伊集院大介が口車に乗せられて「名探偵と行くミステリーツアー」に付き添うことに。しかしそのツアーはやることなすことちぐはぐで…… うん……うん…… 普通につまらないね。 作者があとがきでしつこく云っているように、ツアーだのテレビ番組だのトラベルミステリだののパロディになっているようだが、パロディというのはそれを知悉している人間がやらない限り、失礼なだけでちっとも面白くならない、ということの良い見本かな、と。 作中のミステリーツアーとやらは、ツアー中になにか事件が起こって、それをみんなで推理する、という企画なのだが、その推理ゲームも全然まともに描かず、ろくにオチの説明もせずに投げているので、完全に無駄なものを読まされた気がして感じ悪い。 京都の観光案内としても、京都の魅力を伝えているような場所には行かず、説明もありきたりで山奥ならどこでもいいような感じで、まったくもって京都に行きたくならなかった。読んでいて記憶に残ったのは柴漬けアイスくらい。結局食い物かよ。 ただ、しょっぱなの伊庭碌郎をはじめとして、うるさくてうざいキャラだけが妙に生々しかった。いるいる、こういう口だけは回るけど意味のあることはなにも云ってないおばちゃん。つうかお前だ純代(ドドーン!)。 あと、このタイトルで、ほとんど幽霊話が出てこなかったのもある意味すごい。当初の予定ではもうちょっと幽霊を出す予定だったんだろう。が、完成したときに全然そぐわないんようだったら、タイトル変えろよ。 これだけだったらただのつまらないミステリーで済むのだが、伊集院大介シリーズは、新しいのを読むたびに、伊集院大介の劣化っぷりに切なくなるのがとてもいやだ。 なんなの? このくだらないことで相手を見下して自分の能力を過信し老人の戯言としか思えない愚痴をぶつぶつと云いまくるおっさんは? あの優しくて共感に満ちた、許しの象徴である伊集院さんはどこへ行ったの? 探偵が見る夢は ドクターが見捨てた人の つよがりやすすり泣き おれもまた捨てられた一人か (沢田研二『探偵 悲しきチェイサー』作詞/阿久悠) 薫のもつ探偵観って、ジュリーが歌ってたこの曲のイメージが根底にあった気がするんだけど、いつの間にやらまったくなくなっちまったなー。本当にもう、いまの伊集院さんはいい気になりすぎ。必死で自分を守りすぎ。 まあ、もうこれ以上は劣化したくても劣化できないからいいんですけどね……
街中で見かけた初老の美女に、なんとなくついていった伊集院大介。たどり着いた着物の展示会では、図らずも毒殺事件が起こった。 そこから端を発して、件の初老の美女、友納比沙子に「幻の友禅」を捜して欲しいと依頼された伊集院大介だったが…… あ、あれ? 意外と面白い…… もちろん、晩年の作品の基本として、文章はだらだらしてるし、登場人物の無駄な長台詞が多いし、大介はちょっとはなもちならなくてあんまり好感もてないし、美女という設定のキャラがあんまり美女に見えないし、十八代続いた名家の歴史が九百年だったり、いろいろツッコミどころは多々あるのだが、近年の作品としては驚くほどにちゃんと「事件がある」のだ。 まず冒頭で毒殺事件が起きるし、その後は続いて「幻の友禅」を探すという目的が提示される。中盤では惨殺事件が起きるし、最後に犯人との対決もある。作中の三分の二が消化する頃に事件が起きてそこからむりくりにすべて終わらせていた近年の作品とは大違い。 事件に関わって登場する着物関係の人たちも、全員着物キチガイゆえに変人ばかりで面白いし、無駄な長台詞も「こういう変人たちはほっといてもずっとしゃべくるからしょうがない」とある程度は納得できる。 特に中盤から出てくる天才友禅師の諫早照秋は、スペックがチート過ぎて面白かった。友禅の名家に生まれ、そこを飛び出し前衛的な作風で世界的に注目され、四十半ばだが十歳は若く見える美貌を持ち、モテモテだが独身で、金持ちで、伝法な口調でしゃべくり倒し、辛辣で自信家だがだれよりも情はあつく、頭がまわり度胸もあり、隠れた努力家であり、友禅と自作を愛し、基本ツンデレという、スーパースペック。というか、これ『翼あるもの』『朝日のあたる家』に出てきた島津さんとほぼ同じやん! そんな感じなので、島津さんファンにはなかなか嬉しいキャラになっている。島津さんみたいにデレてキモキャラ化しないし。特に超絶小物な双子の兄を、ぼろくそに云いながら作中でほぼ唯一愛しているところなど、わりと萌える。多分、昔の栗本薫が書いてたら萌え萌えだったよ、この設定。 長さも近作のなかではダントツに長いし、趣味の着物に関する物語だったからなのか、かなり力を入れて書いているのは伝わってくる力作ではあった。 まあ、ぶっちゃけそれでも無駄な部分やキモイ部分は多いし、うんざりする部分も多々あるのだが、二〇〇〇年以降の伊集院シリーズで敢えて一冊選ぶならこれ、と云ってもいい程度の作品ではある。
