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うなぎのあたる家 〜栗本薫・著『朝日のあたる家』補完・改変プロット〜


 はじめに



先日、栗本薫ファンの人に「『うなグイン・サーガ』の要領で『魔界うなぎ伝』や『うなぎのあたる家』をずっと待っているんですが、まだですか?」という理不尽なことを云われ、困惑する。
いや、グイン・サーガはさ、やりやすいじゃない? だって風呂敷はほとんど広げ終わってたからさ。それを畳む気がない作者に代わって、勝手に畳めばいいだけだったんだから。

でもさ『魔界水滸伝』は、最終的にどういう話にするつもりなのかよくわからなかったし、どこまで行く話しなのかもわからないし、そもそも改変する場合、どこから改変すればいいのかわからんし(『新・魔界水滸伝』から? それとも第二部から?)
そもそもね、アレなんですよ。僕はクトゥルー神話、魔界水滸伝から入ったから、はじめはあんまり気にならなかったけど、高校以降、『ク・リトル・リトル大全』や『ラブクラフト全集』、『図解クトゥルー神話』などをぼちぼちと読むにつれて、まかすいがどれだけおかしなクトゥルーものであったかわかってきてしまったもので。
ほんと、クトゥルーものとして許容できるのは第一部、九巻までなのよね。でもまあ、おれは第二部完の二十巻までは、セーフだったのよね。ストーリーはかなりアレだったけど、文章に脂がのってたから。
そういうもろもろ考えると、いったいどこから手直しして、なにをどうすりゃいいのやらさっぱりですよ。

それに『朝日のあたる家』、これもよくわからん。
なにせ初めて読んだとき「これはどこにたどり着く物語なんだ?」というのが鮮烈な感動となっていたわけで、僕のテンプレストーリー自動生成能力で捉えられるような作品では、到底ないと信じたいのですよ。
だから、朝日四巻以降が明らかにアレな作品であるのは間違いないのですが、かといってどうなるのが正しかったのか、まるで見えないのて……ん?見えないかな?
あれをこうしてこうすれば、まあ名作ではないだろうが無難な作品には……あれ?見える?見えるのかな?いや、でも待てよ、おれ、そもそも朝日のあらすじ、けっこう忘れてる?

というわけで、とりあえず、自分なりに『朝日のあたる家』とその前章にあたる『翼あるもの 上下巻』、翼〜と朝日〜をつなぐ短編『The end of the world』のあらすじをまとめることにしてみました。


以下『翼あるもの』『朝日のあたる家』のストーリーを豪快にネタばれしております。
未読の人は注意してください。




 『翼あるもの』『朝日のあたる家』あらすじ



天性の美貌と才覚によって、男女を問わず誰にでも愛されるアイドルシンガー、今西良。通称ジョニー。
彼を溺愛、崇拝するものはあとをたたなかったが、彼の所属するGSグループ『レックス』に楽曲を提供する俊英作曲家、風間俊介の良に対する執着は、もはや業界でも語り草になっていた。そんな風間の気持ちを知ってか知らずか、良は無邪気に風間になついていた。
しかし、良を主演に据えたあるテレビドラマの撮影がはじまると、その関係に亀裂が生じ始める。ドラマの共演者である巽竜二が良に執着を見せ、風間と巽の間で静かな争いがはじまったのだ。

遠からぬ破滅を予感させた三人の関係は、ドラマの最終回の収録日に、ついに終焉を迎える。
撮影の前日、思い余った巽は力づくで良を抱き、良は撮影に使う偽物の銃を、本物とすりかえた。カメラの前で、巽は良に撃たれて息絶える。
パニックを起こす良を落ち着かせるために、風間は良を抱くが、そのことによって風間は良に隷属することになる。
事件は『レックス』のメンバーの一人、修がすべての罪を引き受け自殺することで収束したが、良の存在は呪われたかのようにかぐろい光を放ち、芸能界でますます輝きつづけるのであった。

(翼あるもの・上巻 生きながらブルースに葬られ)


GSグループ『レックス』には、かつてもう一人のボーカルがいた。
森田透、通称トミー。
良以上の美貌と歌声であると評されながら、しかし良のようには愛されなかった透は、数々のトラブルを引き起こした挙句、独断でグループを脱退、さらに警察沙汰を引き起こし、芸能界から干されていた。
生業を持たぬ透は、酒場で酔いつぶれながら、声をかけてくる相手に男娼まがいのことをして日々を過ごしていた。ある日、いつものように過ごしていた透に声をかけてきた男がいた。一匹狼で知られる異端の俳優、巽竜二であった。

巽は透を部屋に連れ帰ると、言葉少なに透を抱いた。透は促されるままになんとなく巽の部屋に居つき、そして朴訥で穏やかな巽の愛を受け、傷ついた心を少しづつ癒しつつあった。
日がな一日部屋にこもり、今西良の出るテレビ番組ばかりを追いかける透に、巽は「俺にできることならなんでもしてやる」と云う。
透は答える「だったら、今西良をめちゃくちゃに犯してよ」
巽は透の願いを聞き届け、良と共演する仕事をとってくる。しかし透ははじめから確信していた。良に近づけば、巽は良を愛さずにはいられないだろうことを。

予想は当たり、数ヵ月後、巽は「良を愛してしまった」と透に告げる。透は巽を思いやり、憎まれ口を叩いて彼の部屋を飛び出した。そして森田透の再デビューをおいしいビジネスチャンスと捉えるテレビ局の大物プロデューサー、島津正彦のもとに転がり込む。
徹底した人間不信者である島津より、汚物のように扱われおもちゃにされる透であったが、巽のスキャンダルをちらつかされ、すべての侮蔑と行為を黙って受け入れる。
そうした透の態度は、はじめ島津のサディズムにますます火を点けたのだが、それが過ぎると島津の透を見る目は少しづつ変化していった。そして巽と島津、二人の男との日々は、すさみきった透の心にも変化をきたしていった。

ある日、透はナイフをポケットに隠し、良に会いに行くことを決意する。 収録の帰り、良のファンに紛れ出待ちをしていた透を、良の目が捉える。しかし、良の瞳はまるで見知らぬ人間をみるものであり、そのまま良は去って行った。
不思議と、そのことが、長年培っていた良への愛憎を押し流していった。
すべてを見守っていた島津に、透は云う。
「不思議だね――なんだか、歌でも歌いたい気分だよ」
「なにもおかしかないよ、あんたは歌手なんだからさ」

(翼あるもの・下巻 殺意)


島津の部屋で一人、テレビを怠惰に見続ける透は、そのニュースを目にする。
巽竜二の収録中の事故による死亡。それに続く修の自殺。
巽の死に激しい衝撃を受けた透は、包丁を持ち出して自らの手首にあてるのだが、それを振り下ろすことが出来ぬままに長いこと硬直していた。
帰宅してその現場を目撃した島津は、自殺もろくにできぬ透を侮蔑、挑発する。そして「俺が殺してやろうか」と告げる。透の答えは「俺をめちゃくちゃにしてくれよ」というものであった。
願いに答え、激しく動物的な交わりをする二人。潔癖ゆえに他人を嫌い、行為には常に道具のみを用い、生身の欲望をぶつけることのなかった島津が、自らの身体で透を抱いたのは、これが初めてであった。
透の失神によって行為を終えた島津は、誰にも聞こえぬようにひっそりとつぶやく。
「まいったね、島津さんとしたことが」
かくして、透は巽のいない世界を受け入れたのであった。

(The end of the world)


巽の死より数年。
誘う男女に請われるままに身を売り、ある時は有閑マダムの若いツバメとして、ある時は新人女優のヒモとして、夜の街を気ままに生きていた透は、気がつけば三十二歳になっていた。それは、巽竜二の死んだ年齢でもあった。
「巽さん、おれ、あんたと同じ歳になっちまったよ」
巽の命日に彼の墓所を訪れた透は、そこで意外な人物と出会う。
泥酔した今西良であった。正気すらさだかでない良の姿に、透はドラッグの匂いを感じ取る。
良はいまだ芸能界のトップに君臨してはいたが、その人気には翳りが見え始めていた。新曲のわずか一週での首位陥落。突然の結婚と、それに続く離婚。時代遅れと評される音楽性。今西良の天下は、確実に斜陽を迎えようとしていた。

透との再会を無性に喜ぶ良を、透は送り届けることにした。良を出迎えたのは、作曲家の風間俊介であった。その後も良に誠心誠意をもって尽くし続け、公私共にマネージャーのような存在になっていたのだ。
しかし、かつての俊英の姿はそこになかった。作曲家としてはすでに有名無実の存在と成り果て、落ち窪み狂気を孕んだその眼には、かつての美丈夫は欠片もなかった。
別れを惜しむ良に再会の約束をし、透は自宅に帰るのだが、彼にもまた別のトラブルが降りかかっていた。

透を囲っていた政治家の妻、朝倉雪子が、透が娘の朝倉亜美とも関係を持っていることを知り、手を切りにきたのだ。抵抗なくそれを受け入れる透であったが、別れの瞬間、ふと悪戯心を起こし、雪子をはじめて強引に、乱暴に犯す。
それから数日後、透のもとに、彼を告発するような謎の電話がかかってくる。
新人女優である朝倉亜美は依然、透に積極的に迫っており、一方で朝倉雪子もまた、最後の情事により火が点いて、透に執着を見せはじめていた。ことが政治家がらみとなると厄介だと判断した透は、島津に相談を持ち込む。透と島津は、今ではお互いを無二の相棒だと信じ合う関係となっていた。
「年増相手にそんないい事してやるなんて、お前はどうしようもない馬鹿だな」
そう罵りつつも「朝倉樹三郎が相手だと厄介だな」と、島津は透に今の家を引き払い、自分の部屋に来ることを薦める。素直にその言葉に甘え、しばし島津の部屋で穏やかな日々を過ごす透であったが、謎の告発電話は島津の部屋にまでかかって来た。

そして良と風間の関係もまた、透を巻き込まずにいられなかった。
良は時折ヒステリックに暴れ、風間を傷つけ透に会いたがった。
二人の要請にこたえ、彼らの住居を訪れた透は、良をなだめ、風間の話を聞く。
「おれは良といたらダメになる。ダメになった。だが、もう良なしでは一刻たりともいられない。おれはどうしたらいいんだ」
自らの激情の袋小路に絶望する風間を、透は穏やかになだめ、彼の気持ちをほぐしていく。はじめは透に激しい嫉妬を向けていた風間も、彼の穏やかな言動と優しい言葉に慰められ、次第に心を開いていく。
だが、それで二人の関係が良い方向に変化することもなく、良はますますドラッグに溺れ、身を持ち崩し、風間はただ狂気を募らせていくだけであった。

一方で、亜美と雪子の対立もまた、透を間において激化していっていた。
自らを殺し、政治家の貞淑な妻として生きることを選んだ雪子を侮蔑する娘と、立場を考えずに奔放に生きる考えなしな娘に眉をひそめる母親。その根底に同じ激しさを有しているからこそ、親娘の争いは熾烈なものとなっていった。折りしも世間は選挙シーズンであり、娘の不祥事は父の政治家生命をも左右しかねない。
それらを一切承知したうえで、亜美はヌード撮影を写真週刊誌に公開。父親のこともすっぱ抜かれ、ここぞとばかりに実家を飛び出し、透のところへ転がり込んでくる。
困りながらも、とりあえず島津に相談してみようとする透だったが、その夜、遅くに帰ってきた島津は泥酔していた。透のはじめて見る姿だった。 亜美を追い返し、島津の介抱をする透だったが、島津は多くを語ろうとしない。ただ、透にもたれかかり、翌朝早くには姿を消していた。


後に、透は島津の親友であるマスコミの巨魁、野々村より事情を知らされる。
島津は上層部と対立の結果、テレビ局を辞し、独自のやり方でなにか大勝負を打とうとしているらしいのだ。島津の事情を知った透は、彼を煩わせまいと、周囲のトラブルは自らで解決させようと決意する。
そんな折、唐突に風間のもとを飛び出した良が、透のもとを訪れてきた。
透と良は、長年にわたるお互いの確執を、その気持ちを忌憚なく話し合う。 良は、自分にとって透がどれほど大事な仲間・存在であったかを語り、再会して今までどれだけ透に会いたかったのかわかったと語る。
透は、自らの良に対する愛憎はすべて一方通行なものだと思っていたと語り、良が自分に会いたかったなんて信じられないとこたえる。
長い年月の果て、ついに二人きりで話し合う機会を得た二人は、ようやく和解しようとしていた。
だが、そのとき、鋭い電話のコールが二人の間に響き渡った。
電話の相手は風間であった。
「良は、そこにいるんだろう?」
風間は感情を押し殺した声でささやく。
「透、殺していいか? おれは、良を殺していいか?」

(朝日のあたる家 1〜3巻)


なぐりこみをかけにきた風間に「お父さんは疲れているのよ」と飲み屋のママさん的な慰めをかけて、なんだかんだと言いくるめて追い返した透は、その夜、よくわからない理屈で発情をはじめた良とベッドインする。
「おれ、前の嫁さんもなんとなく透に似ているから結婚したんだよー」
わけわからないことを言い出す良に感激し、はりきっちゃった透は、長年培ったスーパーテクニックの数々を披露する。
「なんか、透、すごいうまい」
「おれ、これで食ってきたからね」
「それって、なんか迫力」
といちゃついてんだかなんだかわからない会話を繰り出しつつ、えっちらおっちらとおっぱじめた二人。今までレイプ経験が二度あるだけ(巽一回、風間一回)で、元女房には「ジョニーはふにゃちんのマグロ野郎」と週刊誌に暴露されるくらいに性体験の少ない三十代・今西良であったが、トミーのスーパーテクニックにもうメロメロ。
「なんかすげえ……グルーヴィ」
などとよくわからない感慨をもらしつつ、一晩中えっちらおっちらやってたのですが、そんなことばかりしているわけにはまいりません。

ドラッグ問題とかが浮き彫りになりつつ、さらに謎の失踪を遂げたために、マスコミでは今西良に関してけっこう大騒ぎになっていた。元々落ち目だったから、ここぞとばかりに叩こうというやつらが群がっていたのだ。
「よーし、抱いた女のことはおれが責任持っちゃうぞー」
とばかりに唐突にありもしない男性性を発揮し始めた透は、だれも頼んじゃいないのに良の代理として緊急記者会見に出席。事務所の人にはんなりといやがられながら、マスコミの質問攻めにこたえる。
はじめは奇麗事を云って誤魔化していたのだが、記者の質問はどんどんとずれて失礼な方向になっていき「良はドラッグやってないって云ったって、そういやあんた自身が昔、ドラッグとかで警察の世話になってるじゃん。説得力ないんですけど」「つうかあんた小劇場で暗黒舞踏とかしてチンコ丸出し罪で捕まったりしてるじゃん」「つうか恥ずかしくないの?人として」「つうかあんたらの関係なによ?」などとさまざまな言葉攻めにあった結果。
「なんで?関係ないよ」「違うよ、全然違うよ」「成長したんだよ」などと、マーク・パンサーなのかマイコーなのかわからない言い訳を繰り返したあげく「お、おまえら失礼だよ。ばーかばーか」とキレてしまい、会見ぶち壊し。
事務所にも「あんたむしろ迷惑だからもう良に関わるなよ」と怒られ、しょんぼり侍になって帰って、気分なおしに良といっちゃらいっちゃらしてました。

