったいない、という気持ちばかりが残った。 もっとこう、俺に親切にしてよ山田先生!ほかのやつはどうでもいいからおれにデレてくれ! (07/11/11)
長編SF。 なんの変哲もない寂れた田舎町、百合ヶ浜。 そこに住む何の変哲もない普通の、ちょっとさえない人々。 やり手の強欲経営者。無気力なその息子。療養中の夢見がちな少女。少女だけが生きがいのおとなしい両親。都会からバイクで遊びにきて、事故って旅費も無く途方に暮れる二人組の不良。両親を事故で失った少年。やることのないお節介なタバコ屋の婆さんと自堕落な飼い猫。都会の恋に疲れた女。遺産を食い潰して適当に生きるライター。 そんな彼らの生きる町に、ある日突然、異変が起きる。 森はジャングルと化し、海にはアンモナイトが住み、空にはテラノドン、道路にはトリケラトプス。街は突然に白亜紀となり、外部に出られなくなってしまったのだ。 はじめは困惑と混乱の内にあった人々は、やがてこの環境に活路を見出し、生まれ変わっていく…… 山田正紀という作家を見誤っていたんだな、と不意に思う。 なにもこの作品が特別になにか違うわけではない。敢えて云うなら山田作品の中では珍しくのどかな青春小説(と、巻末の解説で新井素子が云っていた)であるというところか。 だが別にそこは問題じゃない。 山田正紀と云えば、二十四歳の若さで『神狩り』を発表、若くして成熟した文章と斬新なアイデアで天才の名を欲しいままにした作家だ。SF作家としては星雲賞や日本SF大賞を受賞、ミステリ作家としても十分な実績を残し、その著作は長短合わせ150余冊にも及び、デビューして三十年以上が経つ今もなお精力的に活動する前線の人だ。 だが、あまりにも天才天才と評されるからだろうか、実際に読んでみると、確かに面白いアイデアではあるのだが、天才というほどのものなのだろうか、という疑問が常にあった。 が、なんのことはない。この人は天才なんかじゃない。 ただひたすらに精力的で、ただひたすらに読むことに熱心で、ただひたすらに読者と物語に忠実であるだけだ。天才のひらめきなど、そこにはない。 小松左京ならこうする、筒井康隆ならこうする、光瀬龍ならこうする、しっかりと読む、そのうえでならば自分はこうする、と次の手を打つ。彼のやっていることは、悪く云えばほとんど二番煎じに過ぎない。 光瀬が『百億の昼・千億の夜』、小松が『果しなき流れの果に』で示した超存在に、アンサーするように描かれた『神狩り』につづく初期の神シリーズ。あるいはあれらは運命などへの反抗であると同時に、偉大な先人作家たちへの反抗であったのではなかろうか。 山田正紀は独創の人ではない。先人がいて、それに対抗してアレンジしてようやく書ける人なのだ。 本作『竜の眠る浜辺』は小松の『首都消失』に対する明確なアンサーだ。 小松は科学的調査を軸に、聖書にある神の怒りで塩と化したソドムとゴモラの街を思わせる謎と恐怖を演出した書き方で『首都消失』を手がけた。 それに対して山田は、消失した都市の内部を、絶望ではなくむしろ希望の場所、再生の地として描いた。そこに科学考察は一切無く、あるものはあるものとして受け入れなくてはならないと主張して、人々をそこに適応せしめた。 敢えて逆をいく。他人の半端ずれたところを描く。山田正紀が描きつづけているのはただそれだけだ。 彼は結果的に作家になった人間ではなく、作家になろうとして作家になり、作家でありつづけようとして作家でありつづけている。だからこその精力的な活動であり、その結果としての百五十余冊なのだ。 彼の一見奇抜と思われる着想はすべて驚かせ手にとらせるために考えついたものであり、物語のために自然と出てきたものではない。彼の書く文には一つ足りとも自然に出てきたものはないのだ。すべて彼が自らの意思で力でなかば強引にひねり出しているものなのだ。 彼に学び、尊敬するべきは、作家であろうとする、一人の職人の意思だ。 今作の出来こそ凡庸だが、凡庸ゆえに力強い、ある意味ではもっとも彼らしい作品となっていた。 (07/12/19)
