講談社 78/09
講談社文庫 85/10
講談社文庫 電子書籍版 13/12
正確には梓デビューの方が先なのでこちらを先にするべきだったのかもしれないが、彼女のスタンスとして作家>評論家だと思うので、敢えてこちらをあとにする。
さて、これは文学評論本である。
この時点で理解していただけるかもしれないが、もちろん文学に疎い私には理解できるはずもない。いま現在ならばまだしも、読んだのは十年以上も前のうなである。一介のゲームオタクに過ぎなかった時代だ。まあ、今でもその本質は変わっていませんが。
そんなわけで、これに正確な採点は不可能。
ただし、知的でお堅い文学少女の梓を堪能できるのはほとんどこの本だけと云っても過言ではないので、重度の薫マニアにはおすすめだ。
もちろん、普通の文学評論としてもそこそこだとは思います。そう信じてます。ていうか気が向いたら読み直してみます。でもぼくはバカなので期待しないでください。まあそもそもだれも期待なんてしませんね。わかってるわよ! もう!(今のおれは最高にツンだぜ!)
(以下、軽く読み直して追記)
か、かっちょいい……
はっきり云って言葉の意味はまったくよくわからんが、なにかこう、文章がかっちょいい。
冒頭における「〜〜ではそれはどのような意味を持つのか? なにもないのだ」この切れ味の鋭さ。
随所に見られるニーチェ、ドフトエフスキー、ヤスパース、バルザック等からの引用の的確さと短さ。
必要な引用を最低限の量で済ますことが出来るのは選択眼の優れた証拠で、ぼくなんか引用するとき油断すると全文やりそうになるものね。たいてい面倒くさくなって引用自体やめるけど。
のちにあれほど「文学はつまらない」「文学を書くのは簡単」などと文学にコンプレックス混じりの冷ややかな言葉を浴びせる彼女が、この時期はなんとまあ膨大な量の現代文学古典文学海外文学を読破し理解していたものか。
この当時、彼女は一方で文学を読解し、一方でSFやミステリーを読みふけり、また一方ではずかしい芸能人ホモ小説を書いたりもしていた。
このカオスにさまざまな方向性へと燃えに萌えた節操のなさこそが、彼女の創作の原動力であり、いまの彼女は「萌エネルギー」の慢性ガス欠状態であるのだ、という認識を新たにしたうなぎなのでした。
あ、うん、内容はやっぱり理解できないっぽいよ?
でもいいこと云ってる匂いがぷんぷんするから、W村上出現時くらいの文学シーンに興味のある人は是非とも読んでみそ。そして内容を噛み砕いてわかりやすくしてぼくに教えてちょ。
あとごめん、文学少女梓を堪能できる本は、あと何冊かあったわ。あと五冊くらい。
全部読んだけど理解しきれなかったからごっちゃになってたよ。
いやあ、改めて考えると、自分がバカだってことがわかっていっそ清清しいですな。ははははははははは。
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