そしたら良が「いいこと思いついた」とはっちゃける。
「おれ、巽さん殺しぶっちゃけて、自首するわ」
ええ? それって本当に問題の解決になってるの? と疑問に思う人はあんまりいなかったようで、じゃあそういうことで、ということになり、暴露会見を開くことになった今西良。
一方その頃、島津さんは透に紹介された朝倉亜美と意気投合し、大勝負となる映画の海外撮影も、亜美主演で超順調。
「もうおれ超楽勝。トミーはどう?」
「こっちもこれからいろいろあるけど超楽勝」
と、こうしてすべてよくなっていきつつありました。
で、ついにその暴露会見日
。 ボディーガード気取りで会場まで良を送っていこうとした透は、そこで変な二人組みに襲われるのでした。二人組みは良の元妻とその彼氏で、透のところにかかってきた謎の告発電話はこの二人組みによるものだったそーです。 透や良をゆすろうとしたのですが、埒があかないので直接やってきて、マスコミの前でいろいろちらつかせて脅かそうとしたのですって。
が、全部ぶっちゃけ祭りを開催直前の二人にそんなものが効くわけもなく、良を背中に回して騎士気取りの透は平気の平左です。
バカマッチョの彼氏が「もう我慢ならねえ」とか思っているところに、ちょうどよくというか悪くというか、あらわれたるは島津さんでした。
「話はすべてきかせてもらったー!」
と現れた島津さんに、バカマッチョはぶち切れて殴りかかろうとしたから、さあ大変。
あわてた透は「なにをするだー!」と殴りかかったら、カウンターくらっておねんねしましたよ。

で、眼が覚めたら病院のベッドの上。
殴りかかってきたおかげでバカマッチョは取り押さえられ、会見は無事に終了。マスコミは大騒ぎだけど、良はさっぱりした顔で「チョーきもちいい」とのこと。
ベッドサイドの島津さんは何故か悦に入ってて
「お前が恋人のピンチには身を呈したが、おれのピンチにはアイツに殴りかかってくれたこと、嬉しくなくはないんだぜ?」
と、ツンなんだかデレなんだかわからないようなことを云って、それで満足した透くんは
「こうしてすべてよくなった」
と思い込んで、寝ることにしました。
おしまい。
あ、政治家の朝倉さんのことは、なんだかテキトーにどうとでもなりました。

(朝日のあたる家 4、5巻)


 うなぎさんなりに考えた『朝日のあたる家』の敗因



以上が栗本先生曰く「東京サーガ」(爆)の中心である森田透と今西良の物語のあらすじである。(ちなみに「東京サーガ」もう一つの中心が矢代純一ね)
まあ、あれだ、最初にも言ったとおり、この作品を読み返すのは非常につらく、特に4、5巻を開くのは身を切るような苦痛を伴うので、今回のあらすじを書くにあたっては、記憶以外の何者にも頼りませんでした。
で、じゃあなにがいいたいのかというと、だからきっとこのあらすじは間違いまくっているし、大事なところをぽろぽろと抜かしていると思うので、読み直して確認するのが苦痛でならない僕のため、だれかその間違いをガンガン指摘しちゃってよ!というお話なのでした。

で、だね。このうち『朝日のあたる家』三巻までは、ぼくの心のバイブルなので、一切いじる気ナッシングなのですよ。だから、四巻以降を勝手に改変していくわけなんだけど、いやあ、どう考えても政治家親娘が話しに絡まない絡まない(爆)
それをなんとかごまかしつつ、なんとかまとめ作業に入ろうかな、と思いつつあります。

さて、ここで朝日終盤のなにが悪かったのかをちょっとばかし分析してみたいと思います。

・文章が劣化している。
これはもう、しょうがない。あきらめるしかない。

・古臭い
現代物であるがゆえにしかたがないのですが、なぜここまで古臭いのか?
それはね、致命的にダサいからなんだよ。
元々音楽方面に関してはクリティカルなダサさを発揮してきた栗本先生。それが時が経つにされてますますパワーアップしたわけで、音楽的なことをもっと誤魔化してあいまいに書くしかなかったと思うよ、ホント。
あとはまあ、あいまいに「現代」というくくりにしないで、はっきりと「80年代の東京が舞台です」と定義してしまえばよかったんだよね。ま、そう設定すれば設定したで「80年代にはそんなものねえだろ」的なツッコミを受けるポカを、栗本先生はしでかしてたと思いますけど。

・『朝日〜』以前の作品との違いを、栗本薫が描ききれなかった、耐えられなかった
これは、一方的にですが、断言するね。
『朝日〜』以前の栗本薫のやおい物、これは単純に「救いを求める者の物語」だった。
可哀想な子が救われたり、結局破滅してしまったり、とにかく、重要なのは「救いを求める不幸な存在」がいることだったわけ。不幸な人間があがいていたわけ。そこが面白みだったわけよ。
でもね、アレですよ。内心であれ心のどこかあれ、「助けてくれ」なんて思っているのは、これは子供ですよ。子供の物語です。しかし、子供はいつまでも子供ではいられないのです。
巽竜二と島津正彦によって、いくばくかの救いを得た森田透もまた、もはや子供ではいられないわけですよ。だってもう、救われたんだもの。
その象徴となる言葉が朝日一巻冒頭の「巽さん、おれ、あんたと同じ歳になっちまったよ」なんですよ。つまり、もう救いを求めるだけの存在じゃないわけ、透は。でもまだ、幸福には遠い。

彼が最終的な救いを得る方法はなにか? それは「子供ではない存在」からさらに一歩進み「大人」になるしかないのだ。では大人とはなにか?
「救う者」
これが大人だ。
だからこそ「いまだ救われざる子供」である今西良の存在が重要になってくる。
「救われざる子供」である良を「救う」ことによって、森田透は自身もまた「救われ」て「大人」になる。『朝日のあたる家』課せられたテーマ、物語とは、つまるところそういうものであったのではなにかろうか?
ゆえに透は作中で「優しさ」と「許し」の象徴であり「穢れ」の果てに「清純」の極みに達した存在として描かれているのではないか?

だから、透は、自身の力で、自身の存在で、良を救い、良を自身の力で立てる存在にさせなくてはいけない。そうして初めて透は島津と対等の存在となりえる。そこにいたってようやく大人同士の恋と切なさがあらわれる。
そして透が、良を救うことによって自身をも救うことにより、島津もまた救われるのだ。透の弱さとはまた、島津が若き頃に切り捨てた自身の弱さでもあるからだ。
この物語に、破滅はない。破滅という名の逃避を続けた栗本薫にとって、はじめて正面から現実に立ち向かった作品になったはずなのだ。

しかし、意識的にか無意識的にか、栗本薫は自分がその領域にたっていない、人を救えるほど大人ではないことを察した。あるいは、人を救いたいなどと思っていないことに気づいてしまった。ゆえにこの物語は三巻まで書いて、長いこと放置されていた。
そして、この物語が再開した時、栗本薫は別のベクトルへ進化してしまっていた。
「可哀想な子供」を神か天使かお姫様のように清純なものとして扱い、それを守る「騎士」をなんの躊躇もなく出すようになってしまった。そして、この構図をよりにもよって良と透にもあてはめてしまった。だから、透は柄にもないナイト役をやらされているし、そのことで島津と透の関係もわけのわからないことになってしまった。

いい大人同士の物語なのだ。保護者と被保護者が存在しては、健全であるはずもない。
これは、大人になろうとしていた栗本薫の描いた物語を、子供に帰った栗本薫がぶち壊してしまった物語なんだな。

つうわけで、そういうことを留意して『うなぎのあたる家』をいまから考えます。探さないでください。
あ、そうそう、三月には、『朝日のあたる家』の続編にあたる新刊『嘘は罪』が角川から出版されますから、まっとうな栗本ファンはそっちを期待しててね?


 あらすじ再まとめ


すいません、なんか念のため一巻から三巻を読み直したら、記憶とけっこう違うのね。
そうでもって、三巻の時点で文章も展開もけっこうぐだぐだなのね。
というわけで、しきりなおしは三巻からにします。で、二巻までのあらすじをわりと丁寧にまとめなおします。

『朝日のあたる家』 四章までのあらすじ
(ちなみに『朝日のあたる家』は一巻が二章まで、二巻が四章まで、三巻が五章、四巻が六章から九章、五巻が十章から十五章、という謎めいたバランスになっています。『うなぎのあたる家』は一、二巻の構成を意識して、だいたい十章で終わりにしようかな、と予定しております。


巽の死より数年。
誘う男女に請われるままに身を売り、ある時は有閑マダムの若いツバメとして、ある時は新人女優のヒモとして、夜の街を気ままに生きていた透は、気がつけば三十三歳になっていた。それは、巽竜二の死んだ年齢でもあった。 「巽さん、おれ、あんたと同じ歳になっちまったよ」
巽の命日に彼の墓所を訪れた透は、そこで意外な人物と出会う。
泥酔した今西良であった。正気すらさだかでない良の姿に、透はドラッグの匂いを感じ取る。
良はいまだ芸能界のトップに君臨してはいたが、その人気には翳りが見え始めていた。新曲のわずか一週での首位陥落。突然の結婚と、それに続く離婚。時代遅れと評される音楽性。今西良の天下は、確実に斜陽を迎えようとしていた。

透との再会を無性に喜ぶ良を、透は送り届けることにした。良を出迎えたのは、作曲家の風間俊介であった。その後も良に誠心誠意をもって尽くし続け、公私共にマネージャーのような存在になっていたのだ。
しかし、かつての俊英の姿はそこになかった。作曲家としてはすでに有名無実の存在と成り果て、落ち窪み狂気を孕んだその眼には、かつての美丈夫は欠片もなかった。
別れを惜しむ良に再会の約束をし、透は自宅に帰るのだが、彼にもまた別のトラブルが降りかかっていた。
透を囲っていた政治家の妻、朝倉雪子が、透が娘の朝倉亜美とも関係を持っていることを知り、手を切りにきたのだ。
抵抗なくそれを受け入れる透であったが、別れの瞬間、ふと悪戯心を起こし、雪子をはじめて強引に、乱暴に犯す。この件がきっかけで雪子は透に執着を見せはじめ、連日電話をかけ、たずねてくる。

透は雪子を振り払うため、島津に相談をする。透と島津は、今ではお互いを無二の相棒だと信じ合う関係となっていた。
「年増相手にそんないい事してやるなんて、お前はどうしようもない馬鹿だな」
透を罵りつつも、島津は協力を約束する。
その夜、透の部屋に泊まった島津は、部屋の鍵を開けたまま透とベッドシーンを演じる。目論見どおり、部下をつれ力づくで透をさらいに来た雪子はそのシーンを目撃。激しいショックを受け、去っていく。
しかしその雪子の姿に厄介なものを感じた島津は、自分の部屋に来るように透を誘う。島津の言葉に甘え、透は自分の部屋を引き払い、島津の部屋で暮らすようになる。
島津の懸念どおり、この日より、雪子は更なる執着を透に見せるようになる。しかし、その執着は権力者の妻としてのものではなく、四十七にして初めて恋をした乙女のそれだった。

一方、娘の亜美もまた、激しく透に執着していた。父親の選挙期間が近いことを承知でヌード写真を週刊誌で公開し、透に激しく迫り続ける。島津はそんな亜美の風聞に興味を持ち、ドラマに使うかもしれないから一度連れてこいと透に云う。
数日後、連れられてきた亜美を島津は即興でオーディションし「数日後に局の連中に会わせる」と約束して帰す。だがドラマに関しては「不合格だ」と云う。
「あれは今度の日仏共同制作映画の主演に使う」
それは、島津が手がけるプロジェクトの中でもっとも大きな話であった。島津の進退を左右するほどに。

その頃、透は良に呼び出され、会員制バーや良の家で、幾度か良や風間と話す機会を得ていた。良は饒舌で、風間は透に嫉妬するが、しかしその一方で透の穏やかな言葉と態度に心を開いていった。
話の中で、良が一度結婚をし、すぐに離婚していることを知った透は、その女、真木アリサに興味を持つ。話を聞いた誰もが「昔の透にちょっと似ている」「あんたを本質的にダメにしたような女」と、透とアリサの類似を指摘しているのもその理由であった。

よく出没するというクラブで、透は真木アリサを見つけ、自分がテレビ局の大物プロデューサーの情人であることをちらつかせて、良の行きつけのバーへと連れて行く。
そこで風間に発見された透は、激しく壁に叩きつけられる。
「森田さん、あんたも良を裏切るのか」
透の真意は、良をもてあそんだアリサに同様の扱いをしてやろうというものだったが、言い訳をせず風間の激昂に身を任せる。その態度によって風間は落ち着きを取り戻し事態は収拾するのだが、透はアリサのつまらぬ反応に彼女への興味を失い、放置して帰宅する。

その頃、島津の身の上に急変が起きる。
島津の勤めるKTVは、朝倉亜美の父親、朝倉樹三郎の属する派閥が牛耳る局であり、。美の起用は派閥の大物である朝倉樹三郎に敵対する行為であった。局の上層部がそれを看過するはずもなく、それは次期社長と噂される島津であっても例外ではなかった。
社長直々に叱咤され、それを原因にライバルにより局内での地位を脅かされる島津。だが、島津の取った行動は、自らの地位を復権するものではなく、長年勤めた局に辞表を提出するというものだった。
透はすべての事情を、島津の親友であるマスコミの巨魁・野々村より知らされる。島津はなにも云わなかったのだ。
「あの小娘が本物だとわかっちまったら、使わざるを得ない。因果なもんだね、実際」
島津はそう嘯くが、透にも野々村にもわかっていた。その言葉も真実だが、透のためにこそ、島津は局を辞するほどの決意をしたのだと。
「野々村さん。島津さんて、いいね」
「いいだろ。あれほどわかりづらい人もいないが、あれほどいい人もいないさ」
野々村の言葉を受け、透の想いは島津のもとへと飛ぶ。
数日前、透は自分がなぜ生きているのかと思ったとき、答えが島津であるということに気づき、そのことを島津に告げた。
「なぜかは知らないけど、死のうと思ったら、なんとなく島さんのことを思い出して、それでこの部屋に帰ってきたんだよ。三十男が五十男に云うような台詞じゃないかもしれないけどね」
透にとっては単なる事実であったその言葉は、島津に想像以上の感銘を与える。島津が局を辞する決意をしたのは、この時であった。

