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栗本薫 1985年




  息子に夢中(中島梓) うな

息子に夢中 (角川文庫)
中島 梓
角川書店





出産、育児エッセイ。
いやまあ、タイトル通りに、息子に夢中なんだなあ、と。それだけの話というか。
基本的にテンションの高いおしゃべりか、やたら普通の日記かの合間に、時々ひどく感傷的になったり感動的になったりする文章が入っていて、だから中島梓の、中島梓らしいエッセイです。

いま気づいたんだけど、この最後に載っている『ウルムチ行き』という短編、これほとんど文学だな、というか私小説だな。気づくのおせえとか、そういうのはナシで。
自分とほとんど生い立ちの同じ架空のキャラに、出産を前にした心境を語らせている。
で、オチはパール・バッグの『大地』

昔読んだときは「はーん」で終わったけど、いま読むとなかなか悪くない。ちょっと感動的だ。
つまりぼくもおっさんになったということ? え? マジで?






  伊集院大介の私生活  うなぎ

伊集院大介の私生活 (講談社文庫)
栗本 薫
講談社




伊集院大介シリーズ。短編集。

★『伊集院大介の追憶』
高利貸しを営む女傑ばあさんが殺された。
だれもがその強引な取り立て態度に原因があると思ったが……

若くぼんやりとした態度の大介が、普通にとてもいい人。普通にいい話。


★『伊集院大介の初恋』
大介は恋なんてしたこともないのだろう。
そう噂する森薫と山科警部補に大介は云う「とんでもない!」
そして高校時代、ほんの一日、いや一時間だけした彼の初恋が語られる……

なるほど、それでは大介に普通の恋愛はできまい、と納得させられる小話。悪くないぜ。

★『伊集院大介の青春』
伊集院大介が著書を送った相手。それは大学自体の数少ない友人であった。
そして彼は思い出す。名探偵の、若き日の姿を……

内容はともかく、ラストの
「それがもう十七年も前になる。しかし彼だけは変わっていないだろう。それだけははっきりと信じられる」
的な台詞は良かった。
世俗に生きている人間であるからこそ、「その人」だけは、別の存在であるはずだと信じたい、その心根がいいですね。


★『伊集院大介の一日』
もうストレートに、そのままに、特に大きな事件もなく、ただ伊集院大介の一日を描写した作品。
萌え。大介萌え。
ぼんやりした学者系偏屈お人よし探偵萌え。
ただそれだけである。

★『伊集院大介の私生活』
なんか大介がこそこそしているので、なんとなく追ってみた森薫と山科警部補。
そしたら山手線は三周するわ女性週刊誌を買うわおばあちゃんをストーキングするわで大混乱。
いったい大介さんは私生活でなにしでかしてるの?というお話。

ストーリー自体はともかく、今は亡き雑誌「微笑」を、栗本先生の私怨も込みでめたくそに書いているのが笑える。
(栗本先生は旦那を略奪愛したときに、微笑でぼろくそ書かれたのです)


★『伊集院大介の失敗』
若き大介は放浪時代、一冬のあいだ、別荘管理のアルバイトのため、軽井沢にこもっていたのだが、そのとき、近辺の別荘におかしな様子があり……

しっかり事件を解決しておきながら、やっぱり失敗談でもある、ちょっとビターな話。
後手後手にまわって結局あんまり役に立たない金田一耕助とはちがうのですよ、 とでも云いたげな大介のスタンスがわかっていい感じ。


全体的に、特にどうというわけではないが、やはり大介萌えである。
伊集院大介の助手役は
森薫→伊庭碌郎→アトムくん
と変わっていくのだが、結局、初代の森薫が一番良かったわけですね。
まあ、下手に作者を模したキャラだけに、使いつづけるのが面映かったのかもしれない。
しかし、大介に対して、恋心ともなんともつかぬ感情を持っていることが、文章の端々から伝わるようになっており、そこがシリーズのサブストーリーとしてうまく機能していたと思う。
それだけに、ちゃんと描かれぬままに勝手に適当な新キャラと結婚し、いつの間にかシリーズからドロップアウトしてしまったことは、なーんだーかなー、という気持ちで一杯です、今は。

