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栗本薫 1992年


  終わりのないラブソング3、4

終わりのないラブソング〈3〉 (角川文庫―スニーカー文庫)
栗本 薫
角川書店




大長編やおい。
三巻、家に戻ったら家族が冷たいので、拒食症したりリストカットしたりしてたら 余計に嫌がられて精神病院に入れられそうになりましたので家出しました。
四巻、清正の家に世話になりつつ、紹介された喫茶店でバイトしてたら、昔の男が現れてぐだぐだになったのでバイトやめました。
五巻、突然にいい奴になった昔の男との愁嘆場をぐだぐだやってたら、院を脱走した竜一が助けに来てくれたので、デートしてハメハメしまくりました。

例えるなら、北斗の拳だ。
二巻で宿敵シンを倒したケンシロウは、その後、特に目的も無くふらふらと歩き回っては暴れまわっていたわけで、「人気出ちゃったからつづけたけど、特に目的もないからどうしよう」という武論尊の心の声が聞こえてくるような内容がしばらく続くことになる。
が、偉大なるライバル・ラオウの出現により、北斗の拳は無事、シン篇以上の大人気を博していくことになるのである。

おわらぶはシンを倒した後、ラオウを見つけられなかった作品です。
特に意味もない場面を、連載だからという理由だけでだらだらだらだら書き連ねてしまい、気がついたらなんだかどうでもいいやって気分になっているという、本当にもう、連載物の悪い部分がストレートに出てしまっている。

この辺の巻での見所は、やっぱり麻生勇介に対するどうでもいい扱いであろうか。
もともと栗本先生のツボとはかけ離れたキャラであったため、扱いがどんどんどんどん悪くなり、もう本当にかわいそうなことに。
まあ、結局、清正の妹・奈々と適当にくっつけて、なんとなくまとまった感じにされてしまいましたが、ぼくはだまされません。だまされたくないです。

そもそもその奈々。
あれはなんだったんだ? 幼い時期に実の父にレイプされ、その現場を発見した兄・清正が父を殺すシーンを目撃し、心がぶっ壊れて精神病院に入院していたが、兄を助けるために正気に返り、以後、兄に恋情を抱き悶々としている、というキャラは、なんとなくやって来たイケメン麻生くんに惚れられ、わりと簡単に兄への愛を忘れ、あっという間にどうでもいいキャラになりました。
なんだったんだ、あれは。
なんとなく出したけどうまく処理できなかったので、同じくあぶれて使い道のなかった麻生とくっつけてまとまったように見せかけた、ただそれだけのような気がしてならないというか。
とにかくおいどんは納得がいかないんですたい!

家族の描写も、なんというか、ひどいというか、だって、やっばおれ、二葉みたいな子が家族にいたら扱いに困るよ。
そこで過剰に悪者描写されても、なんか納得いかねー、としか。

でもまあ、それでも、三巻まではけっこう面白いんだけどね、勢いがあって。
思い込みが激しくて。ストーリーも進展してるし。
四巻も、展開くそおせえけど、二葉が少しづつ社会復帰していく様子が、ほほえましいといえなくも無くはないです。
バイトが喫茶店ってあたり、栗本先生の数少ない実体験の成果なんだろうし。

じゃあなにが問題か。
もちろん、五巻であらわれた三浦竜一くんです。
こいつが出てきてからさー、二葉くん、ずっとうわごと呟きつづけて、
で、たまに正気に返ったらH、SEX、性交だらけ。
性格もオカマっぽいという段階からオカマそのものに変わり、ありていにいって「きもーいきもーい」の一言二言もひとつおまけに「きもーい」に尽きる。もうマジきもいです。このカップル。

でもまあ、まだいいさ、再開して盛り上がっちゃったんだよね。
だからこの巻は捨て巻でいいさ。
次に行こう、次に。
そうすれば、ストーリーも進展を見せるはずさ
……と思っていた時期が、おれにもありました。






  シンデレラ症候群(シンドロ−ム) 

シンデレラ症候群(シンドローム) (新潮文庫)
栗本 薫
新潮社





秋葉誠一は25歳の独身会社員。
だれからもお坊ちゃまとからかわれ、会社のOLたちのモーションにうんざりしていた彼は、ある日、夜道で話しかけてきた女に対し、とっさに譲二なる名を名乗り、普段とはちがう、粗暴な男を演じる。
悪いジゴロとしてふるまい、その女、リズと深い関係になる秋葉。
しかし、一週間後、リズが無惨に殺されているのが発見され……