捨て身となった島津にとって、日仏共同製作映画は成功させなくてはならないプロジェクトとなった。
とはいえ、「本物」の卵である亜美を使えば、確実にものにできるという目算が島津にはあった。フランス側も、送られた資料によって亜美を気に入っている。あとは島津と亜美がフランスに飛べば、話はまとまるはずであった。
だが、土壇場になって亜美はこの話を辞退すると云う。女優などあきらめ、透と結婚すると島津に云い出したのだ。
「ご結婚、おめでとうございます森田さん」
やつ当たりだと知りながら、透に苛立ちをぶつける島津。それが透への甘えだということもまた、島津は理解していた。
島津のため、透は亜美と完全に手を切ることを決意する。だが、激しい気性を持つ亜美は、どうしても透と別れようとはしない。それはまた、島津との出会いによって、己の才能が自身を連れ去っていく激しい運命の予感にようやく気づき、おびえているからでもあった。
島津のため、そして亜美の才能のため、透は強行手段をとる。
朝倉雪子とよりを戻し、その密会現場を亜美に目撃させたのだ。
透との結婚という逃げ道を断たれた亜美は、島津とフランスへ行くことを承諾する。
透が自分のために雪子とよりを戻したことに感謝する島津。だが、透はただそれだけのために雪子と関係を持ったわけでもなかった。
雪子のもつ愚かさ、卑劣さ、愚鈍さに侮蔑を感じつつ、同時に哀憫をも抱き、その感情は奇妙な劣情をともなっていた。
雪子に危惧を抱き、早急に離れることを強要する島津を、透は頑としてはねつける。
島津は透を心配したまま亜美と共にフランスへ飛ぶ。

一人となった透のもとへ、二つの電話があった。
一つは、真木アリサからのもの。島津に引き合わせるやるという透の方便を信じ、電話をかけてきたのだ。自分に似ている女に苛立ちを感じながらも、話の流れで彼女の生まれが群馬であり、本名が凡庸なものであることを知り、アリサに悲しい共感のようなものを抱く。
しかし、彼女のような愚物を島津に会わせるわけにはいかない。透は真木アリサに冷淡にあたり、電話を切る。

もう一方は、風間からの電話だった。良が暴れて、どうしても透を呼べというのだ。
訪れた良の部屋はひどい有様だった。良の手により、部屋中に風間の収集したレコードが散乱し、それに怒った風間は拳をふりあげ、しかし良に振り下ろすことはできず、やみくもに壁を殴り己を傷つけていた。
「もう、俺には無理だ」
弱音を吐く風間をなだめて病院に連れて行き、良の相手をする透。
良は透に告げる。
「昔からずっと透に憧れ、透の真似ばかりしていた」
その言葉は、透に激しい衝撃を与える。自身がかつて良へ抱いた愛も憎しみも、一方通行のものだと思っていた。なのに、良は自分に憧れていたという。
風間の代わりにしばらく良の面倒を見ることになった透だが、その驚きと当惑は彼に変化をもたらしていた。

かつて巽とともに一日だけの休日を過ごした横浜の街を、雪子と共に歩きながら、透は不思議な感慨にふける。
透のために、世界の代わりに泣いて謝ってくれた巽。
己の運命におびえ、透にすがった強い亜美。
透を通じて、はじめて外の世界に触れた愚劣な雪子。
良のためにすべてを捨て、恋敵である透をだけ友達と呼ぶ風間。
決して甘やかさないが、透に無償の信頼を与え、受け取ってくれる島津。
そして透に憧れていたという良。
多くの恩讐を乗り越え、かつてあれほど憎んでいた世界に、透は悲しみと愛情としか呼べぬものを感じはじめていた――






 第五章 あんたが古いブルースを歌えと言うから


 風間が入院してから、数日が経った。
 さして何事もなく、日々は過ぎていた。
 雪子は家が忙しいのか、透の前にあらわれることもなく、フランスへ経った島津と亜美は無事を知らせる国際電話をかけてきた。
 どうやら映画の打ち合わせは順調に進んでおり、島津と亜美もウマが合ったようで、島津は「我々は精神的な親子だったらしい」と語り、亜美は島津をマサヒコちゃん呼ばわりする始末。なにもかもが順調に進んでいた。
 ただ一つ、何件かの無言電話がかかってきていたが、透はさして気にしていなかった。
 そして透は、約束通りに良の世話を焼いていた。
 と言っても、風間のように運転手をし、食事をあてがい、求めるものをあたえ、寝床につれていく、というような真似をしようと思う透ではなく、またしようと思ったとしても、できる透ではなかった。
 透は良の仕事が終わる夕刻になると、約束した場所にふらりとあらわれ、島津の部屋へと二人で帰り、あとは夜が更けるまで言葉少なに向かい合って酒を飲むという、ただそれだけの、つねとほとんど変わらぬ日常を送った。

 透は、あまり言葉を知らない。良とともにザ・レックスをやっていた時分から、マイクを前にして話すのは良やリーダーの弘、あるいは目立ちたがりの光夫であり、透と修はあまり話すことがなかった。それでも修は良のこととなると雄弁であったが、良と話すことすら忌避していた透には、話す機会も必要もなかった。
 いや、そもそもレックスをやる前も、やめた後も、透の人生には言葉で語る必要がある場面など、ほとんどなかった。男も女も、透に求めたのは言葉ではなく肉体と快楽であり、透はただそれに答えるだけでよかった。そして巽や島津には、多くの言葉ではなく、心を与えていればそれで良かった。
(おれはまるで、泣き叫ぶことしか知らないガキだな)
 自然と唇のはしに浮かんできた苦笑をどう受け取ったのか、向かいのソファーの肘かけにしなだれかかった良が、うわめ遣いに透をうかがう。
「どうしたの、トミー?」
「いや、別に。おかしなもんだなって思ってさ」
「なにが?」
「おれと良が、こうして向かいあって、何も云わずに酒を飲んでるなんて、さ」
「おかしいかな。おれ、透とこうしているの、好きだよ」
 好意をあけすけに、しかし言葉の端に感じ取れるか取れぬか微妙な媚態をふくませて、良は云う。
「おれもだよ、良。ただ、信じられないだけさ」
「おれも信じられないかもしれない。憧れていたトミーと、二人でこうしていられるなんてさ。おれ、ずっと夢見ていたもん」
「またそういうことを云う」
「ホントだよ、トミー。あの頃は、いつも弘や光男がいたし、それに……サムちゃんも」
 七年前に自殺をした幼馴染の名を出すとき、良の瞳は伏せられ、長い沈黙が生まれた。
 良は、明らかにとまどっていた。なにかを思い出し、それを言葉にしようか迷っているのが、ありありと感じられた。
 夜は、ただ過ぎていく。
 緩慢に、なにも与えず、なにも奪わず、ただ過ぎていく。そのすべてが、透にとってなれ親しんだものであり、だから、なにひとつあせる必要もなく、グラスの口をなめながら、良の言葉を待つだけでよかった。そんなことだけなら、森田透はいくらでもできるのだ。

「……サムちゃんさ」
 やがてポツリと、まぼろしのような声で、良はささやいた。
「おれが、殺したんだ」
「……ああ」
「ホントだよ?」
「わかってるよ、良。わかってる」
(世界できっと、おれだけはわかる。良の言葉の意味が)
 そう、透は思った。
(ブルースだな。まるでブルースだ)
 巽はブルースが好きだった。いつもブルースを聴いていた。
 その巽が、透に云ったことがある。
(あんた、ブルースは歌わないのかい?)
(歌なんて、歌わないよ)
(そうか……あんたのブルース、聴いてみたいんだけどな)
 また、かつてまだ島津の玩具であったころ、云われたことも思い出す。
(トミー坊や。お前さんの再デビュー、ブルースだけはなしだな。歌手には三種類あるんだよ。ブルースが歌えるやつと、歌えないやつと……あとはなんだと思う、ええ、おい。そんな目をしてねえで、なんかしゃべってみろよ)
(知らねえよ)
(そういう態度だと、よけいに痛い目にあうってわかってるだろうに、なんでそうなのかね、あんたは)
(……)
(またその眼だ。実際、なんだってそうサド心をそそるのかね、お前さんは……もう一つはな、ブルースしか歌えねえやつさ。あんたはね、トミー坊や、それさ。なに歌ってもブルースになっちまう。辛気くさいんだよ。あんたの再デビューは、もっと白々しくてからっぽな、ちゃんと売れるもんをやってもらうよ、それでこその商品ってもんだ。その程度の価値しか、あんたにはないからな)
   ブルースしか歌えないやつ。島津はブルースなど歌ったことのない透を、そう呼んだ。その言葉の意味を考えたことなど今まで一度もなかったが……
(なるほど、やっぱり、島津さんはいつだってわかってるもんだ。たしかに、こいつはブルースだ)
 時代遅れのメロディー。七年遅れのブルース。
「巽さんをさ」
 透はそれを、歌いはじめた。
「殺したのは、おれなんだよ、良」

 透は、だれにも話したことのない巽との思い出を語った。
 わずかのぬくもりの日々を、二人であるいた横浜の思い出を、透を待っていてくれていた巽の誠実さ、そこから逃げ出した自分を語った。
 巽が与えてくれたものを語り、巽に与えられなかったものを語った。
 そして、自分こそが巽を良にけしかけた人間だと、死地へと追いやったのは自分だと語った。だからこそ、巽を殺したのは、自分なのだと。

 話を聞き終えた良は、ふるえる声で、云った。
「透は……知っているの?」
 それがなにを指しているのか、明確に理解できた。
「知っているよ」
 だれに教えられたわけでもない。あるいは、野々村や島津ならすべてを知っているのかもしれない。だが、教えてもらう必要すらない。透には、あの夜、テレビに流れるニュースを見た瞬間から、だれが巽に向かって引き金をひいたのか、わかりすぎるほどにわかっていた。
 だれの放った弾丸なら、巽が甘んじてその身に受けるのか、わかりきっていた。
「でも、巽さんを殺したのは良じゃない。おれなんだよ」
 修が良の罪を引き受け、自ら命を絶ったように。そのことについて、良が罪悪感を抱いているのと同じように。巽の死は、透にこそ架せられた十字架であるべきなのだ。良が背負う必要はない。そう云いたかった。修に対して十字架を背負っている良だからこそ、それをわかってくれるはずだと思った。

 長い沈黙のはて、良は「ああ……」とため息をついた。
「透は……透はさ」
 良はもどかしげに唇を動かす。
 言葉を探している、と透は思った。
 そして、それは見つからないだろうということも、わかった。
 そんな時、透は酒を飲むことしか知らない。だからその時もそうしたし、良もまた、同じように掌のグラスを傾けるだろうと思っていた。
 良は、音もなく立ちあがった。
 それから、かすかな衣ずれだけをたてて、透のとなりへ来ると、なんのゆえにだろう、濡れた瞳をうるませて、すがるように、透のうでをつかんだ。
「透は……透は……」
 そこからの先の言葉は、なにも出てこない。
(良も、そうなのか)
 言葉をしらない子供。泣き叫ぶことでしか己を表現できない幼子。
 いつも人の輪の中心にいた良。歌番組で、いつもはにかみながら笑っていた良。コンサートでは、MCの時間が予定よりオーバーしてしまう良。あせると出てくる京都弁がかわいいと云われた良。
 その良が、自分と同じように、いまは話すべき言葉を見つけられずにいる。
「いいんだよ、良」
 話せないことは、罪ではないはずだ。少なくとも、この夜は。
 だから、これまでの幾日かの夜をそうして過ごしたように、だまって向かいあって、グラスをなめていれば、言葉などなくても、それでいいのだ。透はそう云いたかった。

 だが、次に良のとった行動は、透の予想もつかぬものであった。
 良の大きな瞳が近づいてきたと思うと、しめった感触が、かすかに透の唇をかすめていった。それが、数え切れぬほどの夜に、幾千幾万と重ねたきた行為とおなじものであると気づくのに、どれほどの時間がかかったろう。
 それが接吻だというのなら、透がいままでしてきたものは、いったいなんだったというのだろうか?
 そこにあるのは、透のなれ親しんだしびれるような甘い官能ではなく、激しい情欲をうながす劣情ではなく、怠惰な性交へのとば口でもなかった。それはむしろ、何週間かまえ、島津が「本当は洗礼を施すのはお前なんだがな」と苦笑しながら透の頭においた、掌のあたたかみに似ていた。
(これは、いったい、なんなのだろう)
 その答えがみつかるよりも先に、ほんのわずかに上唇のまくれあがった唇が、ふたたび近づき、そしてまた触れ合う――
 その、瞬間。

――RRRRR――RRRRR――
 電話のコールが、二人の間に飛びこんできた。
 とっさに時計に目をやる。
 時刻は、午前〇時一分(ミッドナイト・プラスワン)
――RRRRR――RRRRR――
 身をひいた良にしぐさであやまり、透は鳴り続ける受話器を手にとった。

「良を返してくれ」
 電話の相手は、予想していた通りだった。
「お願いだ、良を返してくれ」
 風間は、恥も外聞もなく叫んでいた。
「おれは病気じゃない。怪我なんてたいしたことないんだ。良を返してくれ。良にはおれが……いや、おれには良が必要なんだ、透」
 透は風間を落ち着かせようとするが、風間はわめき続ける。
「せめて、電話に出してくれ。良はいま、どうしてるんだ?」
「どうって……」
 返答にこまり、透は一瞬、視線を良へと走らせる。
 まるで、それが見えていたかのように、受話器の向こうで風間の息がつまった。
「……良を抱いたのか、透」
「なに云ってるのさ、先生。馬鹿らしいよ」
「そうなんだな?」
 風間の声は、もはや返答を求めているものではなかった。
「殺していいか」
 そう、云った。
「おれは、良を殺していいか、透」