伊集院大介らしい、大介のいい男っぷりが見れる唯一の本です。
秀作。






  元禄無頼 上・下  うな

元禄無頼〈上之巻〉 (角川ルビー文庫)
栗本 薫
角川書店




時代小説。長編。
元禄時代。- 太平の世が続き、江戸の文化華やかなりし時代。
たつきを失い、意気をもてあます美貌の不良旗本、九鬼源三郎は、ひょんなことから謎の武士におそわれる寺小姓、進ノ丞を助け、それをきっかけに柳沢吉保を中心とした陰謀にまきこまれていくのであった――

昔読んだきり「みんなして愛だのなんだのわめいたあげく、みんな死ぬ話」程度にしか覚えていなかったが、実際、そんな話だった。

いやしかし、これ、頭から尻尾まで栗本薫だな。
実に栗本薫だよ。

まず第一章。
うまい。
ひたすらにうまい。
単純によみやすく、しかし元禄のにおいを感じさせる文章もさることながら、十名にも及ぶメインキャラたちをわずか50Pに全員登場させ、しかも全員のキャラ立ちがわかるようになっている。

屈折した美貌の青年・九鬼源三郎
その親友にして・実は源三郎に惚れている左馬ノ介
怪力巨体・豪放磊落な好漢の主膳
静かなインテリ武士・久ノ助
武芸一筋の堅物・兵馬
野望を抱く悪童役者・吉弥
吉弥に憧れる頭足らずの少年・進ノ丞
歪んだ性癖で源三郎に執着する義兄・伊織
その良人のために心を閉ざした姉・水江
愚かさゆえに生き生きと躍動する少女・お藤
生粋のサディストである悪役・長門

これらが全員、見事に書き分けられているのだ。
うまい。うまいとしかいいようがない。
キャラ配置自体も、ありきたりではあるが、絶妙である。
みな、自らの生を生きているのが感じられる。

そしてこのキャラ配置が、物語が進むにつれて、作者の手癖へと変貌していくのか、実にまた栗本薫である。
どんどんと美青年補正がかかっていく源三郎。
それにつられてどんどんと源三郎をマンセーしていく周囲の人物。
物語の都合で小物になった挙句、外見も醜くなっていく吉弥。
ただのアホの子になって、しまいにゃ「救いがない」みたいな扱いになる進ノ丞、
想いを秘めていたはずなのにカミングアウトしまくりの左馬ノ介。
物語の中核であるのに、過程に説得力がない源三郎と進ノ丞の恋。
脇筋なのに説得力のある水江と兵馬の恋。
わりと簡単に肉欲に目覚めて溺れる水江や進ノ丞。
いつの間にか「おまえなしでは生きていけぬ」ことになっている長門。

もうどこから突っ込めばいいのかいまいちわからないが、いちいち栗本薫である。

面白いな、と思ったのは、主人公である源三郎と義兄・姉の関係だ。
源三郎に惚れた義兄は、姉と偽装結婚をして、源三郎を力づくでてごめにしてもてあそび、姉はそれを表ざたに出来ず、心が壊れていくという、「うほっ、残酷な神が支配する」という感じだった。
まあ『残酷な〜』自体、JUNEでありがちな設定をとことんリアルに描く、というようなコンセプトだったような気もするんだが、今作と『残酷な〜』を比べると、栗本薫と萩尾望都の作家としてのちがいを見ることができる。
そしてなんで栗本先生が劣化して、萩尾先生が全然劣化しないのか、しみじみと実感できる。

ちなみに違い
残酷な〜……犯した義父を憎み、ついには殺してしまう
元禄〜……犯した義兄とのSMに溺れ、深みに嵌りすぎて怖くなって逃げる

どう見ても「お前の味」です。本当にありかとうございました。
やっぱ栗本薫――最高さ!

さておき、ちょっと栗本薫し過ぎているけど、面白かったな、これは。
途中、登場キャラがみんな木原敏江の「摩利と新吾」に出てきた人たちのコスプレに見えたり、お藤が「生命を粗末にする奴なんて大ッ嫌いだ!」とか云ってゲド戦記噴いたりもしたし、「お前まで死ぬことないだろ」というキャラがバタバタと死ぬくだりは、正直どうかと思ったが、王道と意表をつく展開がいい具合にミックスされていて、普通に面白かった。
ラストの締めは、べたべただが歴史の流れを感じて良い。

でもホモが多すぎた。
ホモが多すぎたんだ……






  昭和遣唐使三千人(中島梓) 