中篇SF。 独裁者に支配された未来。 反逆の罪によって捕らえられた八人の男女が独裁者の要塞、恐怖城の地下へと下ろされていた。 一時間以内に三つのフィールドを抜けることが出来れば無罪となって許されるという。 しかし背後からは殺人機械が迫り、進む先には罠が控えている。すべては独裁者の実験のための装置なのだ。 絶望的な状況の中、それぞれの思惑を抱えて彼らは走り出す…… なーんで、中篇の依頼がきてこれを書いちゃうかなー。 明らかにページが足りてないでしょ? 現に三つの実験のうち、一つ目の実験でほとんどのページがとられちゃって、あとはバタバタとキャラクターが死んで無理矢理終わってる。もったいない。 スティーブン・キング(というよりは、別名のリチャード・パックマン)を思わせる硬質な設定と文章で語られる世界は男女ともに力強く、映画『キューブ』を思わせるシチュエーションホラーのテイストもあり、非常に魅力的に仕上がっている。 が、なにを言うにも短すぎ、未完成の感を与える。三つの実験をちゃんと見せて欲しかったなー。 いいタイトルだけど、意味不明だなあ、と思ってたら、有名な映画からのいただきなのね。納得。 (07/12/21)
長編SF。 映画『イノセンス』のノベライズ作品。 映画版の前日譚となっている。 素子を失ってから、愛犬ガブ以外に心を開かない日々を過ごすバトー。 ある夜、いつも通りにガブのエサを買いに行った帰りに、印象的な若い浮浪者アンドウに出会う。それが、バトーと国際的サイバーテロリスト「ブリーダー」との戦いのはじまりであった…… いや、いいね。ノベライズ作品としては極めて稀な成功例。 原作を尊重し、かつ作者の持ち味を出すという、まさに理想の形。 オリジナルエピソードでありながら、ここに描かれているのは確かに押井守の(士郎正宗ではなく)描きたかった未来図であり、バトーの姿である。 そもそも根本的に、SF・ハードボイルドってのがいい。ハードSFであり、かつハードボイルド。たまらないね。大好きさ。 しっかりと犬と魂にまつわる物語であり、簡潔な文書で明快なアクションが語られている。そしてここにある文章は「重い」 といっても勘違いしないで欲しいが、精神的に重いわけじゃない。 電車よりSLが、オートマチックよりリボルバーが、視覚的に重さを感じさせる、そういう意味での物理的な「重い」だ。 その重さが、バトーというサイボーグの内包する悲しみを、素子を失った欠落を十全に表現している。 自らを「ジャンル小説書き」と呼ぶ山田正紀らしい、山田正紀にしかできないノベライズ。 これを読んでいるかいないかでバトーへの理解度が段違いなので、やはり映画の前に読むことをお薦めしたい。あるいは読んだ後でふたたび映画を見て欲しい。 巻末についている押井×山田の対談も、同年代の二人がお互いをリスペクトしつつ作品世界を濃密に語っているのがいい。 それにしても驚かされるのは山田正紀の勉強意欲というか、挑戦心というか。 いい年こいてるのに、いまだ押井守やら西澤保彦やら上遠野浩平やをがつちり読んで、ちゃんとそれぞれ評価している。枯れないなあ、こういう人は。 栗本先生とほぼ同期で同年代、かつ多彩なジャンルで活躍していると言う共通点のある人なので、なんだか複雑な気持ちになるよ。 なまじ大ヒットシリーズを持たなかったのが良かったのかしらねえ。 (08/1/18)