 第六章 廃墟の鳩


「良を殺してもいいか?」
 風間の示したあまりにも明白な狂気に、しかし透は淡々とこたえていた。
「いいよ」
 そのいらえがあまりにもシンプルであったためか、透のうしろで身を硬くする良よりもなお、風間の声は狼狽を明らかにしていた。
「おれの云っている意味が、わかっているのか、透」
「良を殺したいんでしょう? とりあえず、うちに来なよ、風間さん。うちの――というか、島津さんの家だけど、住所はわかっているんでしょう?」
「それは、わかるが……」
 震える声で云い、しばしの逡巡ののち、風間は決然とした声音を取りもどし、告げた。
「今から行く。三十分以内に着くはずだ」
「深夜とはいえ、そんなにとばしちゃ危ないよ。別にどこにも逃げやしないから、安全運転で来なよ」
「三十分以内に行く」
 そうとだけ繰りかえし、電話は切れた。
 透がふりかえると、良がうわめ遣いに様子をうかがっていた。その肩が震えている。
「風間さん、来るの?」
「三十分で着くって」
「じゃあ、いそがなきゃ」
 あわてたように立ち上がる良に、透は訊ねる。
「なにを?」
「なにをって……早く逃げなくちゃ」
 透は小さく首をふる。
「おれは、どこにも行かないよ。良もね」
 透はそのままキッチンへ行くと、グラスを三つと、氷塊をうつわに入れて持ってきた。そして、おびえた眼を伏せる良の前で、いつにない粗雑なしぐさでアイスピックを幾度もふりおろす。
「おれが……悪いの? 透も、そう思うの?」
 透は、その言葉にも首をふる。手は、ひたすらにアイスピックをふりおろし続ける。
「良は、なにも悪くないよ」
「じゃあ、逃げようよ。早くしないと、先生が来ちゃう」
「ダメだよ、良。それはダメだ」
 透はいっそうの強い意志をこめて、首をふった。
「それじゃあ、先生が可哀想だ」
 透は氷を砕くうでを止め、伏したながい睫毛の向こうにある、良の瞳をひたと見据えた。
「良はなにも悪くないよ。それでも、ここで良が逃げるのは、先生があまりにも可哀想だ。おれはね、良、風間先生も好きなんだよ――これを持って」
 唐突に手渡されたアイスピックを、良はおそるおそるといった感じで受け取る。しかし、うつわに盛られた氷は、すでに十分に砕けている。
 透の意図がわからず困惑の表情を浮かべる良の前に、透は左の掌を広げてみせた。透の手は、細くながく、わずかに骨ばっている。
「まるでギターを弾くために生まれた指だね」
 そう無邪気に云ったのは、出会ったばかりの頃の良だった。
 その指をことさら強調するように広げて、透は云った。
「突いて」
「え?」
 言葉の意味がわからなかったのか、あるいは理解しようという意思をもたないのか、良の返事は呆けた、なんの意思も感じさせないものだった。
 アイスピックを力なくつかんだ良のうでを、透は強引にひきつかんだ。痩せさらばえた良の指先は、透よりもなお細かったが、それでも骨ばった印象はまるで与えぬ滑らかなものだった。
「うらやましいな、トミーの指。おれの指、ガキみたいだから」
 出会ったばかりのひねくれた歳上にそう告げたあの頃のままに、良の指先は白く美しかった。わずかにこけた頬と、うすく隈のできた美貌が、より悲愴にうつるほどに。
 その、力ない指先を、骨ばったてのひらで強く包みこむ。
「こうするんだよ」
 透は、アイスピックを空いた己の親指と人差し指の間にふりおろした。アイスピックはするどい音をたて、ふるえながらテーブルの上に突き立った。
「さあ、残りの指でもやって」
 透がうながすと、良は子供のように首をふった。
「危ないよ、透。怪我しちゃうよ」
「そうかもね。でも、おれは逃げないよ」
 だからやって、と言葉ではなく態度でうながす。良の指先が震えているのは、おびえのせいなのかドラッグのせいなのか、透にはわからない。あれほど震えていては、狙った場所に刺すことができるとも思えないが、かまわなかった。
「怖いよ、透」
「ああ、おれも怖いよ、良。アイスピックも、風間先生も。でも、おれは逃げないから」
 だから、良も逃げないでくれ、という気持ちは、伝わっただろうか。良の覚悟をうながし、風間と向き合う勇気を与えられるなら、自分の指などなにも惜しくはなかった。
(どうせ、くだらない指だ)
 夜の間に間に、つまらぬ性の快楽を与えるほかには、なんの役にも立たぬ指だ。たとえアイスピックがテーブルと指とを縫いつけ、動くことができなくなろうとも、一度でも良の役に立てるのなら、それで十分な指だ。心からそう思った。
 だから、震える良の指先が幾度もふり下ろされ、その結果としてするどい痛みが透の甲を貫いたとき感じたものは、痛みでも驚きでもなく、むしろ安堵と呼んでよかった。
「透!」
「いいんだ、良。いいんだよ、これで」
 おのれの手の甲にささったアイスピックを引き抜きながら、透はもう一度「いいんだ」と云い、血の流れるままの手で、良のうすい肩をつかんだ。
「痛みからは、逃げられないんだよ、良。おれはそれが、ずっと長いことわからなかった。わからなくて、逃げ続けて、追いつめられて、いろんな人に迷惑をかけて、それでもまだ、なにもわかっていなかった。それでも、やっとわかったんだよ、良。おまえが――」
 ハッとした様に、長い睫毛をはねのけて、黒く大きな瞳が透の灰褐色の瞳をひたと見返してきた。
「おまえがわからせてくたんだよ、良」
「おれ……が? おれが透に?」
「そうだよ――良と、巽さんと、島津さんと、大事な人たちに何度も教えられて、おれはようやくわかったんだ。おれたちは、逃げちゃいけないんだ。必要な痛みから、現実から。だから良、風間先生に会おう。ちゃんと話すんだ」
 たとえその結果、風間の激情に殺されることになろうとも。
(良、お前を一人で死なせることだけは、ないよ)
 口には乗せなかったその言葉は、届いたのだろうか。
 良は、肩にそえられた透の手にみずからの手を重ねると、まだ血の止まらぬ傷口をゆっくりとさすり、それから長い時間をかけて、しかしたしかにうなづいた。
 インターフォンが激しく二度鳴り響いたのは、まさにその瞬間であった。
「安全運転でいいって云ったのに」
 苦笑しながら立ちあがった透は、穴の開いてしまったテーブルをながめ、
(まいったな、島津さんにどうやって謝ろう)
 そんなことを思いながら、扉のロックを外した。

 良と透のもとへやってきた風間は、静かに錯乱していた。遅かれ早かれ良を殺して自分も死ぬしかないのだという妄念にとりつかれていた。
 透はあまり二人の会話には口を挟まず、静かに話を聞いていたが、風間が良の首に手をかけたのに及び、行動を開始する。
 透のとった行動は、しかし暴力に暴力で対抗するものではなかった。
 透はただ、歌を歌っただけだった。その歌は、かつて透がレックスに所属していたおり、良とツインボーカルで歌った曲だった。良と透、二人のボーカルの特性を的確にとらえたその曲は、レックスの中でも指折りのヒット曲となった。
 その曲をつくったのが風間だった。

曲はこちらをイメージして下さい

 透の歌は、風間に思い出させる。
 音楽を通してつながること、音楽家にとって当たり前のことを、自分はいつから忘れていたのだ? おのれのつくった曲を良が歌う瞬間の、あの快感、一体感。それをみずから投げ出して、おれはなにを得たというのだ?
 戸惑い、恐慌をきたした風間は、叫びながら夜の街へと一人駆け出すのだった――






 第七章 エコーズ・オブ・ラブ


「透は……」
「ん……」
「なんで、うたったの?」
 風間という嵐の去った部屋で、良はぽつりぽつりと言葉を発する。
「さあ……。なんでだろうね。でも、たぶん……」
「たぶん?」
「おれが、馬鹿だからさ」
 風間が良へとうでを伸ばしたとき、止めなければいけないと思った。
(あの二人には勝手に滅びのワルツを躍らせていればいい)
 島津はそう云ったが、良は云うに及ばず、風間もまた、透を友達と呼んでくれたのだ。だまって見ていることなど透にはできなかった。
 しかし、森田透になにができたろう? 風間をはねのけるにはそのうではあまりにも細く、良をかばうにはその胸はあまりにも薄く、風間の正気を呼び戻すにはあまりにも言葉を知らない森田透に、なにが出来たというのだろう?
 だから、透はうたったのだ。うたうことしかできないから、うたったのだ。
「どうしようもねえなって思って。おれには、なにもできねえなって思って。そうしたら、うたいたくなったんだよ。それだけ」
 それでどうにかなると思ったわけでは、無論ない。だから、風間がうめきながら去っていったとき、もっとも驚いたのはむしろ透であったかもしれない。
「透は、強いね」
「おれはただの馬鹿だよ。なにをすればいいのか、わからなかっただけさ」
「おれ、もうずっと長いこと、歌なんてうたってないよ」
「馬鹿云うんじゃないよ。良がうたってないなら、だれがうたっているっていうのさ」
 一時に比べれば落ちたとはいえ、今西良の売り上げはまちがいなく業界トップクラスだ。先のアルバムは七十万、その前のアルバムは九十万売れたと云っていたのは、ほかならぬ良自身だ。最近に出たシングルも、二週とはいえ、一位をとっている。
 だが、しかし。
「でも、うたいたいと思ったことなんて、ずっとないよ」
(歌を忘れたカナリアは……か)
 透は記憶のすみにある童謡をぼんやりと思い出していた。

  歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
  月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す

 それが西条八十の手になる詩だということを、透は知らない。ただ、良にとっての月夜の海を与えてやれれば、と思い、そう思っている自分に驚愕した。
(おれは、今まで人になにかを与えたいと思ったことが、あるだろうか)
 欲しい欲しいとわめいてきた。すべてが欲しくて、そのくせ受け取り方がわからなくて、満たされなくて、なにもかもを諦めて、長い年月を自棄になって過ごしてきた。巽と島津に出会い、ようやく受け取り方は知ったけれど、自分が与えられるなんて、思ってもいなかった。
 透は自分の中で、なにか大きなものが芽生えていることに気づきつつあった。
「良は、先生が嫌いなの?」
「わからない」
 好きだと思っていたこともある。軽蔑していたこともある。利用してやろうと思い、いたぶったこともある。うっとうしさに苛立ったことも、そばにいなくて不安になったこともある。
「おれにはもう、あの人がいない状況っていうのが、想像できない」
(それでは、やはりそうなのか)
 眩暈にも似た感覚を、透は感じていた。
(それでは良もまた……良ですら、おれと同じだったというのか)
 他者と己はちがうのだという強烈な自尊心と、なぜ自分は他者と交わりきれないのかという苛立ちと悲しみ。それは、かつての透そのものだ。透は拒絶し孤立したが、良は君臨した。ただそれだけの違いでしかなかったのだ。
 世界全体への苛立ちと甘えと拒絶と、良が風間にぶつけているのは、それなのだ。
 己を変えることでしか、その苛立ちを解消することなど、できないというのに。良の気高い心を変えられるものがいたとすれば、それは、なにものにもとらわれない、無法者の愛だけ、だろう
(ああ、なるほど……)
 だから、なのだ。
「良は、巽さんが怖かったんだね」
「え……?」
「巽さんの愛が、自分の中に入ってきて、心を溶かしてしまうのが、自分が自分でなくなってしまうことが、こわかったんだ。あの人の愛は、どうしたって、相手の心に入らずにいられないから」
 良を変えてしまわずにいられないから。
 だから、良は巽を殺さずにいられなかったのだ。
 良は瞳を伏せ、透の顔を見ようとしなかった。
「透は巽さんのこと……好きだったの?」
「ああ」
「愛……していたの」
「ああ」
「じゃあ、その……島津さんは?」
「好きだよ。この世の中で、心底信じられるものがあるとしたら、あの人だけだろうね」
「……じゃあ、巽さんと島津さんと、どちらが好きなの?」
 透はくびをふる。
「ちがうんだよ、良。愛っていうのは、そうやって一つをしか選べないものじゃなかったんだ。それでも、もしおれに、だれを一番愛しているかと問うのなら、それはきっと、良……お前だよ」
 透は告げる。
「憎しみよりもはげしく、お前を憎んでいたよ、良」
 何度も殺そうと決意するほどに。
「愛よりもふかく、お前を愛しているよ、良」
 幾度でもこの身を投げ出せるほどに。
「だからもう、おれの中には、お前がいる」
 たとえ、そばにいない時にでも。
 巽も、島津も、そうなのだ。森田透という存在のなかには、もはやわかちがたいほど、彼らの与えてくれたものがつまっている。だからもう、巽に会えなくてもいいのだ。島津と離れていても、なにも不安はないのだ。自分の中に、彼らはいるのだから。
 そして、森田透を構築する、もっとも大きなパーツこそが、今西良にほかならないのだ。
良は――泣いていた。
 声もなく、ただ静かに涙を流しつづけていた。
 夜はなにもあたえず、ただ、優しかった。

「帰る」
 明け方にそう云いだした良を、透は引き止めなかった。良が、風間と向き合うつもりなのだということが、理解できたから。
「送るよ」
「いいよ」
「危ないよ」
「おれだって、いい歳した男だよ? 一人で大丈夫だよ」
せめてマンションの外まで、と透は良と一緒に外に出た。
 朝焼けにけむる東京の街は、奇妙な美しさをたたえていた。その街の中に、良は己の身一つで戦うために帰るのだと思ったとき、透の手は、自然に良のおとがいをとらえていた。
 かるく触れあうだけの、二度目のキス。
 ――それは、カメラのフラッシュによりさえぎられた。

 写真を撮ったのは、真木アリサとその恋人であった。
 透にもてあそばれたアリサは、島津にとりいるためと、透に意趣返しをするため、かれを張っていたのだ。そして、透と良がともにいるのを発見し、二人の決定的な瞬間を撮ることを数日間狙っていたのだ。
 二人を嘲笑うアリサにおびえる良。
 だが、度を越したアリサの痴態に、透はむしろ悲しみをおぼえる。アリサの態度は、明らかに金銭目当てや、名声めあてのものとは違っていた。
(この女も、おれと同じなのだ……)
 良に憧れ、良に近づき、たとえ身を交わらせても良の心に触れられないことを知り、利用しようとして、結局、自分をもっとも傷つけている、ちょっと見栄えがよかっただけの田舎娘なのだ。
 アリサの狂気を、憎しみを、矮小さを、透は厭うことも笑うできなかったのだ。
「もう、いいんじゃないか」
 しずかな透の言葉にアリサはわずかにたじろぐ。
「な、なにさ」
「金が欲しければ、やるよ。島津さんに頼んで、なにかに推薦してもいい。けど、もう良に近づくのは、やめた方がいいよ、あんた」
 すべてを見透かしたような透の言葉に、アリサは激昂し、恋人に良を襲うように指示する。
 良をかばう透を殴り飛ばし、アリサの恋人は良に迫る。
 だが、男のからだは、良に触れるよりもはやく、地面に伏していた。
 風間であった。
 風間は男を殴り飛ばし、倒れた相手をさらに殴りつづけた。相手が意識を失い、己の拳が血を噴出しても、風間は淡々と男を殴り続けた。その姿に、真木アリサは恐怖し、恋人をおいて逃げ出してしまう。
 透が風間を止めたときには、相手は半死半生であった。
「おれはただ……良を守りたくて……」
 だが、良は、血にまみれた風間の姿におびえきっていた。
 その姿は、みずからの長年のあやまちを気づかせるのに、十分なものであった。
「それだけだったんだ……ずっとそれだけだったんだよ……」
 風間は傷ついた両手を下げたまま、透の制止もきがにいずこかへと消えていく。
 呆然とする透と良のもとへ、パトカーのサイレンが近づいてきていた……






