ナリスが若い時の話。 国中の崇拝を受けている美貌のクリスタル大公であるナリスが、実はひどく屈託した幼少時代をすごしていましたよ、と。 父は王位争いに敗れて隠遁。しかも愛のない妻とナリスは放置して、愛人と愛の巣をつくり、母は愛のない結婚生活のため心が凍りつき、息子に冷たく当たり、心許せる唯一の存在は異母弟マリウスのみ。 宮廷でもその血筋ゆえに遠ざけられ、誰にも見返られずに過ごす日々。 やがて与えられる、大公という名だけの栄誉をいとい、人目をしのび、日々剣の修練を重ねるのであった。 すべてを天に与えられたかのような存在であるアルド・ナリスが、そのうちにどれだけの炎を抱えていたか、内面の一部が明らかになる作品。 さて、筋だけをみると、なかなかいい話じゃないの、と思うんだが、実際に読んだときは、どうにも腑に落ちないというか、いや、逆か、腑に落ちすぎるのだ。ナリスの身の上の不幸が。 たしかにこう書けば、ナリスがただ天与のものに拠って立つ人間ではないと、読者は納得するだろう。 だが、そんな納得はいるのか? 悪い言い方をすれば、いいわけ臭いのだ。 「ナリスだって実はこんなにがんばっているんですよ」 と作者自らがフォローをしているみたいだ。ナリスが嫌われないように。 自分の力を少しでも大きく見せようとする、ナリスの工夫、努力、あがき、もがき、それが、心に響かない。あまりにも理に落ちすぎている。 本当に、アルド・ナリスとは、そういう人間であったのか? アルド・ナリスとはもっと理不尽で不条理な存在であっても良かったのではないか。 たしかに、そのままではナリスは万人には好かれまい。 だからといって、万人に好かれようと作者が努力してどうするのだ。 好かれようが嫌われようが、ナリスはナリスなのだ。 どんな理由があれど、そこを曲げてしまっては、キャラは死ぬ。 ここに描かれているのは、ナリスではない。 ナリスのフォローをするために生まれた影に過ぎない。そう断じてしまってもいい。 この作品自体は、悪い話じゃない。 ラストの締め方なんて、なかなかいい。 貪欲に愛を求めるブラックホール。すべてを手に入れてなお、たった一つの小さな絆が失われることに耐えられない傲慢さ。その弱さ。 悪くない。 平和な時代のパロの姿を見ることができるのも、なかなか興味深い。 が、これは作者のナリスびいきのために、ほかならぬナリス自身を変えてしまった、その端緒となる作品だ。残念でならない。
若きイシュトヴァーンの海賊時代を描いた作品。 ある港町に寄ったイシュトが、領主の娘と浮名を流したり、酒場の女を口説いたり、好き勝手に大暴れして、港町に活気を与え、去っていきました、というだけの話。 これ、舞台が先だったんだよね、確か。脚本だけで他所様の劇団だったらしいけど。 なんかこの脚本代はいまだにもらってないとか、ビデオももらってないとか、とても嫌なゴタゴタを感じさせる逸話の残っている舞台ですが、ま、要は人気キャラクターを使って、どうでもいい話をやったという、それだけの話。 ただね、基本設定のストーリー運びは嫌いじゃないんだ。 若さの象徴としての外来者。 嵐のように現れて、再会を約して去り、二度と戻ってこない放浪者。 イシュトヴァーンという名の「青春」そのもの。 気ままで気まぐれでいい加減でロマンチストで嘘つきでずるくて誰よりも優しく残酷で。 彼が現れ、そして去っていくまでの嵐の数日間。 退屈で平凡な南国の島に訪れた、ささやかな黄金の日々。 まさしくイシュトヴァーンにふさわしい舞台であり物語である。 じゃあ、なにがまずかったのかって、そりゃ、中身がなさすぎるですよ。 基本的には、ま『カリオストロの城』みたいなもんでさ。 おぼこなお嬢さまの前にちょいワル青年があらわれて、ドタバタ劇を繰り広げつつ、問題を解決してくれて、さわやかに去っていく。 でもさ、その、肝心の問題とか事件とかが、ささやかすぎるというか、 どうでも良すぎるというか……ぶっちゃけ、記憶にないですよね、なにもかも。 舞台だと、その無内容を歌とギャグで埋めていたみたいだけど、あんま嬉しくない埋め方だなだな、それは。そんな埋立地じゃ、おれの心にお台場はできやしないよ。 それに、ヒロインが二人いた気がするんですが、 これが、ウフフ、恥ずかしながら……魅力のないキャラでしてね…… 『ヴァラキアの少年』のヨナも『海賊船』のニギディアも、いいキャラだったんだけどね。 なぜかこの作品はイシュト以外のキャラが本当にもう、影が薄い。 南国ってのも、なーんかね、ピンとこないというか。ぬーん。 外伝の中では、当時では一番面白くなかったな。当時の中ではね。 やっぱ舞台は鬼門だにゃあ。
ホモってなんぼのJUNE小説。 十年前に手にとったものの、中身のあまりの悶絶ぶりに、ずっとほっといていたのだが、ふと思いたって完読。 あらすじは、美少年で学生社長で性奴隷の転校生・紫音が、自分にうりふたつの少年・綺羅に出会うが、綺羅は綺羅で天才舞踏家で家元の跡とりで男なしでは生きていけないド淫乱で、二人は生き別れの双子でした。 そこに猿として虐げられていた巨根の下男や「弁天」と呼ばれる暴走族のヘッドとかも加わってきて、なんだかよくわからないうちに総理大臣が泣いて、こうしてすべてがよくなった。 当時はやたら爆笑したし「ありえねー」と突っ込みまくったが、いま見るとわりと普通。 というのも、よく考えたらゲームとか漫画とかなんでも、こういったレベルのありえねー設定を、いまではみんな真顔でやっている。 きっと「ありえねー」などと思っていないのだろう。 つまり、くだらない作品をたくさん読んで、慣れた。 リレー小説なんだが、前半の合作部分は、一言で云うなら、 江守備……うまいけど遊びがないので特になにも云うことなし。 野村史子……ややうまめのいたって普通のやおい作家。なんか一昔前のやおいの模 範生みたいな形の情念の持ち主だな、と漠然と思う。 吉原理恵子……文章のへんな固さが下手めにみえる。「タカ」はちょっといまでも受ける。なんだこのデタラメな展開は。 森内景生……やはりやや下手め、エロシーンの多さが目立つが、とくになにもなし。 榊原姿保美……思えばロックだの暴走族だのやりはじめたこの頃から嗜好的なおかしさはあった。お願いだからマリスミゼルみたいな写真ばっかとってるのはやめて下さい。つっても、ダメなんだろうな。 で、ぼくらの栗本先生にもどるのですが、 しかしなんだな、これは無理に終わらすためになのかもしれんが、いいところも悪いところも栗本へんへの手癖大爆発ですな。 まあ、思ったよりまとまってたし、ちょと感動的なシーンとかもないでもなかった。 なかったが、やっぱちょっと設定に無理がありすぎたのではないか? と素直に思う。 まあ、しょうがないか。お遊びだったんだし。 しかし、読んでて途中で、ふと真剣に「なんだってこいつらは男同士なんかでセックスしてんだ?」とか思ったおれは、もうやおい者としては失格なんですかね? でも冷静に考えるとおかしいよね? 冷静に考えなきゃわからない自分もどうかと思うけど。 |