長編SF。 自ら滅ぶことを宿命とした超能力一族、独覚。 時は1950年。独覚一族の使命は果たされようとしていた。しかし長は数少ない一族に新たな使命を申し渡す。 朝鮮戦争を利用し、世界大戦を引き起こそうとする悪しき独覚を倒すのだ。 その独覚の名は、五十六億七千万年の眠りから覚めた救世主……弥勒。 いま、独覚一族最後の戦いがはじまる! みたいな話だと思う、多分。 全四章なのに、三章くらいまで設定の説明してて、その説明も「おいおい、これ単に主人公の妄想じゃね?」というくらいに説得力のない、言葉だけのうすっぺらいものばかりで、これ大丈夫かよ、と思っているうちにあと60Pくらいになってて、あれー、とか思っていたらいきなりみんなバタバタと死んで終わった。ラスボスの弥勒は出てきた2P後くらいに消えた。おまえはやる気あるのかと。 なんだこれは、一気に仕上げたのに、まるでジャンプの打ち切り漫画のような感じだな。 むしろこの無駄に宗教がかっているけど、ストーリーになんの実体もないあたりは石川賢の漫画だな、これ(つうか石川賢がこの辺の時代のSFに影響受けてたんだろうけど) じゃあ未完、ということで一つ(いやまあ、この作品自体はどうでもいい感じに完結してますけど) ま、この時代によくあった、超能力とかが出てきた瞬間につまらなくなるSFの典型みたいな作品でした。いまとなってはふっる〜だっさ〜としか思えない悲しみ。 設定つくっただけで力尽きるとか、肝心の設定の説明の仕方が下手とか、脇役の扱いが雑とか、女キャラがびっくりするほどどうでもいいとか、時代独特の空気をつくれないとか、読み終わってすっきりしないとか、冴えない若者のルサンチマンだけビンビンとか、本編より2Pのあとがきの方が面白いし深いとか、山田正紀の問題点がすべて露出したような、そんな若書き作品でした。 タイトルと出だしの数ページはいつもいいんだけどねー、やまだま先生は。 なんでこうなるのかねー。 (08/6/1)
いろいろなジャンルのものを読せ集めたごった煮短編集 木星に現れた謎のアジテーターを追う連作SF ★『木星の赤い海』 上記の続編、火星でのアジテーター暗殺を描く ★『火星の戦士』 女の骨に恋した男の愛を描くショートショート ★『恋と幻』 生態系の進化に言及するショートショート ★『魚の研究』 官庁から届いた自殺勧告通知 ★『自殺省』 ラーメンだけが生きがいのサラリーマンを描いた ★『ラーメン大好き』 定年を迎えた男の帰途を描いた ★『狐ヶ丘分譲住宅』 日暮里に伝わる、幕末にあった湯屋のお手柄話 ★『たらちね』 五十を越えた宮本武蔵は若き武芸者をおびえる。剣豪小説 ★『おれの影』 周囲の男を破滅に導く女。サスペンス ★『滅ぼす女』 スナイパーを襲撃したのは果たして敵は何者なのか?サスペンス ★『狙撃プラスワン』 別荘地帯の山で起きた浮浪者のたれ死の真相とは?ミステリー ★『別荘の犬』 以上12編収録。 山田正紀という人は栗本薫と対比して考えるといろいろ面白いな、という気持ちでけっこう読んでいる節があるんですよねー。 で、この本はいろいろなジャンルの小説を寄せ集めて一冊にまとめたもので、これは栗本薫がかつて別々のジャンルの小説を書き分けるということをした『十二ヶ月』と対比させると面白いかな、と思って読んでみたんですよ、実際。奇しくもどっちも12編収録だし。 ジャンル小説書きを自称する山田正紀が、実際どれだけ書きわけられているのかな、という興味もあったしね。 で、感想としては「おっさんくさー」の一言だった。 おかしいなー、これ書いた当時は著者はまだ三十代中盤でそこまでおっさんじゃないはずなのに、なんでまたこうも揺るぎなくおっさんなのだろうか? ともかくしょぼくれた男の哀感を描いた作品ばかりで辛気臭い。が、妙にいたについているところもあり、なんかこれがこの人の金鉱なんじゃないかって気すらしてきた。 情熱だけでさきばしる→老いてなにもできず哀感を漂わせる。 という男の人生の最初と最後しか描けない、そんな素敵な山田先生なのかも知らぬ。 その最初と最後しか描けないというのは個別の作品ごとでも同じで、キャッチーな設定をもってきて、それなりにうまいところに落としはするが、真ん中がすっぽ抜けていて説得力に欠けるというわかりやすすぎる短所が、収録されている作品のほとんどにあてはまる。 しかし近年、その真ん中の部分をみちみち長々と書いた結果、たしかに説得力も多少は増したがそれ以上に長くだるく鬱陶しくなったという結果を考えると、それは考えないでよいことだったのかもしれないね。 