 本のタ第八章 こぼれる黄金の砂 ―dream time―



 警察の捜索をもってしても、風間の行方はしれなかった。
 風間俊介による暴行事件はまたたくまにマスコミにとりあげられ、それをきっかけに、今西良と風間俊介の関係もまた、週刊誌にとりあげられ、もはや野々村の力をもってしても、二人の関係を世論から隠すことは難しかった。
 それにくわえ、真木アリサの撮った写真も週刊誌にのり、森田透と今西良のスキャンダルまでもが世を騒がせはじめる。もともと噂となっていた良の麻薬問題もとりあげられ、ワイドショーは連日、今西良の話題をとりあげていた。
 対して、Wプロは今西良を長期休養と発表。良は一切マスコミの前に出ることはなかった。
「やれやれだね。まったくしてやられたもんだよ、この野々村さんとしたことが」
 口調はかるかったが、受話器の向こうの野々村の声には疲労がにじんでいた。
「あんたも悪いんだぜ、透。あんな写真出回らせちまっちゃ、おれが島さんに怒られちまうよ」
「ごめんよ」
「ま、こっちがしっかりとしてりゃ、こんな形で話が出回ることもなかったんだがね。この前の島さんの辞職の時といい、野々村さんもいよいよ焼きがまわったかな。あーあ、歳はとりたくないもんだねえ。だがね、透」
 野々村の声が、わずかに真剣味をおびる。
「こいつぁ、ちっときなくさいぜ」
「なにがだい?」
「たしかに、ジョニーの坊やにはもともといろいろな噂があったさ。さすがの天下も斜陽を迎えてたよ。それでもね、こんな形で、こんな早さで、こんな細かいところまで、この野々村さんの網をかいくぐって一気に情報が流れるってのも、おかしな話だよ。この野々村正造、そこまで落ちぶれちゃいないつもりだったんだがね」

「……やっぱり、雪子の旦那が?」
 雪子の主人、朝倉樹三郎はKTVのバックである角田派の大物である。さすがの野々村と云えど、政界のフィクサーである角田派の動きまでは抑えることはできない。
「あるいは、Wプロの内部告発かね。今となってはジョニー頼りのあそこから、そんなことがあるともなかなか思えないがね。とにかくトミー、あんたはあと数日、おとなしくしてな。起こっちまったことはしょうがないが、これ以上こじれると、本当に島さんにあわせる顔がなくなっちまう」
 あとは自分がなんとかすると約束すると、野々村は最後にこう云った。
「俊介のこと、ありがとうな」
 野々村は風間俊介の友人を自認している。
「礼を云われるような事なんて、なにもしてないよ。おれはなにもできなかったんだ」
「それでも、ありがとう、さ」
 野々村からの電話は、あわただしく切れた。

 透は雪子を呼びだすことにした。野々村はおとなしくしていろというが、原因が雪子にあるというのなら、なにかせずにはいられなかった。
 呼び出したホテルで、雪子は透を求める。
 しかし、透はどうしてもそういう気にはなれなかった。良とかわしたあの接吻が、透の中のなにかを決定的に変えてしまっていた。
「私、透のことを愛しているの。本当よ。あなたが愛してくれなくてもいいの。あなたが受け入れてくれなくてもいい。私は朝倉と別れるわ」
 雪子の繰言に、透は答える。
「おれを愛してもいい。憎んでもいい。それでも、あんたはおれにはなれやしないんだ」
「どういう意味なの?」
「あんたは多分……おれを愛しているんじゃない。おれになりたいんだ」
 かつて透が良になりたかったように。
 はじめは、透にも信じられなかった。雪子のようになにもかもに恵まれた女が、自分のようになにも持たないものになりたがるなどと。だが、なにもかもを手に入れ、それを捨てられぬ卑劣な大人の雪子だからこそ、はじめからなにも持たぬ透にあこがれるのかもしれない。
 なぜ自分が、雪子に劣情を感じるのか、ようやくわかった気がした。雪子が自分を求め、自分と同一化したいと願うその気持ちこそが、透を劣情させていたのだ。美しい己の肉体ではなく、空虚なおのれの存在をこそ雪子が求めていたから、透はそれに答えたくなったのだ。
 それでも、雪子が透に、透が雪子になれぬ以上、この関係を続けても、雪子はなにも得ることはないだろう。
「おれは、今のままのあんたが、けっこう好きだよ。だからあんたは、ずるいあんたのままでいろよ、朝倉夫人」
 透は雪子の前から去る。それで雪子がどうなるのかまでは、透にはわからなかったが、自分に伝えられることはすべて伝えたつもりだった。雪子も、わかってくれたという手ごたえはあった。

 だがその夜、透の部屋に無言電話はかかってきた。
 受話器をあげたまま、なにも語らぬ相手とともに、夜をすごす透。受話器の向こうのかすかな息遣いには、たしかに透の見知った者の気配があった。
(どうしようもねえな、おれは)
 良に会える状況ではなく、風間の行くあてには見当がつかず、野々村の手助けもできず、雪子との問題を自力で解決できない。ただこうして、無言電話を相手に、酒を飲んでいるしかない。
 気がつけば、透はまた、うたいはじめていた。ザ・レックスの時分にうたっていた、中身のない、からっぽなアイドルロックたち。なんだか近頃は、それらが愛しく感じられる。
(歌手なんて、とっくにやめたおれが、なんでうたっているんだろう)
 何曲かをうたいおわったころに、電話は切れていた。それにかまわず、透はくだらぬ歌をうたいつづけ、いつしかまどろんでいった。

 かすかに目を開くと、島津がいて、それで、透は夢を見ているのだと思った。
 島津は透の視線に気がつくと、苦笑を浮かべた。
「お前さんでも、いい夢を見ることがあるのかね。笑っていたぞ」
「ああ、あるらしいね。島さんが、帰ってきた夢を見ているよ」
「これだ。自分がなにを云ってるか、わかっちゃいないんだ」
「わかってるさ」
「わかっちゃないよ。いろいろ、馬鹿をやったそうだな、ええ、おい。まあいい。あんたにしてはよくやったよ。あとは、寝ていればいいさ」
 島津の手がまぶたを下ろすように透の顔にふれる。透は小さな声でうたいながら、ふたたび眠りにおちていった。
「寝ぼけているから云うがね、おれはこれで、森田透って歌手のファンだったんだぜ」
 島津の帰宅が夢ではないと気づくのは、午後をいくらも過ぎて目覚めてからだった。






 第九章 悲しき愛奴(サーファー) 


 朝倉樹三郎は自宅で後援者からもらった掛け軸を眺めていた。
 そこに強引にアポイントなしの来客があらわれる。
 島津正彦であった。
 島津は頭を下げ、非礼を丁重に詫びた。
「本来ならば、もっと早くにご挨拶にあがるべきだったのですが」
 島津は朝倉の娘、亜美を女優としてフランスへと連れて行っている。そのことを云っているのだ。
「では、きみがKTVの」
「元KTVの、です」
 KTVに大きな影響力をもっている朝倉であったが、島津に直接会ったのは初めてだった。
 朝倉は島津の姿を観察すると、突然、掛け軸についてたずねた。
「きみはこれをどう思うかね」
「保存状態もよく、アンティークとしては素晴らしい一品かと存じます。しかしアートとしては」
 島津は首をふる。
「『本物』の芸術とは私には思えません。その掛け軸には魂がない。『まがい物』です」
「ふむ……では島津くん、きみは亜美はどう見る? あれは『本物』かね、それとも『まがい物』かね」
「『本物』です」
 島津が断言すると、朝倉は表情をわずかにゆるめた。

「わしは鑑定眼には自信があってな。なにせこれだけが道楽だ。本物とまがい物のちがいは、なににつけわかるつもりだ。人間もまた然りだよ。というよりもだな、それこそが、政治をする者にとって、もっとも重要な資質なのだよ。人を見る、ということがな」
「まったく同感です」
「ところがな、これが親の悲しいところか、実の娘が本物なのかどうか、こればっかりはわからなんだ。だが島津くん、あの掛け軸をまがい物というきみの言葉なら、信じてもよかろう。亜美を、よろしく頼むよ」
「三年いただければ、お嬢様はカンヌでもヴェネツィアでもベルリンでもどこにでも招かれる女優になりますよ」
「それで、島津くん。用件を云ってくれんかね。まさか、亜美のことだけではあるまい」
「では失礼ですが、朝倉さん」
 云いながら、島津はほんのわずかに、ネクタイをゆるめ、口の端に笑いをうかべた。それだけで、先ほどまでの端正な印象は消えうせ、どこか油断のならない攻撃性を感じさせる姿となる。
「あの馬鹿を、そっとしてやっちゃくれませんかね?」
「あの馬鹿とは?」
「朝倉さん、ここは国会じゃありませんよ」
「と云っても、わしには何のことだがさっぱりだ」
「森田透」
 島津はひときわはっきりと告げる。
「あの馬鹿には、なにも害はありませんよ」
「では島津くん、きみはわしに妻を寝取られて黙っていろと、そう云うのかね? いや、あれが遊ぶ分には、わしはなにも云わんよ。あれにもそう云い含めてある。だが、わしの政治活動の邪魔になるような真似は許しておらん。その森田くんとやらの存在が家内をおかしくさせているのなら、わしはなにか手を打たずにおれんのだよ。それがわからぬ島津くんとも思えんが」
「……失礼ですが、いささかのどが渇きました」
 島津の婉曲的な人払いを、朝倉はすぐに察し、秘書達を遠ざけた。島津正彦という男を、もう少し見定めたくなってきたのだ。

 朝倉と二人だけになると、島津はようやく口をひらいた。
「これは、つまらない噂話なのですがね」
 ある政治派閥に、長に可愛がられ、後継者と噂されていた男がいた。一時は次期首相とすらも噂されていた。だが近年、その男は急速に勢いを失い、後継者の座もライバルである議員に奪われたという。
「その原因というのが、おかしな話でしてね。その派閥の長……仮に翁とでも申しますか。その翁が、男の妻を一晩貸してくれと云い出したそうです。もちろん、そういう意味でしょうな。翁は時折、そうやって部下を試していたそうです」
 政治のためにすべてを捨てられるものだけが、すべてを操る資格がある。それが、翁の持論であった。翁に長年付き従っていた男にも、それはよくわかっていた。今までにも、あらゆる難題を与えられ、すべてを捧げてきたのだ。何十年もそうしてようやく得た地位なのだ。
「しかし、男は翁の要求を断ったそうです。それが原因で男は往年の勢いを失った」
「なるほど島津くん、きみはなかなか優秀な情報網を持っているようだ。しかし、それがどうしたのかね?」
「さて……私はいま、KTVの人間じゃありません。ですから、島津正彦個人として云わせていただきますがね――政略で結婚した二回りも年下の女房に惚れすぎて、どうすればいいかわからなくて、なにもかもを与えて、他の男に抱かれることも許して、なにを与えてやればいいのかわからなくて、結局、いじけて嫉妬して意地悪をする。そういうのはね、ガキというんですよ朝倉さん」
「……」  島津は底意地の悪い笑みを浮かべる。
「あの女、雪子さんがね、一度、私と森田が一緒に寝ているのを目撃したことがありまして。おかしなものでしてね……雪子さんは、それで森田に惚れてしまったらしい。森田が、二回りも年上の男に抱かれている姿を見て、ね。まさかこの意味がわからない朝倉樹三郎でもありますまい?」
「……わからんよ、わしにはなにがなんだかな」
「そうそう、それ以前にも、こういうことがありましてね。奥さんは一度、森田と手を切ることにした。そのとき、森田が悪戯心を起こしましてね、奥さんを強引に抱いたらしいのですよ。それがきっかけで奥さんは本気になったらしい――まだわかりませんかね、朝倉さん」
「……」
「これだから、金や地位のある人間は駄目なんだ。どうでもいい相手の抱き方ばかりをおぼえて、惚れちまった相手の抱き方を知りやしない」
 島津は肩をすくめて立ち上がる。
「たまには地位も計算も捨てて、思うままに動いてみるのも悪くないですよ、あなたも、奥さんもね。わたしが云いたかったのはそれだけです。それでは失礼いたします」
「思うままに、か……」
 物思いにふける樹三郎を背に、島津は朝倉邸を辞した。

 手ごたえは感じていた。
(これで樹三郎はもう透にちょっかいはかけないだろう)
 だが、違和感もあった。朝倉樹三郎が透につまらぬ工作をかけていたようには見えなかったのだ。今西良に関しても、ふかく知っている気配はなかった。
(さて、どうしたもんかね。ともかく、島津さんにできるのはここまでだ)
 明日にはまた、フランスに戻らねばならない。
(しかしおれも、よく云えたもんだね。惚れちまった相手の抱き方を知らないのは、いったい誰なんだか)
 自嘲の笑みを浮かべながら、昼の東京を歩く。
 と、しばらくすると意外な相手に声をかけられた。
「島津さん」
「……おいおい、透。お前さんが昼の日中に外に出てるたあ、いよいよ世界の終わりかね」
「ひでえな。おれだって、たまには太陽を浴びながら散歩の一つもしたくなるさ」
 云って、自分でおかしかったのか、透はクククと笑いをかみ殺す。
「でももう、疲れたからいいや。帰ろうか」
 島津はタバコに火をつけると、煙を透の顔に吹きつけた。
「生意気だね、森田透のわりにさ」
(おれを心配して迎えに来てくれるなんざ、上出来すぎるんだよ)
「三十男を捕まえて生意気もねえだろう、島さん」
「お前さんは五十になろうが八十になろうが小僧なんだよ。――しかし、なんだな、おかしなもんだね、こいつあ」
「なにがだい」
「あんたとこうして、昼の街を歩いているなんて、さ」
 はじめ透はきょとんとしていたが、やがて顔を伏せて肩を震わせた。
「なるほど、あんたと出会ってもう八年だってのに、こんなことははじめてだね。おかしなもんだよ、こいつは」
「ああ、おかしなもんさ」
 二人のおさえた笑いが、昼の雑踏にまぎれ消えていく。
 島津が東京を発ったのは、翌日の早朝のことであった。






 第十章  I BELIEVE IN MUSIC


 島津がフランスに発ってより数日、透はヒマをもてあましていた。
 あれ以来、無言電話も雪子からの連絡もなく、亜美からは一度元気な国際電話があったが、ともかく平穏無事な日々が続いていた。
 今西良の進退に関して、マスコミでさまざまな噂が流れているが、大きな進展もなく、良から連絡がない以上、透にできることはなにもなかった。
 テレビでは、あいもかわらず良の噂と、それから物騒なニュースばかりが流れている。
「本日未明、パトロール中の警官が何者かに襲われ拳銃を奪われるという事件が……」
 その世間にも、良にも、透はなにもできない。
(歯がゆいね、自分の無力さが。もっとも、おれはいつも無力だったけど)
 だから、良の事務所より連絡があり「今西が会いたいと云っている」と告げたとき、透はすぐに駆けつけたのだった。