道場をはじめる! ……とやろうとしたけど、やめた。 一発ネタは続けるもんじゃえねえし、アレ、なにげに書くのニ、三時間かかるんだよね。毎回あれやるはめになったら辛いですわ。 えーと、たぶん長編耽美小説。 あらすじ 人間関係の複雑な旧家で殺人事件があって、色々あって旧家は滅びました。おしまい。 正直に云えば、近年の栗本作品の中では文章もストーリーもかなりまともな方で、 あまりケチをつける類ではないとは思うんだが(まあ「飼っていたみすぼらしい野良犬」とか斬新な日本語は健在だが)あまりにも、あ・ま・り・に・もありがちというか、「お家もの」のお約束からなに一つ抜け出していないし、ミステリーとしての楽しみもほとんどないから、完璧にお家ものの雰囲気を楽しむしかないんだよね。 でもさ、おれ、いまさら「蔵に閉じ込められている狂女」とか「画家くずれで無職の叔父」とか「歳上の従兄弟への淡い想い」とか「実は当主が下女に産ませた子供」とか「美しいが子供にかまわぬ母」とか「燃え盛る旧家」とか「謎の狂い咲きする桜」とかそういうのをそれだけで楽しいとは思えないんだよね。 栗本薫作品だけですら何作かそういうのがあって、他の作家でも何作もそういうのあってさ、それらの作品と比べて、特に優れている場所もないわけでさ。 格別につまらなかったりひどかったりするわけじゃないんだけど、面白い部分もまるでないっていうかさ。 だから面白くはないんだよね。 なんだろうな、そこまでひどくないだけに、真面目に書いてもつまらないって感じがして、なんだかひどく脱力してしまう。 なんだろうなあ、つまらなくないけど力がないんだよなあ。 あとなんか大正っぽくないしさ。 なーんだろうね、なーんだろう。 とぶつぶつ云っててもしょうがないのですが、つまりここまでなにも新しい部分がないとなにも楽しめねーよ、ってこと。 さっきからおんなじこと繰り返していますか、ぼく? 求めすぎてる、ぼく? ま、お家ものが好きで好きでたまらない、あるいはまったく読んだことがない、 という人なら呼んでも損はないかもね。 『絃の聖域』か『大導寺一族の滅亡』の方が面白いけどね。 つうか榊原姿保美の『蛍ヶ池』だけでいい気もする。 なんかこう、脱力してますよ、ぼくは。
まずタイトルが宇崎竜童主演の映画からのいただきでちょっと吹く。竜童さん好っきやなあ。 『タトゥーあり』『69で74』『カサンドラ・ローズ』の三つの短編からなる連作……というか話は直接つながってるし別にそれぞれうまいオチがついているわけでもないので、普通に続きものの話。ちなみに『69で74』は「ろくでなし」と読む。表紙が視界にはいった瞬間にタイトルでふき、ぺらっとめくって目次を見た瞬間にまたふける素敵な仕様となっている。栗本先生のタイトルセンスは老いてなおさかんやでぇ…… ストーリーは「若くしてT大の助教授となったエリート島優一郎は、身分を隠して新宿二丁目に行くことをやめられずにいた。しかしその素性を突き止めた若いヤクザ、志賀丈二に脅迫され、肉体関係を強要されてしまう。丈二のてひどいSEXにはじめは打ちのめされていた優一郎であったが……」という感じのヤクザ×インテリ教授もの。 栗本薫のBLと云えば、まず設定からして読者の受けを完全無視している様相をていしているのが基本だが、今作は設定的にはBLとして十分にアリなラインなんじゃないかな? なにせ商業BLと云えば男×男のレディコミ、ハーレクインと化して久しく、そしてレディコミやハーレクインといえば、平凡な主婦やお嬢様が悪い男にたぶらかされるのが基本じゃないですか。 まるっきり関係ない話をするんですが、自分は子供のころから家にある漫画は勝手になんでも読んでいて、そして両親の方もエロかろうがなんだろうがなんでも包み隠さずそのへんにほっぽらかしていたので、母の読んでるレディコミもよく読んでいたものだった。 そんな母のレディコミ蔵書を読んでいると「平凡な主婦がチョイワルだけどチョイヘタレな男にたぶらかされる」という話ばかりが集められており「おーい、その男キャラみんなあなたの旦那に似ているじゃないですかー。チョイワルヘタレの男と出会って元彼捨てたあなたそのものじゃないですかー。この漫画群、だいぶ美化こそされているけどあなたたち夫婦そのまんまじゃないですかー。