収録作品の中では意外と『たらちね』『おれの影』という二作の時代劇ものがよかった。 おっさんくささが時代にあっていたのかもしれない。 全体的には、ジャンル小説書きとしては無難ではあるが上手くはないな、という感想。 プロフェッショナルではあるが、芸術家ではないのかもなー。 そこが安定した作品を生み出す秘訣なのかもね。 でも、だから評価が高い割には忘れられてるというか売れてないというか熱狂的ファンが少ないというか…… やっぱSFというジャンル自体がおっさんくさい方向性に向いてないのがいけないんだと思うお。おっさんくさいのは時代小説だけでいいんだお。 正直、やっぱり山田正紀はどうでもいいかなー、という気がしてきて仕方がない。面白いつまらないとかじゃなくてどうでもいい。 『宝石泥棒』と『最後の敵』だけは読んでおきたいので、うんざりする前に読んでおくかなー。 (08/6/11)
長編SF。第三回SF大賞受賞作品。 大学院で遺伝子について研究している森久保与分には悩みがあった。まだ若いのに勃たないのだ。 与分は精神科医にかかり、催眠療法を受けるが、そこでとんでもないことを云いだす。 太古の魚類が進化によって陸に上がり、爬虫類となった、その魚類当人であるかのように話し出したのだ。無理矢理進化させられている、と…… それを期に、与分の周囲には奇妙な人々が訪れはじめ、ついに与分は真実に気が付く。 この世界は「レベルBの現象閥世界」であり、自分は「進化」と戦うための切り札なのだと…… 小松左京の『果しなき流れの果に』を思わせる、時間・空間・次元を跳躍した壮大な物語で、その構図自体は当時ですからよくある物だが、作品の中心に遺伝子をもってきて「敵は進化」とはっきり打ち出してきたところが面白い。 「進化が敵ってどういうこと?そんなのに勝てるの?」 と設定だけなら素直に楽しめる。 が、これは「絶対に抗えない力にいいようにされるのが嫌」という山田正紀のいつものアレで、単語は違っているが、やっていることは『神狩り』からつづくいつものアレとまったく同じで、主人公の魅力のなさや展開のうさんくささ、全然エロくないエロさ、女キャラのどうでもよさ、ところどころに漂うこっ恥ずかしさはまったく変わらず、正直、読み進めるのがなかなか苦痛であった。 SF大賞を受賞しているくせに、あまり話題を聞かないと思ったが、それも道理か。 遺伝子をモチーフにした話は当時としては半歩先をいった着想であったかもしれないが、今となっては手垢がつきまくって古臭いだけだ。 山田正紀はがんばって時代の半歩先を描こうとするから、時間がたつと古びてしまう作品が多いんだよね。 ところどころ太文字にして強調したり、やたら語尾に「……」を多用したり、そもそもタイトルに「モンスターのM・ミュータントのM」とか恥ずかしい言葉がついていたり、とにかく山田正紀は油断すると恥ずかしいセンスを発揮しちゃうから、そこがなんとかならないものか。 山田正紀は、いいときもあるけど基本的にはナシかなー、と思いはじめ、せめて『最後の敵』と『宝石泥棒』だけは読んでおこうと思ったのだが、ちとガッカリぞな〜。 なんかアレなんだよね。 才気は感じられないけど情熱と努力は感じられる作風で、いまとなっては古臭くて、いまでも本人はやる気まんまんで、妙に同業者受けはよくて、というあたりが、どうにも石ノ森正太郎みたいで(この作品も『リュウの道』みたいだし)、石ノ森作品がまったく面白く見えない自分には会ってないのかもしれませんね、山田正紀は。 (08/7/12)