「やあ、トミー、元気だった?」
「ああ、元気……というのかな。いつも通りだよ、おれは。良は……顔色がよくなったね」
「薬をやめたからね。でも透、あれは辛いもんだね」
「禁断症状ね。わかるよ、あれは辛いさ。おれは……一人じゃ耐えられなかったろうな」
 透もかつて、禁断症状に襲われたことがある。場所が留置場でなければ、とうてい薬をやめることなどできなかったであろう。
「おれだって、一人じゃ耐えられなかったよ」
「だれか、助けてくれたんだ?」
 良の周囲にはまだ、信じるに足る人間がいる。その気持ちは透に安堵と、かすかな嫉妬をかきたてた。だが良は、甘えるように云った。
「うん、透がね、いてくれたから」
「おれが? だって、おれは、良に会うのも久しぶりで……良が苦しんでいた時にだって、たぶん一人で酒を飲んでたよ。なにやしてやいない」
「それでも、透がいたからだよ。ザ・レックスの時も、風間さんの時も、禁断症状の時も、それに、いまこれからやろうとしていることも、透がいたから耐えられるんだ」
「おれは、いつだって良のそばにいなかった。いてやれなかったよ」
「そばにいなくてもいいって、透は云ってたじゃないか」
 巽や島津がそばにいなくてもいい。そう云ったのは、確かに透だった。
「禁断症状で苦しくてね、わめいているときに、その言葉の意味が、やっとわかったよ」
 良はうっすらと笑う。
「サムちゃん……透……それに風間先生も……離れていてもね、そばにいるって思うこと、あるんだね。ううん、離れていたほうが、ずっと近くに透や先生を感じられたよ」

 良は、変わっていた。
 昔日の、斜陽を迎えたスターではなく、しかし、かつてのようなまばゆく輝く太陽でもなく、あの夜に見た、ブラックホールのようにすべてを飲みこむ頑是ない子供でもなく……
(これは、いったい、なんだ?)
「でも、ダメだね、おれ。これからやろうとしていることを思ったら、どうしても透に会いたくなって、呼んじゃった」
「良は……なにをしようとしているんだ?」
「なんでもないよ。ちょっと、記者会見を開いて、ごめんなさいって謝るだけ。ごめんよ、そんだけのことで、呼びつけて」
「いいよ。会えてうれしかった。」
「そうだ。あのナイフ、もってきてくれた?」
 良からの呼び出しには、伝言がついていた。「あのナイフを持ってきて欲しい」という。

 いつかの夜に、良に見せたナイフだということは、すぐにわかった。
 透はいつも、そのナイフを持ち歩いていた。今西良を殺すために。あるいは、自分を殺すために。
 もう昔のことだ。今はもう、持ち歩いていない。だが、なつかしくなって、酒を飲みながらそれを眺めているのを、良に見られたことがある。
 良は「綺麗だね」と無邪気に云ったので、透はただうなづいた。それが、どれほど大事なものであるのか、云う必要はなかった。
「持ってきたけど、どうするんだ、こんなもの」
「大切なものなんでしょう? それ」
 良の鋭さにすこし驚きながら、透はうなづいた。
「ああ、とても……とてもね」
「おれ、弱虫だからさ。会見にびびっちゃってんだ」
 良は、笑顔を崩さない。
「だから、透の大事なナイフを持っていたら、心強いかなって、そう思って。借りちゃダメかな?」
「いいよ、こんなものでいいなら」
 ポケットから取り出したナイフを渡しながら、透はつけたす。
「よければ、あげるよ。プレゼントだ」
「でも、大事なものなんでしょう?」
「だから、良に持っていて欲しいんだよ」
 贈り物に刃物はいけない。二人の縁を切ってしまうから。
 その言い伝えが嘘であることを、透はもう知っている。なぜなら、八年前そのナイフを透に買ってくれた人――巽竜二と透の縁は、死をもってしても切れはしなかったのだから。そして、透と良を、ふたたびめぐり合わせてすらくれた。  だから、透は良にこのナイフを贈りたかったのだ。
 良は、すこしためらってからナイフを受け取り「ありがとう」と云った。

 ふいに、透のからだに、わずかな重みがかかる。
 良が、抱きついてきたのだ。
「おいおい、良」
「本当にありがとう、透。来てくれて嬉しいよ」
 抱擁は、十秒にも満たなかった。
 音もなく、スッと身をはなすと、良はまた笑った。
「これから、ちょっと忙しくなるから。ごめんね。透は、ゆっくりしていってよ。吉村ちゃん、透をお願いね」
 良は事務所の奥に去っていった。

 周囲では、大勢のスタッフが忙しそうに立ち回ってる。透はマネージャーの吉村にたずねた。
「記者会見は、いつからですか?」
「今日の十四時の予定です」
 あとほんの数時間だ。
「森田さんは、どうされますか? 帰られますか?」
「おれは……会場の端でも良いので、同席させてもらえませんか?」
 吉村は不承不承といった感じにうなずく。
「わかりました。その方が、今西も喜ぶでしょう」
「すいません、無理を云って」
「いえ。もともと、今回の会見は、今西がどうしてもと云い出したものでして」
「良が?」
「ええ、記者たちが森田さんにご迷惑をかけないように取り計らいますから、よろしくお願いします」
 言外に「記者たちに余計なことを云うな」という意味をにおわせて、吉村は忙しそうに良のあとを追っていった。
 透はその後の数時間を、ぼんやりとタバコを吸い、まずいコーヒーを飲みながらすごした。事務所の人間はまるで透の存在など気づかぬように動き回り、ときおり透を見ては(人がいたのか)と驚くような顔をした。
(まいったね、おれは、ほとんど幽霊だな)
 たしかに、ここにいる森田透は、かつて芸能界の末席に身を置いたトミーの残影、残滓、そんなものかもしれない。あの時は、ステージの上で注目されなくなったら、生きていけないとすら、思っていたものだが。
(どっこいあんたは、いつまでだって生きてるのさ。あんたみたいなのこそがね) 
 島津のからかいが聞こえるような気が、透にはした。
(そうだね、おれみたいのは、生きてくしか、ないのかもね)
 自然と漏れてきた苦笑は、しかしかつてのような自嘲の色を、浮かべてはいなかった。

 十四時。
 予定通りの時刻に、記者会見ははじまった。
 今西良の記者会見である。ましてや、今は渦中の人間だ。会場には一流ホテルを抑えたが、それでもなお、記者たちは会場に入りきれないほどにあふれかえっていた。
「このたびは、世間をお騒がせして大変申し訳ありませんでした」
 会見の口火を切ったのは、Wプロの社長であった。
 社長は世間を騒がせたことを詫び、しかし麻薬の使用は事実無根であること、今回の休養は長年の疲労の蓄積であること、今後は仕事量を減らし、今西の体調回復に努めることなどを話した。だが、それで記者たちがひきさがることは、当然なかった。
「今西良が懇意にしている歌手のUやIなどにも同様の麻薬所持の疑いがありますが?」
「男性の恋人がいるという噂に関しては?」
「あれは元レックスのトミーなのではないかという噂もありますが?」
「七年前の巽竜二の事件に関して、なにかご意見は?」
「真木アリサさんとの離婚問題がこじれているという話もありますが?」
「風間俊介の暴行事件と失踪については、どうお考えですか?」
 事務所の人間の対応にも、無遠慮かつぶしつけに質問をつづける記者たち。
 だが、無数のフラッシュとマイクを前にしても、良は笑みをうかべるだけで、なにも話そうとはしなかった。
 やがてしびれを切らした記者の一人が叫ぶ。
「巽竜二を殺したのは今西さんだという話もありますが」

 会場の端で、記者たちの眼に触れぬようにじっとしていた透が、思わずも飛び出しそうになる。それを止めたのは、いつの間にかかたわらにいた野々村だった。
「やめときなよ。いまあんたが出ていっても、なにもいいことないよ」
「でも、野々村さん」
「あんたはああいう大勢の悪意に立ち向かうのにゃ向いてないんだ。これ以上、島さんに怒られるネタを作らんでくれよ」
「じゃあ、良はどうなるんですか? あんなふうに、追い詰められて……」
「適当なところで、さっさと切り上げるしかないだろう……と、以前の今西良に対してなら、そう云うんだがね」
 野々村は目をほそめる。
「あれは、変わったな。透、あんたのしわざかい?」
「変わったって……なにが?」
「もともと、ジョニーってやつはね、たいていのことはニコニコ笑って流しちまうやつだったよ。ぼくはバカですからって、口癖のように云ってたしね。戦わないのさ、ジョニーは。それで、いつも勝っちまう。でも、いまの今西良は、なんかちがうね」
「なにかって、なにが」
「たしかにニコニコ笑っちゃいるが……今は笑う場面じゃないって、やっこさんもわかっているはずだろうに。それでも笑っている。ありゃ……戦う人間のツラさ」
「戦う? 良が?」
それは、今西良という存在からは遠い言葉だった。
 今西良は、戦わない。ただ君臨するのだ。戦い、そして敗北するのは、いつだって透のほうだった。その戦いのほとんどが、必要のないものであったというのに。
「おれにはわからないよ、ムラさん」
 透はくびをふる。だが、たしかに今日の良はなにかがちがっていた。いつも、だれよりも長く強く、ブラウン管の向こうの良を追っていた透だからこそ、それが理解できた。

 記者たちの質問はやむことがなかった。
   社長が、横のスタッフと視線を合わせた。それが、打ち切りの合図だったのだろう。会見席の人間がみな立ち上がり、会見の終了を一方的に告げた。
 ただ一人、良だけが立ち上がらなかった。
「良、なにをしている。会見はおわりだ」
 周囲の言葉に、良は笑顔だけで答えた。
 異変を感じとったマスコミは一斉にフラッシュをたき、マイクをいっそう突き出してくる。
 周囲の注目のなか、良はゆっくりと――その姿は、はるか彼方にある星の光が数万年をかけて地球に届くのを思わせ――立ち上がり、その場にいたすべての人々は、美しい星の光から目をそらせぬ少年のように、ただじっとその姿を見つめていた。
 良のくちびるが開かれるその瞬間、フラッシュはやみ、静寂が訪れた。
 その静寂の中で、良は、うたいはじめた。
 それはうたうことの喜びをうたった歌であり、うたい続ける覚悟をうたった歌であった。
かつてザ・レックスの時代、良自身が好み、自ら詞を訳し、コンサートで好んでうたった歌であった。

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 うたいおえた良は、一礼すると、笑顔で告げた。
「今日、この時をかぎりに、今西良は芸能界を引退いたします」
 一瞬の静寂と、それ引き続く、爆発的なざわめきの予感……
「嘘だ!」
 しかしそれは、なにものかの悲痛な叫びによって、止められた。
「お前は引退なんかしない!」
 叫びの主に、周囲の視線が一斉にあつまる。
 記者たちに混じり、その男は立っていた。
 長い髪、たくましい肉体、音楽の世界に長年たずさわっているもの独特の雰囲気。かつての風間のような光を瞳に宿し、良をにらみつけている。
「弘……」
 良のつぶやきを聞くまでもない。数年ぶりであっても、透には一目でわかった。わずかな期間とはいえ、ともに同じグループにいたのだから。
 ザ・レックスの元リーダー、弘であった。
「お前を引退なんかさせやしない! させてやるものか!」
 ふりあげた弘の手には、拳銃が握られていた。






 第十一章  翼あるもの



(なぜ弘が)
 という想いと、
(ああ、それではあれは弘だったのか)
 という想いと、その両方が、透の胸に去来した。
 幾度もかかってきた無言電話の向こうの、見知ったような気配は、それでは弘のものだったのだ。
 堀内弘。ザ・レックスの初期からのメンバーであり、リーダーでもあったギタリストで、今はスタジオミュージシャンとして、それなりの地位を築いている。
「レックスの解散を言い出したのは、弘なんだ」
 透は良からそう聞いていた。
 なぜ、その弘が。
 弘は、かつてことあるごとに問題を起こす透を責めた。脱退問題が発覚したときに、もっとも激しく怒りをあらわにしたのも弘だった。
 弘は良と、そしてザ・レックスを愛していた。キーボードを弾いていればそれで良いという態度の光夫や、結局音楽を捨てた次郎とは違い、今西良とザ・レックスというグループをもっとも愛していたのは、弘だった。風間とも幾度もぶつかり合い、殴ったことも一度ではないという弘なのだ。
 だから、話を聞いたときから違和感はあったのだ。その弘が、なぜレックス解散を云い出したのか。

 自分に向けて一斉にたかれるフラッシュを、弘は天井に向けて発砲することで黙らせた。
「騒ぐな! 邪魔するな! おれは、ジョニーと話をしているんだ!」
 銃口は、ふたたび良に向けられる。
「なあ、良……冗談だろう? 引退するだなんて、嘘なんだろう? それじゃあ、なんのために、あの時おれはなんのために弾丸をすりかえたんだよ」
 透の隣に立つ野々村が愕然とつぶやく。
「なんてこった……ありゃ、俊介じゃなかったってのか」
「野々村さん、どういうことなんだ、弾丸のすりかえって、それは」
「ああ、巽竜二の事件だろうな」
 透と野々村は、弘に聞こえぬように囁き交わす。
 巽竜二は、ドラマの収録中、空砲のはずの弾が何者かにすりかえられていたために死んだ。その件は、田端修が自白して死ぬことによって終息していたのだ。
 その裏で、多くの人間がうっすらと気づいていた。弾丸をすりかえたのは良だと、修はそれをかばって死んだのだと。
「それが、どうして弘が……」
「透、あんたは本当に今西良のすりかえた弾丸が、そのまま巽竜二に届いたと思っているのか? すりかえを気づいた人間がいるというのに?」
 田端修だ。修はその日の異変から、すべて気づいていたのだ。だからこそ、いち早く真相を察し、良をかばって死んだのだ。
「あの田端修が、かわいい良が人を殺すのを、放って置いたと思うのか? いや、良の件はなくてもいい。田端修がどんな人間だったのか、トミー、メンバーだったあんたが一番よく知っているだろう?」
 修は優しかった。修はグループの緩衝材であり、ある意味では中心であった。脱退する透にすら、優しい言葉をかけてくれたのは、修だけだった。
 その修が、人が殺されるのを看過する。いくら巽への嫉妬があったとしても、それは確かに不自然なことであった。