現実逃避の漫画でまで旦那みたいなのがいいんですかー」と叫びたい気分になりながら黙々と読んだものでした。すいません、本当にまったく関係ないんですが思い出したのでつい書いてしまいました。 まあ、そんなわけで、ヤクザ×若教授、いいじゃないですか。さあおやりなさい! ……あれ……なんかBLとちがう…… なんだろう、これ……カップリングがしっくりこないというか、リアリティがまるでないというか、ちんこちんこ云っているだけというか……わかった、受けの主人公がひたすらに気持ち悪いんだ! ……いや、それもいつものことか……。 とにかく工事現場に連れこまれてアンアン、職場に来られてアンアンとひたすらアンアンしてるだけのエロ漫画的展開はBLだから許すとしても、この作品がBLとして成立してないのは、攻めのヤクザがただの人型チンコに過ぎないところだと思う。 BLって、なんだかんだいって攻め様の素敵っぷりが大事で、それは実は優しかったり実は仕事ができたり実は金持ちだったり実は危ないところを助けてくれたりと、多少性癖によって歪んでることはあれども、SEX以外の長所の一つや二つは描写されるものだと思うんだが、今作は本当にSEXしかとりえがない。そのSEXもチンコでかくてガンガン突いてくるだけという、SEXがうまいというよりチンコでかいだけというありさま。本当にチンコ以外なにひとつ取り得がないチンコっぷり。こんなんじゃあチョイワル好きのうちのママンが満足できないよ! しかもそれでSEX大好き! おチンコ最高! と主人公がはっちゃけるのかというとそういうものでもなく、肉体的には気持ちよくないけどエリートの自分の殻が壊されていく感じで精神的にはいいよ、という中途半端なプレイっぷり。栗本作品は作者自体はおチンコ大好きだけど受けはSEXで感じてはいけないという、わけわからん制約がついているから支離滅裂になるんですよね。 そんで唐突に最後のほうになって、「ぼくを抑圧してきた父母が悪い!」とか云い出して、おーいお前の両親いままでのお前のモノローグにすらほとんど出てこなかったのに、唐突に悪者あつかいされても読者の僕はおいてけぼりですよー。そんでその後も父母とどういう教育を受けどういう抑圧があったのかの描写はまるでなし。ただオトンも立派な教授だったから自分もその道に進んで期待されているという説明しかない。 これで父母が悪いとか云いながら尻ずぽずぽされてても、お前の性癖をパパママのせいにするなとしかいいようがない。別にホモは病気じゃないんだから、失礼な。そもそも栗本先生は「私は同性愛者の味方」みたいなことをよく息巻いていたけど、どうも「あなたたちは同性愛という病気だけどそんな病人を私は避けたりしない」という感じで、味方している自分が一番差別しているんじゃないかという節があって、どうにもよくない。 彼女の男×男好きには、男×女だと女が邪魔だというのと、単純にチンコ大好きというのと、世間で迫害されているものの味方をしたいという天邪鬼気質とが絡まりあっているわけで、その天邪鬼気質は単に世間と逆のことを云いたいという気質なのだから、実際は世間と同じ(と彼女が思っている)価値観を受け入れた上で反発しているわけで、実質は彼女ほど同性愛を世間のつまはじきものと思っている人はいないと思うのです。石原慎太郎レベルの頑迷さと古臭い価値観が基準になっていると思うわけです。だから失礼だなー、と思うわけです。 なんかわけわかんない話になってきたけど、要するに攻めがチンコのおまけではBLとしてどうかな、と思うわけです。SM風にしろ、いやむしろSM風だからこそ、攻めにはチンコ以外の人間性が求められるのではないでしょうか? あと何度でもいいますけど実の父に対して「セックスもしたことないような顔しやがって」とか思いません。父親がセックスしてるのは子供は知ってますから。父に復讐してやるという内容が父の部屋でセックスって、みみっちいにもほどがありすぎて泣けます。なんの復讐なんだよそれ。 そして淫語を英語にすることでインテリを表現できると思ってるのなら人生をやり直してきてください。「penisをerectionしてanusにinsert」のどこに知性を感じればいいのか、ぼくにはさっぱりわかりませんのです。 あと主人公の年齢もちゃんと設定してください。三十二なのか四なのか六なのか、年齢が出てくるたびにぐちゃぐちゃでまいってしまいます。 そんな感じで、萌えないしいい加減だしでわりと散々でした。正直、栗本先生以外が書けばそれなりのBLにはなったんじゃないかという気がする分、余計に気持ち悪くて困ってしまう、そんな作品でした。 |