長編SF。 勇猛果敢で知られる「甲虫の戦士」ジローは、はじめて出会った従妹に一目惚れをしてしまう。しかしこの世界に置いていとこと結ばれることはなによりも重い罪であった。 その地の神クワンの巫女でもある従妹を強奪するため、神殿にしのびこむ決意を固めたジローは、事情を知った「狂人」チャクラと、村のはずれに住む女呪術師ザルアーの協力を得る。 だが、神殿に忍び込んだジローは、クワン直々に従妹が欲しければ、かつて空に輝いていた宝石を取り戻せと命じられる。 宝石の名は「月」 かくして「月」を取り戻すため「空なる螺旋」を目指して三人の長い旅がはじまった…… 山田正紀の最高傑作とも呼ばれ、国内SFのオールタイムベストでも常に上位にくいこむ作品だが、なるほど、たしかにここには山田正紀の多くが詰まっている。 生々しく描かれる特異な生態系。 神秘的で東洋的でいかがわしい各国。 次から次へと襲ってくる化け物との泥臭い戦い。 壮大な設定と、絶対者の存在。 美しさをまるで感じない美形キャラ。 うざいだけで魅力のない女キャラ。 エロくないエロシーン。 なんの役にも立たない主人公。 長々とやっておきながら「おれたちの戦いはこれからだ」エンド。 どこからどう見ても山田正紀だ。 何者かに奪われた宝石「月」を奪い返すために旅立つ、という設定は魅力的なんだが、とにかく主人公がどうでもいいやつなため、物語につきあうのがだるい。 旅立つ理由が「従妹見たらチンコが勃った」では、どうしても感情移入できないですよ。 そのくせ旅の途中でであった女呪術師(処女)とはめまくりだし、どう感情移入していいのかまるでわからない。おれがいけないのだろうか? 端的に云ってしまえば、キャラを魅力的に見せるのには、三つしか方法はない。 憧れを抱かせるか。 共感を抱かせるか。 母性(父性)を抱かせるか 人は現実の自分より強いもの、優れたものには、憧れを抱き、現実の自分に似た弱いものには共感を抱く。そして自分より劣ったものには母性・父性を抱く。これはもう本能といってもいい。 これらをいかに効率的に稼動させるかが、キャラを魅力的につくるということだ。 少年漫画の王道が、共感を抱かせる弱者が憧れを抱かせる強者へと成長していく物語であるのは、だから必然である。 あるいは共感を抱かせる弱者の視点で、憧れを抱かせる強者を描くのも自然で必然だ。 憧れと共感のコントロールこそがキャラクターの魅せ方のポイントなのだ。最後の父性・母性というのは、要するに萌えだ。特に男性の萌えは、父性と性欲が渾然一体となってしまっているだけなので、基本的に弱者であることが望ましい。が、これは話すと長くなるしねよく考えていないから破綻しそうなので今回はどうでもいいとする。 とにかく憧れと共感なのだ。 しかるに、山田正紀のキャラクター、特に主人公がどちらなのか、ぼくにはまったくわからない。 たぶん、あの懊悩っぷりは共感を狙っているのだろうが、しかし世代がちがうせいだろうか、勝手な使命感に燃えて邁進しながら懊悩する山田主人公には、ぼくはまったく共感が出来なくていつも困る。 特に今作では懊悩してるのに基本的に蛮人という、もうなにがしたいのかよくわからない設定だ。しかも結局、こいつなんの役にも立っていないし。読者に憧れを抱かせたいのか共感を抱かせたいのか、はっきりとして欲しい。 この辺のキャラ設定のあいまいさが、SFとしては高い評価を得ながら一般層にはあまり受け入れられていない原因なのではなかろうか? そんなわけで、とにかく主人公のどうでもよさが惜しい一品。 世界観の設定は(ちょっとベタだが)素晴らしいし、作品全体からあふれでまくる作者のパッションがぐいぐいとひきこむ力をもってはいる。 ただやはり「おれたちの戦いはこれからだ」は勘弁して欲しかった。 初期のRPG、特にFFがけっこうこの作品の影響を受けていたのかな、と思った。 砂漠のかなたに立つ神々の塔「空なる螺旋」や、星を喰らい尽くす神の獣「バハムート」など、確かに神話が元ネタではあるのだが、具体的なイメージがこの作品から持ってこられているような気がしてならない。 1980年に書き出された、ということを考えると、その先進性と、熱情は高く評価せざるを得ない。が、この古臭さとダサさと主人公のどうでもよさもまたこちらを萎えさせずにはいられない。 面白いんだかどうだか判断しづらく、おれたちの戦いはこれからだなので、人に勧めていいものかどうかもわからない困った作品だ。力作なのは間違いない。 (08/7/22) |