昭和遣唐使3000人の旅

講談社





エッセイ。旅行記。
1984年、中国が日中友好として三千人の日本人を招待して、その中の一人に中島梓もいましたよ、というエッセイ。

内容は単に中国のあの場所にいった、あそこでアレを食った、みやげにはなにを買った、誰と仲良くなった、というものばかりで、要するに、普通の旅行記だ。
ところどころに「私は常の人ではなく作家だから」「作家の中でもグインを書いてる特別な作家だから」といういらん自惚れが入ってきてメガうぜぇと思う瞬間もあったが、おおむね普通の旅行記で、おおむねいつもの中島梓だった。

それにしても梓は日記にいつも献立を書いているっぽいから、こういうエッセイではとにかくやたらと食事している印象ばかりがつく。
あれがまずかった、これがうまかった、あれは食べきれなかった、とそればっかり。しかも中国の料理は合わなかったのか、あんまりおいしそうでないのがいちいち失礼。
餃子食べて「肉にしっかり味があるからなにもつけない方がおいしい」とか肉好きとしか思えない発言をかましているのもいつも通り。

漫画家の杉浦日向子と同室で仲良くなって、ずっと一緒にきゃわきゃわやってた、ということをやたら書いていて、それはそれで微笑ましいのだが、梓の言では「女学生の気持ちに戻ってしまったようで」なのだが、杉浦先生は梓のことを「おっかさん」と呼んでたようなので、なにか二人の間にあるビジョンが著しく異なっているような気がしてならないのが残念である。

なにより残念なことは、これだけ杉浦先生と仲良くなったことを主張して、やれ友達だ親友だと主張されても、現在の梓の口から全然杉浦先生の名前は出てこないわけで「いったいどんな不義理をしでかしたんだ梓!」という気分にしかなれない。

文章自体は1985年であるから往年の梓のままで、ちと冗長ではあるが読ませるものの、しかしなにせ題材が中国旅行なので「中国(笑)」という気持ちが少なからず存在する失礼な自分にとっては、根本的に魅力を感じるテーマではなかった。
前半の目玉である軍事式典とか、何百人が置物に扮装して微動だにせず待ってたとか、そういうシーンも「全体主義こわっ!社会主義堪忍っ!」と思うだけであった。

そもそも梓は最初に「全体主義は云々」と云っておきながらに平然とこの扱いを受けているわけで、つうか梓の全体主義が嫌だとか云々は「その他大勢でおわる女じゃない!絶対ない!」というひな壇アイドル的なスターになりたい願望であって、なにも全体主義が嫌いじゃないだろう、梓は。
統率された全体主義の恩恵を受ける側に立つこと自体は、ぜんっぜん嫌じゃないんだから、そういう人間が全体主義に嫌悪を示すのは、これ失礼ってもんだろう。自分がお姫様でないといやなだけじゃないか。

終盤「昔、私は気難しかったが今ではずいぶん丸くなった」みたいなことを書いているが、単にそれはなにものでもなかった小娘だから、その辺のその他大勢で扱われていたけど、注目の若手作家になって、扱いがお姫様になったからだろうて。
そもそもその扱いは「小説が面白い」「小説が売れてる」からの扱いであって、中島梓から小説というものを抜き取ってしまったら、それこそただの変な小娘、変なおばさんでしかないんだから。
後年、舞台とかはじめたら扱いが良くなかったことに、なにかを察したりはしなかったのだろうか?

梓は小説しか出来ないし、小説のみによって存在を許されているんだから、もう死にそうだってのにやれ年末にライブだ新年には晴れ着みせびらかしライブだとか、なんか違うだろーよー。
いや、コミケでやおい新刊もがっちり出したこともしってるけどよー、それも違うだろうよー……

なんか話がそれてしまった。

えーと、あとは何枚か梓の描いた絵が載ってるんだけど、思ったより上手くて驚いた。
あと何枚も写真が載ってるけど、やっぱり梓は太っているというより、根本的に丸い。いい意味でも悪い意味でも。
往年の梓はちょいワルパンダみたいなイメージで、ネタとして楽しまれていたのかもしれない。

なんか妙に辛辣になってしまった。
いやだって、やたら有名人や有名作家ときゃいきゃいやってて、ひるがえっていまの梓のこと考えると切なくなるんだもんよ……素直に楽しめないよ……

中国旅行記が好きなら、まあ楽しめはすると思う。










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