「じゃあ……」
「ああ、こいつは当時のおれの調べだが……おそらく田端修は弾丸を抜き取っている」
「でも、実際に弾は発射されて、巽さんは……」
 云いかけて、先ほどの野々村の言葉に気がつく。
 俊介じゃなかったのか。
「サムが抜いたあとに、だれかが改めて弾を入れた……ということ?」
「あの事件のあと、おれは事件を鎮火させるように動いた。俊介に頼まれたからだよ。それで、思いこんじまったんだ。最後のすりかえをしたのは、風間俊介だってな。なんてこった。友達を信用してなかったのは、こっちの方だったわけだ。実際にすり替えていたのは……」
 野々村の視線が、堀内弘に注がれる。
 弘の双眸には狂気と悲哀とがみなぎっていた。
「引退して、どこにいくつもりなんだよ。なあ、ジョニー、お前はこの世界にいなきゃダメだ。いなくなっちゃダメなんだよ。いなくならないでくれよ、なあ、ジョニー。いまさらいなくなるってんなら、なんでお前はおれの前に現われたんだよ? なんでおれは風間先生を殴ったんだよ? なんでトミーを追い詰めなくちゃいけなかったんだよ? なんで……なんでだよ」
 その言葉だけで、透にはすべてがわかった。
(弘も、なのか)
 あの日、東京で五人が、レックスのオリジナルメンバーが出会ったあの瞬間、森田透が今西良に決定的な敗北を予感したように、堀内弘もまた、今西良に敗れていたのだ。
 弘は、ギタリストとして一流になることを夢見ており、当時から何度もその話をしていた。ギターが引っ張っていくバンド、その理想を語っていた。
 だが実際には、ザ・レックスはあくまでも「今西良&ザ・レックス」でしかなかった。堀内弘はリーダーでありながら、ジョニーのおまけでしかなかった。それが、どれほどかれの若い自尊心を傷つけていたことか。
 それでいて、弘は透のように良に反発することもできなかった。今西良の存在に敗北しながら、一方で今西良とともにいられることを、うしろで演奏できることを喜んでいた。そうなることをこそ恐れ、透はレックスを飛び出したのだ。
 だが、すでにして弘は今西良に囚われていた。

「おまえがどこかに行くのが怖かった。おまえはおれたちと違いすぎた。違いすぎたんだよ、良。だから、どこにも行かないように、行けないように、縛り付けておく枷が必要だった」
 そのために、良に巽を殺させた。巽の死をもって、良を芸能界に縛りつけるために。
「でもおれは……おれはお前のうしろで弾いているだけで満足できる男じゃないんだ……なのにお前から離れられなかった……だから、レックスを解散するしかなかったんだ」
 風間や巽のように男性として愛するのではなく、修のように兄として愛するのではなく、しかし確かに、堀内弘というミュージシャンは、今西良に囚われてしまっていたのだ。
 そして光夫のように自らの音楽を突き詰める天才性もなく、次郎のように音楽を捨てることもできず、ただ良に囚われ、あがいていた。透のように飛び出すこともできずに。
(弘……ヒロ……)
 弘は、レックスでも年長者だった。まとめ役だがやや喧嘩っ早いヒロと、温厚なサムと、二人がジョニーへの無償の愛で、レックスをまとめあげていた。ずっと長いこと、そう思っていた。
 だが、なんのことはない。弘もまた、当時は歳若い――二十歳をほんのいくつか過ぎたばかりの青年だったのだ。己を信じ、自らの力で天下を取ってやろうという、若者だったのだ。たとえ透の目には、今西良という神のもとへすべてを差し出した幸福な信者に見えていたとしても。

「なのに、レックスを解散しても、なにも変わりはしなかった……いや、むしろひどくなったよ、良。お互いに別々の道に歩んでいるそぶりだけをして、おれはいつだって、お前のことを見ていた。お前の活動を気にしていた。お前のうしろに自分がいないことに苛立っていた」
(わかるよ、ヒロ。おれにはわかる)
 それが自分を傷つけるだけだと知っていても、そうせずにはいられないことを、透はだれよりもよくわかるのだ。それが、今西良を知ってしまうということなのだ。
「いっそお前がいなくなってしまえば……何度もそう思った。だけどそれは……」
「できなかったんだろう、ヒロ。できるはずがないんだ、おれ達には」
 透は、弘に向かって歩き出した。
「おい、透!」
 あわてて止める野々村にかるく手をふる。
 記者たちのざわめきは、弘の銃口が動いたときに止まった。
 銃口は、透を捉えた。
「トミー……なのか。やっぱりいたんだな」
「久しぶりだね、ヒロ」
「なんでお前が、ここにいるんだ……なんで、一番最初に良を捨てたお前がここにいるんだ! なんで良を捨てたお前が、良に求められるんだ! なんで!」
「良はおれを求めてなんかいないよ」
 いままでなにも表情を変えなかった良が、なにか言いかけるのを見て、透はくびをふる。
「おれが、良を求めていたんだ、ずっと。それに、気づかないふりをしていた。ヒロ……おんなじだよ。おれは、ヒロとおんなじなんだ。ガキだったから、それが認められなくて、レックスを飛び出したんだよ。それだけなんだ」
「だったら、なぜ戻ってきた! お前さえ良の近くに戻ってこなければ……」

 良の歌は死に、ゆるやかに冷めていっただろう。良も、その周囲も、おだやかな滅亡を歩んでいっただろう。
(弘は、それがわかっていたんだ)
 それこそが、弘の望みだったのだ。今西良という稀有な現象の、静かでゆるやかな消滅が。それを近くもなく遠くもない場所で、最後まで眺めていることが。そうしてはじめて、自分が解放されると思ったのだろう。
 だからこそ、良のまえに透があらわれたとき、良に変化の兆しがあらわれたとき、弘はあせり、透に無言電話をかけてきた。なにをできるわけでなくても、かけずにいられなかった。透がかつて、ポケットにナイフを忍ばせずにはいられなかったように。
 真木アリサをけしかけたのも、マスコミに情報をリークしたのも、すべて弘だろう。同じWプロに所属し、多くの人間と長年のつきあいがある弘には、それが出来た。
 良を離したくはないという思い。
 良から離れたいという思い。
 捨てられぬ自尊心と、家庭をもってなお断ち切れぬ良への怪物的妄執の間で、弘は苦しみ続けていたのだ。透のように逃げることが出来なかったゆえに、苦しみ続けていたのだ。透には、そのすべてがわかった。

「ヒロ……おれは昔ね、自分には翼があると思っていたよ」
 透は、一つ一つ、ゆっくりと言葉をつむぎはじめた。
「その翼という刻印が、自分と他人をわけてしまうのだと。翼があるからこそ、おれは他人とちがう苦しみを受けるんだって。だから他人に崇拝されるのも当たり前なんだって。そう思っていたよ。良に出会うまではね」
 かすかな笑いが、口の端に上がってくる。不思議とそれは、苦くはなく、甘やかですらあった。
「それから、自分には翼などないと認めるのに何年もかかったよ。いくつも馬鹿をやって、いろんな人に助けられて、やっとわかったんだ。おれはどこにも行けない。ここでこうしてジタバタしているしかない、まぬけなだけの、どこにでもいる男に過ぎないってね」
 透はまた一歩、弘に近づく。
 もはや二人のあいだの距離は、二メートルもない。銃弾がはずれることは、まずないだろう。
 だが、なにも恐れることはなかった。
(すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある)
 旧約聖書のその言葉を教えてくれたのは、島津だった。
 愛するに時があり 憎むに時があり――
(良は、飛び立とうとしている)
 だれもがその翼にみとれ、かのものが飛び立ってしまうことを恐れた。それで、寄ってたかって縛りつけ、かれの翼を折ろうとした。
 だが翼は折れてはいなかった。傷つく飛ぶことを忘れていただけで、今西良の翼は折れていなかったのだ。それをいま、みなが気づくだろう。
 数え切れぬほど、殺そうと思った。
 数え切れぬほど、死のうと思った。
 けれどいま、ここにこうして透はあり、良はある。
 ならば、透がするべきことは、一つしかないのだろう。
「ヒロ……おれを撃つんだ」

 殺すに時があり、いやすに時があり―― 
「おれは、何度も良を殺そうと思ったよ。でも、できやしなかった。いまのヒロみたいにね。だから、ヒロはおれの分身みたいなものだよ。ヒロが殺すべきなのは、良じゃない。自分自身なんだ。でもおれは、ヒロに死んで欲しくない。ヒロは死んじゃダメだ」
 弘には、家族がある。ファンがいる。友達がいる。
 なにもないのは、透だけだ。
「だから、おれを撃って、それで終わりにしよう。ヒロの殺意はおれの殺意なんだ」
 透の死が、弘のいやしとなり、そしてそれによって良が飛び立てるというのなら。
(おれにはそれで十分すぎるさ。ねえ、巽さん。これであんたに会いに行っても、いいだろう?)
 生まれるに時があり、死ぬに時があり――
 弘の指は、引き金のうえでがくがくと震えている。ほんのわずかな衝撃で、弾丸は発射されるに違いない。
 弘の顔が、ひどく苦しそうに歪んでいた。
「おれは……トミー……おれは……」
「いいんだよ、ヒロ。おれたちは同じグループのメンバー……仲間じゃないか」
 はじめて口にする「仲間」という言葉。それは、思いのほか、心地よかった。
 その心地よさに身をまかせ、透はふるえる銃口へ、最後の一歩を踏み出した。
「キャー!」「うわぁ!」
 次の瞬間、激しい悲鳴が、室内を満たしていた。

 悲鳴はしかし、二人の後方へ向けてあがっていた。
 すべての人間がふりむいた先で、良が、左眼から、赤い涙を流して立っていた。そして、その眼球を貫く、あまりにも白い刃……
 それを握っているのは、良自身の手だった。
「良!」
 その場にいたすべてのものが、悲鳴をあげた。不完全さすらもその中に内包し、崩れかける寸前の、完璧な美貌を誇っていた良の顔が、いまは自らの血で、赤く濡れていた。
 弘の手からは、警官から奪ったという拳銃はこぼれ落ちていた。
「良!」
 だれもが、良のそばへ駆け寄ろうとした。そして、できなかった。
 良は――笑っていた。 
 凄惨で、美しくて、崇高で、残酷な笑みを、その顔にはりつけていた。
 その笑みが、会場にいるすべての人間の心を魅了し、凍りつけ、動けなくさせてしまっていたのだ。
(なんという……なんという生き物なんだろう……これは)
 透は、まるではじめて見たときのように、良から眼をそらせなかった。
「こんな顔は、もういらないんだ」
 良は、その声に歓喜をすらこめて、云った。
「ぼくはもう、こんなものいらないんだ。うたいに行くんだからね。死ぬわけにはいかないんだ。死んだらもう、うたえないからね。弘には、これをあげるから、許しておくれよ」
 ほそい腕があまりにも無造作にふるわれ、弘のあしもとに、血まみれのナイフは落ちた。
 そして良は、左眼からは止まらぬ血を、右眼から一筋の涙を流し、笑顔のままで、ふかくふかく、一礼をした。
「みんな、いままでありがとう……本当にありがとうございました」
 だれも、動けなかった。記者たちも、事務所の人間も、警備員も、弘も、野々村も、透も、だれもかも。
 フラッシュもたかれず、マイクはなにも音を拾うことなく――
 ただ、時間だけがゆっくりと過ぎていく中で、今西良はかろやかに身をひるがえすと、通路の向こうへ、血を滴らせながら、一人で歩いていった。

 世界が蘇るのには、数瞬が必要だった。
 あわてて良をおいかける者。弘をとりおさえる者。シャッターを切る者。なにかをわめく者。ただ呆然と立ち尽くす者。
 すべての者を背に、良は悠然と、この場から飛び去って行ったのだ。
(翼あるもの……)
 その背を見守るすべての者に、輝く白い翼がたしかに見えただろう。
 遠くそう思いながら、透はいつまでも、その場に立ち尽くしていた――






 最終章  朝日のあたる家



 扉が開くまで、十回ではきかぬほどインターフォンを鳴らした。
「すまんすまん」
「寝てたのか、ムラさん。らしくないね」
  「いまが何時だと思ってるんだい、島さん。草木も眠る丑三つ時ってやつですよ?」
「草木は眠っても、マスコミは眠りゃしないだろうに」
「また人を化け物みたいに云う。ま、確かに寝てはいなかったけどね。鍵は開けといたんだ。勝手に入ってくれりゃよかったのに」
「他のやつの家ならそうするがね、ムラさんにゃそんなことしないよ。友達じゃないか」
「おおいやだ、島さんそう云われるとぞっとしないね。ブランデーでいいかい? 安物だけどね」
「いやいらん、用件が済んだらすぐに出るさ」
 遠慮なくソファーに腰を下ろしながら、島津は室内を見渡す。あらゆる資料が雑然と積み上げられ、野々村以外の人間にはなにがどこにあるのかまるでわかるまい。
「お忙しそうでけっこうなことですな」
「あんたにゃ云われたくないよ。いまやヨーロッパを席巻するAAブランドの社長さんにはさ。また映画、撮るんだって? 当分フランスか、さみしくなるね」
「一応まだ部外秘だから、あんたが知ってちゃおかしいはずなんだけどね」
「おれは島さんのことならなんでも知っておきたいのさ。ま、部外秘を守りたいなら、AA様をなんとかするんだね」
「またあの小娘か。亜美め、自分の発言の影響力を」
「ちゃんと知ってるよ、あの娘は」
「知ってて手前勝手に振るまうから、いやになるんだろうが。体力が持たんよ、体力が。ええ? こちとらもう、五十……ええい、考えたかないね、あと数年で還暦だなんて」
「それはこちらも同じだよ。商売繁盛、けっこうなことじゃないの。しかしまあ、時間が経つのは早いもんだね。あれからもう、三年か」
 野々村はしわの増えた顔をなごませ、しみじみと語る。向かいに座る島津は対照的に、三年前と変わることなく精力的な面構えをしていたが、ひたいには一本の深いしわが刻まれている。もっとも、べつに機嫌がわるいわけではなく、これは常のことだ。
「あれからってのは、どれからのことだい? おれがKTVをクビになってからかね。あるいは天下の大スター様が突然の引退、失踪を遂げてからかね。あの馬鹿が馬鹿な店を開いてからかね」
「全部さ、全部。いろいろなことがあったもんだよ。この商売をやってるとよく思うけど、今回はとくにそう思うね」
 たしかに、この三年にはさまざまな出来事があった。
 島津が製作で携わった映画は、結果的に島津の初監督作品となり、カンヌ国際映画祭でカメラ・ドール賞と女優賞を受賞した。
 映画はヨーロッパ中でヒットし、それを受けて日本でも大ヒット。
 さらに島津は二年余りの間に、三本の映画を同じ主演女優で撮り、いずれも全世界的にヒットさせた。
 AA……Ami・Asakuraの名前はいまや全世界の若者のあいだで特別な意味をもっている。近年では、それを利用してAmi・Asakuraをデザイナーとしたファッションブランドも立ち上げ、これもまた大きな話題となっていた。