うまい。
面白いというよりもなによりも、このうまさに舌を巻いた。
なんだこれ、なんて小説のうまい奴だ、といまさら感心した。
それも、見せつける類の超絶技巧ではなく、あくまでも物語を自然に支えるための技巧だ。そのさりげなさが憎い。

まず、主人公の独白、その遠まわしで、幾分頼りない言葉遣いに、主人公の情けなさと人間味があらわれ、同時に、かれの見る街の景色、会社の風景が、どことなく色あせたものとして読者にうつり、彼の感じている虚無を言葉の端々から感じられる。
序盤から言葉少なに語られる母との確執が、わずかな言葉でどんどん積み重ねられ、次第に読者の中でクローズアップされていく書き方も、なんともうまい。

はじめ、主人公と自分とに距離を感じ、多少はいりこみにくさを感じないでもなかったが、ほんのちょっとした部分で「あ、おれもそう思うことあるかも」と思わせて、そこからはもう、一気に読ませる。

リズと出会い、なんとなくの苛立ちから乱暴な言葉遣いをし、それがきっかけで別の人格を装うにいたる経緯は、ひどく自然で、いかにもありそうだ。うまい。
また、次第に誠一と譲二の人格が乖離していく様子も、無理を感じさせないのがうまい。
特にうなった個所が、中盤、誠一の物思いが、いつの間にか譲二としてのものに入れ替わっているくだり。
あまりにも自然で、どこが契機で変わったのかわからず、その部分を読み直したのだが、なおわからない。
それでいて、確かに文章はつながっているし、おかしな部分はなにもない。
まるで別人のような誠一と譲二が、あくまでも同一人物であるというなによりの証左として、印象深い。この部分は狙ってもなかなかできるものじゃない。
ほかにも、中盤での誠一と譲二の入れ替わり箇所は、いずれも自然かつ凝ったシチュエーション、文章で表現され、面白い。

脇役の配し方がうまい。
ニューハーフのリズも、おなべのサムも、レズのマスターも、みな、自分の人生を生きていることが感じられる。
言葉の端々に、悲しみがあるし、たくましさがある。

譲二が「あんただって、別の自分になりたいって思うことぐらいあるだろ」と云われ「そんなこと、一度もねえよ」と答え「あんたみたいなのはそうだろうね」と云われるくだりは、地味にぞくっとする。
いまこの瞬間に別のペルソナをかぶっている人間が「ならあんたは幸せものか、おめでたいだけさ」と云われるこの皮肉。
ちょっとした会話に、こうした行き届いた配慮がある。

配慮といえは、会話のタイミングもいい。
地の文がつづくくだり、会話でさっと流すくだり、重くからみつく独り言のくだり、すべてが読者を飽きさせないように配慮されている。だから一気に読める。
また、これは彼女の悪癖でもあるのだが、中盤で、普通の作家なら丁寧に埋めていく部分を、感情過多で一気に物語を巻いていくやり方は、だれを少なくさせて、自分好みだ。

うまいと云えば、ホモを出さずにいられない自分の性癖を隠すのもうまかった。
女だと思っていた相手が、殺されてからニューハーフとわかる、という。
それではじめて、なぜ彼女がああも女性の戯画のように過剰になよなよとしていたのかわかる、と。
自分の趣味を満足させながら、読者には自然で、かつニューハーフの悲哀というものまで表現できる。狡猾とすら云いたい手口だ。奥ゆかしい。
この奥ゆかしさは、今どこへ消えたのか。まあ、それはいいか。

この作品の白眉は、やはりニューハーフのリズと母親だろう。
なんともわかりやすく愚かで、しかし、悲しく、理解できてしまう。
粘りつき絡みつき、ぐずぐずと腐っていく。そんな女の負の一面を、見事に表現している。
これが書けるのに、なんで自分がその愚かさそのままにハマッて
いや、そのことはもういいか。

で、ここまでベタ褒めしてると、なんで昔読んだときは「普通かな」なんて思ったのだろうと不思議だったが、読了してわかった。

これ、最後の15ページくらいがぐだぐだで、ありふれてるんだ。
いつもの逆パターンか
巻き展開過ぎて、一部に感情的な無理がある。サムへの気持ちとかね。
母親との対峙も、もっとちゃんと書くか、読者に想像させるか、どっちかにすりゃいいのに、どうでもいい感じになってしまった。
また、当時は冬彦さんブームからもほど近く、「結局マザコンかーよ。母子癒着かーよ」という気持ちもあった。
だがまあ、今の目でみるならば、これは良作といっていいだろう。

