続きは出ない、そう思っていたので、〇一年末にこの五巻の発売を、しかも最終巻であることを栗本薫の自作サイト「神楽坂倶楽部」でアナウンスされた時は、耳を疑った。しかし自分にとっては記念碑的な作品であり、いったいどこへ行き着くのかわからない作品であったため、完結するというのならばこれに勝る喜びと興奮はない。自慢ではないがハードカバーの単行本をわざわざ予約注文して買ったのなど、このときが最初で最後だ。 「あの『朝日のあたる家』が終わる!」それはすでに二十三歳になり、学生でもなくなっていた当時の自分にとって、青春時代にピリオドが打たれるような思いですらあった。いったいどのような形で、あの森田透のあてのない旅は終わるのか、まったく想像ができないだけに、期待でいっぱいだった。 そして書店から入荷の電話をもらい、すぐさま駆けつけ入手し、家に帰ってむさぼるように読み――なかったことにしたい気持ちでいっぱいになった。 良が巽殺しを自首して終わりって、え〜、良はいいよどうでも! おれは透がどうなるのか知りたいんだよ! 透と島津さんの関係の行き着く先が知りたいんだよ! 職歴なしで酒とSEXびたりで特にやりたいこともない正真正銘のニートである透がどのように社会復帰するのか、それが知りたいんだよ! なんにも、ナンニモ、な・ん・に・も解決してないだろうがこれ。作者的には良の悩みが大切だったのかもしらんが、ホントもう殺されるの承知でレイプして殺された巽さんのことは別にどうでもいいよ。第一、良にしたって巽殺しが問題というよりは、カリスマ性だけで生きていたアイドル歌手が、老いによってそろそろ落日のときを迎えつつあるという部分こそが問題で、奉られる神としてしか生きられなかった人間が、自分が神でなくなる現実にどう向き合い生きる道を見つけるのか、それこそが主題のはずだろ? 自首してもなんも解決してないだろ、その部分は。罪の意識からは解放されるだろうけどさ〜。 別の本にも書いたが、この物語は与えられるもの、崇められるもの、弄ばれるものであった良と透という二人の子供が、自立して自分の力で生きる大人になるまでを描く物語となるはずであったと思う。しかし栗本薫という作家の力量が、今岡純代という人間の人生経験が、結局それを為しえなかった、そういうことだと思う。 他の著作の展開にもかなり疑問に思いながら「でも栗本薫がそう判断したんだから、最終的には正しく思えるはず」となんとか納得させていた自分の信心は、二〇〇一年の終わりとともに崩壊した。そして「読みづれーしあんま面白くないかも……」と思っていた神楽坂倶楽部を見ることもやめた。つまらないものはつまらないのだ。 いま思うと皮肉にも、結果的にはたしかに今作は自分の青春時代にピリオドを打ったと云えるだろう。信奉していたものからの決別こそが、幼年期の真の終わりなのだから。その決別は自分の期待していたような形ではまったくなかったが、人生とはそんなもんじゃないかな? だから今作はなかったことにしたいけど、たしかにあったことであり、自分にとっては必要なことであった。せめてそう思いこむことによって、これからは生きていきたいと思います。 でも書きながらちょっと凹んできたので、これで終わりにしますね……。
長編ミステリー。伊集院大介シリーズ 田舎の学校に転校してきた冴えない中学生。のちの伊集院大介である。 以上。 近年特有のアレです。 設定を説明したらページが足りなくなってドタバタでエンドというアレ。 アレをしでかすと、安定してつまらないです。 あと今作の一番いやなところ。「伊集院大介は美少年だった」設定。 有り得ない。マジ有り得ないから。 さだまさしですから。大介は。そういったの栗本先生ですから。 もうこれ以上、ぼくらの大介をおかしくするのはやめてあげて…… |