とにかく、勉強になった
そしてまた、読み直して気づいたのだが、これ、ホラーの『家』JUNEの『いとしのリリー』と、ほとんど同じモチーフで描かれている、三部作といってもいい作品なんだな。

子供の立場から描かれた今作。
母の立場から描かれた『家』
母との関係をばっさり切って、似た成り立ちの子供同士を描いた『いとしのリリー』
よく見てみると、すべて構成まで似ている。

面白いのは、母と子を中心に据えた今作と『家』は、同じように中盤までかなり良いのに着地に失敗し、逆に母との関係はほとんど描かなかった『いとしのリリー』は、中盤ぐだぐだなのに着地だけ完璧だった。

おそらく、彼女はまだ、母と子の問題に関して、納得のいく答えが出ていないんだろう。
いまだにエッセイとかで母の抑圧、影響について言及することあるし。






  まぼろし新撰組  う

まぼろし新撰組 (角川文庫―スニーカー文庫)
栗本 薫
角川書店





とある凡庸な女子高生の前にあらわれたのはタイムスリップしてきてしまった新撰組一行でした。
いろいろあってドタバタしつつ、一行は少女に淡いときめきを残してもとの時間に消えたのでした。

えーとね、これね、うん、十数年前に一度読んだきりでね、今手元になくてね、 あらすじもなにも内容おぼえてなくてね、つまらなかったという印象しかないの。
でね、この作品をね、他の人に紹介するときね、なにに例えればいいか考えていたんだけどね、あれだよ、あれ。
紡木たくの『ホットロード』
あれの暴走族の部分を新撰組に変えると、まったく同じテイストの話になります。
むしろホットロードが下敷きにあったんじゃないの? いやまじめに。新撰組と暴走族ってテイストが似ているしさ<。br> だからこう、栗本薫版のホットロードです、これ。

たしか、これも舞台脚本が先にあったか、舞台のために先に小説書いたかじゃなかったっけ?
舞台が絡むたびに顕著にクオリティが下がる、それが栗本薫。
だから、まあ、あの、その。
別に見なかったことにしていいんじゃないかな? この作品は。






  アマゾネスのように(中島梓)  うな 

 
アマゾネスのように (ポプラ文庫)
中島 梓
ポプラ社




1990年、乳癌にかかった梓の闘病記。
とにかく勝手に自分の人生を振りかえり、しんみりしては「病気なんかに負けない! わしは書く宿命にあるんじゃあ!」と無駄な気炎をあげまくるという、なんともマッチポンプな感じのいつもの芸風である。

いつもだったらもっと笑い飛ばしている可愛さがあるんだが、いちおう命がかかっているだけに、やたらマジなので、どうにも居心地が悪い面はある。
わりと普通に闘病記なので、ツッコミどころも少なければ感動するポイントも少ない。

しかし同じ闘病記として08年に発刊された『ガン病棟のピーターラビット』と比べ読むと、梓の劣化具合が如実にわかって面白辛い。

それにしても梓は日記にいつもその日のメニューを書いているから、はたから見るとどんだけご飯大好きなんだよ。つうか油が苦手という設定にあとからなった梓だけど、いろんなエッセイでやたらフライが出てくるのはツッコミ待ちなのだろうか?
梓のフライは油で揚げないのだろうか?

また最終章で交友関係の大事さ、大変なときに支えてくれる周囲の人間の大事さ、理解ある伴侶の大切さを訴えていたが、もうほんと、それだけはお前が云うな。

などと意地悪な云い方をしてしまうが、内容自体はわりと普通に読める闘病記です。
ただ普通に闘病記なのがちょっと気に食わないので、意地悪しちゃってるだけです。
こんな深刻なエッセイ、梓には似合わないよ!






  新版・小説道場1(中島梓)∈(゚◎゚)∋うなぎ∈(゚◎゚)∋ 

 
新版 小説道場〈1〉
中島 梓
光風社出版




小説道場から門弟の作品を抜いて、道場主のコメントだけに再編集したもの。
内容的には一巻と、二巻の半分くらいまでになっている。
よって、感想自体は旧版小説道場 1.2巻を参照にしてください








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