「ジョニーの引退会見に居合わせなかったのは、島津正彦、一生の不覚ってやつだな」
 今西良はあの記者会見ののち、治療のために入院した病院から失踪して、いまも行方は知られていない。
「映像は見たがね、生で見たかったもんだよ、あのときのジョニーをさ」
「やめときなって。ありゃ寿命が縮むよ。ま、堀内弘もなんだかんだで情状酌量の余地ありってことで、ずいぶん刑が軽くなったからね。模範囚らしいし、そろそろ出てこれると思うよ。」
「あの馬鹿と一緒に、わざわざ面会に行ったらしいねムラさん」
「あれもなかなかいい青年だよ。はやくギターが弾きたいんだと泣いていた。憑き物が落ちたような顔をしてたよ。ま、文字通り、憑き物は落ちて行方不明だからね」
 野々村はブラックコーヒーをすすると「そうそう」と続けた。
「その憑き物に関して、面白い話を聞いたんだがね。合衆国とオーストラリアの話なんだが」
 野々村は島津にその話の一部始終を告げる。聞きおえても、島津は疑わしげに眉をあげるばかりだった。
「『夜明けを告げる鳥』ねえ」
「ま、もしかしたら、だけどね。いいじゃないの、ロマンチックで」
「ロマンチック。いい歳した大人が真顔で云う台詞じゃないね。でもまあ、ロマンチックで思い出した」
 島津はカバンから、一枚のCDと、数枚の紙片を取り出した。
「頼まれていたやつだよ。これを届けに来たんだった」
「さすが島さんだ。仕事がはやい。ところで、こっちの紙はなんだい?」
「なに、元々ボーカル曲じゃないか。歌詞がないとさみしいと思ってね。つけてみた」
「そんなわざわざ。だれに書かせたんだい」
「……さ」
 島津の挙げた名前を聞いて、野々村は思わずというようにふきだした。
 島津が作詞をする時のペンネームだったのだ。
「素直に自分が書いたって、そう云えばいいじゃないか」
「照れくさくて云えるわけないだろう?」
 ニヤリと笑うと、島津は立ち上がった。
「それじゃ、おれは帰るよ」
「これから店に寄るのかい?」
「ああ、あの馬鹿にも聞かせてやろうと思ってな。いいだろう?」
「もちろんだよ……なあ、島津さん」
「どうしたんだい、急に改まって」
「天、勾践をむなしうすることなかれ。時に范蠡なきにしもあらず」
 野々村は眼を閉じて、ゆっくりとそう云った。
「いい言葉だね、こいつは」
「ああ、いい言葉さ。古臭くはあるがね」
 野々村がCDをトレイにのせる。
 流れはじめる音楽を背に、島津は夜の街へと足を踏み出した。

 その店は、大都会の路地裏の、半地下にある。
 小さな看板が道端に置かれているほかに、その店の存在を訴えるものはない。入り口は東に面しており、朝日が差し込むわずかな時間だけ、日の光があたるような場所だ。
 店内は狭く、暗く、なにもない。十席足らずのカウンター席と、一組だけのテーブル席があって、それだけだ。
 気の利いたオブジェや絵画が飾られることもなく、カウンターの裏に銘酒が並んでいることもなく、洒落た音楽も、美人のホステスもいない。そこにいるのは、ひどく痩せた、夜に溶けるようにして立っている、三十半ばのバーテンダー一人だ。
 客がいることもある。いないこともある。いずれにしろ、バーテンダーはさして気にする様子もなく、ときおり鼻歌をうたっては、不謹慎にもみずからも酒をなめ、時が過ぎるのに任せている。
 島津は今日も、そんなバーテンダーの姿を発見して、あきれたような声をあげた。

「こんなのはとうてい店とは云えねえな、おい」
「やあ、いらっしゃい」
「あいかわらず、閑古鳥が鳴いていやがる」
「ひどいな。さっきまではけっこうお客さんがいたんだよ、これでも。もうそろそろ夜も明けるっていう、こんな時間にいつも来る島津さんが悪いんだよ」
「経営が成り立っているとは信じられんね」
「お生憎さま。これでも赤字は出てないんだよ」
 不思議なもので、それは、本当のことらしい。
「お前さんが店を開くってきいたときは、正気を疑ったもんだがね」
 スツールに腰を下ろすと、なにも云わずにワイングラスが差し出される。そこに注がれているのは、最高級のドン・ペリニョンだ。
「だれがドンペリを出せと云ったんだよ、とんだぼったくりバーだな、ええ?」
「だって、なにか良いことがあったんでしょう?」
「ほう、そういう顔をしているかね」
「してないよ。いつも通りのしかめっ面だ。でも、なんとなくそんな気がした」
「お前さんにゃかなわねえな。透、そんなしけたもん飲んでないで、一緒に飲め」
 なかば無理矢理、ワイングラスをもう一つ用意させて、乾杯をする。

 森田透がバーを開くと云いだしたのは、あの騒動のしばらくあとだった。
「結局、おれはこの街で酒を飲んでいるしかない気がするからね」
 問いつめる島津に、透はわずかに肩をすくめて、そう説明した。
 意外なことに、透には貯蓄があった。考えてもみれば、不思議ではないのかもしれない。一時は一晩十万円の値がついたジゴロだったにも関わらず、透の浪費といえば日々をつなぐ酒ぐらいで、それすら量をや質にこだわるでもなく、出された一杯をゆっくりと時間をかけて飲み干すばかりだったのだ。
「意識したことなかったけど、気がついたら店を開けるくらいの金があった」
 という透の言葉は、まんざら嘘でもないのだろう。
 世間知のない透に、いくらか世話を焼いてやったりはしたが、基本的に店は森田透一人で運営しており、信じがたいことに赤字も大きな問題もないらしい。
 懸念していたシェイカーさばきもすぐに見事なものになったし、もともとバーやクラブに入り浸っていたから酒にも詳しかったうえ、なによりバーテンダーの服装が似合っていた。
(意外な適職ってやつだね、こいつは)
 ひそかに尻をぬぐう決意をしていた島津としては拍子抜けもいいところだった。

「難しい顔して、なに考えてるんだい?」
「なんにもない店なのに、ここに来るとちっとは気が晴れるのはどうしてかと思ってね」
「そりゃ、おれが島さんに惚れてるからさ」
 云ってから、けだるそうな仕草で透は自分の頭をかいた。
「おかしいな、昔、島さんに云われたことをそのまま返しただけなのに、なんだか照れるね、これは」
「お前さんが照れると、こっちまで恥ずかしくなるだろうが」
 島津はグラスをカウンターに置くと、カバンからCDを取り出した。中には、先に野々村に渡したのと同じ曲が入っている。
「かけてくれ」
 云われるままに、透はカウンター裏のコンポにCDをセットする。
 スピーカーからゆるやかに音楽が流れ出した。
 静かな音楽だった。暗く、重く、ゆったりとした旋律が、変調をいくつも繰り返しながら、力強さを感じさせるものへと変わっていく。
「へえ……いい曲だね。だれの曲」
「風間俊介」
 島津の答えに、透の眼がかすかに見開かれる。
「先生の……」
 風間俊介は、依然として行方不明だった。だれもその消息を知るものはいない。
 ただ一人、野々村正造をのぞいては。

 はじめの便りが野々村に届いたのは、失踪してから半年ほども経ってからだった。
「良が飛びたてて良かった。ありがとうと、みんなに伝えて欲しい」
 手紙に記されていたのはそれだけだった。
 それからも、数ヶ月に一度、野々村のもとへ言葉少ない便りが届いた。あて先は書いておらず、返信することはできなかったが、野々村は嬉しそうだった。
「嬉しいね、友達だって、覚えててくれたんだ。それで十分さ」
 じつは野々村が風間の居所を調べ上げていることを、島津は知っている。風間はどこかの山奥の寺で、隠者か修行僧のように暮らしているらしい。だが、野々村は風間を訪ねようとしないし、連絡をとろうとしない。それが、野々村の友情のかたちなのだ。
 そして、その友情が報われたのは、先の手紙でだった。
 その手紙には幾枚かの紙束が同封されていた。
 楽譜であった。それが、この曲だ。
 島津は野々村に頼まれて、一流ミュージシャンに演奏をさせ(奇しくもそのメンバーには、元レックスのキーボーダーである光夫もいた)録音をし、CDにしたのだ。

 そういう事情のほとんどを、透は知らないはずだったが、なにも聞こうとはしなかった。ただ、黙って曲に耳を傾けていた。
「いい曲だね。でも、どこかで聞いたことあるメロディーに似てる。アレンジ?」
「ああ、かなり大胆にされちゃいるが、有名な洋楽のアレンジだ」
「なんて曲?」
「『朝日のあたる家』」
「ああ……」
 それは、娼婦達の悲しみと諦念をうたったアメリカ民謡であり、六十年代にはブリティッシュ・バンドがロック&ブルース調にカバーしたことで有名な曲であった。
 だが、いま流れている曲は、それらの原曲とおなじ悲しみをたたえながら、明らかに異なるものをはらんでいた。
 あえてそれを言葉にするなら、それは絶望と諦念の果てに在る「希望」と断言して、間違いないだろう。少なくとも、島津はそう解釈した。

「なんだか……先生らしいね」
「元々、風間俊介ってのは、学のある男だったからな。洋の東西、古今を問わず、さまざまな音楽を聞き、それを若者にも聞きやすいようアレンジするのが得意だった。若くして売れたせいで天性の作曲家なんて云われてたがね、あれは執念と努力のアレンジャーだったよ。あいつほど音楽を好きな男はいないって、ムラさんはよく云っていた。ジョニーから離れて、やっと本来の自分を取り戻せたってところかね」
 曲が流れおわり、しばしの沈黙が訪れる。
「……歌詞は? 原曲はボーカル曲でしょう?」
「風間から送られてきたのには楽譜だけだったが……いちおう、こちらの方で用意はしてある」
「へえ、だれが作詞したの?」
「無名の二流さ。なにぶん、急な話だったからね。こいつが歌詞と楽譜だ」
 コピー紙の束を透に渡すと、透はそれに目を通しながら、もう一度CDを流しはじめる。
「へえ、いい詞じゃない。……この人はロマンチストだね、島さん」
「本人に会ったら伝えとくよ、おい、おかわりだ。この店じゃ、客に自分で注がせるのか?」
「はいはい、いま注ぐよ。ついでに、なにか食べるかい?」
「ステーキぐらいしかまともに食えるものを出せないくせに、よく云うね」
「じゃあ、ステーキを焼こうか」
「夜明けも近いってのに、そんなものが食えるか。いいからお前も飲め」
 島津と透は、二度目のグラスを合わせる。

 一口ふくむと、透は曲の途中から、自然な様子で歌を口ずさみはじめた。
 それはじつに自然で、まるで何時からうたいはじめたのかわからないような、それでいてこのままいつまでも続いてほしい思わせるような、そういううたい方だった。透は店にいるあいだ、客がいようがいまいが関係なく、いつもこうやって気まぐれにうたって過ごしている。
 数少ない、しかし熱心な常連たちが、このうたを目当てに通っているのは間違いあるまい。幾度か店内で遭遇した客たちは、いつも透がうたいはじめると、静かに目をほそめて聞き入っていた。
 歌がサビに入る直前で、透はうたうのをやめた。
「やっぱり、いい曲だ。でもこれ、二人でうたうのを想定してつくってあるね」
「今西良と森田透へ、だってさ」
 楽譜と同封してあった手紙には、そう書いてあったという。
「へえ」
 透は感嘆したようにため息をついた。
「やっぱり、おれ、風間先生のこと、好きだな」
「まあね、おれもずいぶん、やつのことを見損なっていたと認めざるを得ないね」
「良がいれば、一緒にうたえたんだけどね」
「今西良と云えば、だがね」
 島津はさきほど野々村に聞いた話を思い出す。
「アメリカとオーストラリアの一部で、妙な東洋人の噂が流れてるらしい」
「一部って、どこで?」
「アメリカ・インディアンと、アボリジニの居留地で、さ。なんでも、ここ二年の間に、各地にあるやつらの居留地にふらりとあらわれては、数日逗留して去っていく東洋人がいるんだとさ」
 東洋人の特徴は、細身で肌は白く、隻眼の青年、だという。
「どこの居留地でも歌をうたったそうだ。いろんな国の歌をね。もちろん、現地の人間には意味のわからない歌も多かったらしいが、それでもみな、その東洋人の歌には感銘を受けた。そして、その男……なのかね、とにかくそいつは、立ち去る前に、その地の歌を一曲覚えてから、立ち去るそうだ」
「それが……良?」
「なのか、どうかまでは知らんよ。いくら島津さんだってわからないことはあるってこった。ただね、不思議な話で、そいつの立ち寄った場所ではどこでも……いいか、どこでもだぞ、そいつのことを現地の言葉で『夜明けを告げる鳥』と呼んだそうだ」
 透はしばらく楽譜をいじってから、もう一度、CDを流しはじめた。
「信じるよ。それはきっと、良にちがいない。『夜明けを告げる鳥』か……。これほど良にふさわしい名前はないじゃない」
「だとしたら、夢のある話だがね」

 その時、パタン、と音がした。
 見ると、階段の向こうで、扉が開いて、のぼりはじめた朝日がさしこんでいた。その朝日を背に、客のほそい姿が黒く浮かび上がっている。
「お客さま、もうそろそろ閉めるつもりだったんですが、それでもよろしければ……」
 階段の方へ客を出迎えにいった透の声が、そこで一度止まり、次にくちびるが開かれたときには、かぎりない優しさを秘めて発されていた。
「やあ、いらっしゃい。それに、おかえり」
「うん、ただいま」
 返事にもまた、かぎりない慈しみと、そして強さがあるのを、島津は感じとった。
 ほそい身体は、一回りたくましくなっていた。白い肌は、わずかながら日に焼けていた。髪はでたらめに伸びていたし、薄いセーターのところどころはほつれ、靴はほこりにまみれていた。そこにいるのは、数年にわたり日本の芸能界に君臨した、あの輝く美の化身ではなかった。
「会いたかったよ、透」
「おれもだよ、良」
 それでも確かに、そこにいるのは、まぎれもなく輝く翼をもつものであった。

「どこに行ってたの?」
「ん、いろいろ」
「まだ、途中?」
「うん、全然途中」
 良は島津の隣に腰を下ろすと、透からそっとワイングラスがさしだされるのを受け取って、にっこりと笑った。
「お久しぶりです、島津さん。透がお世話になってます」
「あんたのために世話をしてるわけじゃないさ。それじゃ、乾杯といくかね。あんたらの再会に乾杯だ」
 カチリと音を鳴らして、三人の手が、それぞれグラスを口元にはこぶ。
「こんな上品なお酒、久しぶりだ」
 くすくすと笑う良の左眼はかたく閉ざされて、そのまぶたのうえにもひどい傷跡が残っていた。良には、それを隠そうとするそぶりもない。
「この曲」
「うん?」
「いい曲だね」
「ああ、風間先生が作ったんだよ」
「先生が? へえ、よかった。先生、自分の音楽、思い出せたんだ」
「おれと良へ、だって、この曲」
「いいね、うたいたいな。詞はあるの?」
「うん、これ」
 透と良はたちあがり、二人で一つの楽譜を手にもって、横に並んでたつ。
 島津は、信じられない想いで、その姿を見ていた。
(ああ、おれは夢を見ているな)
 そう思った。それほどに、その情景は、どこか現実離れをして幻想的だった。
 インディアンの居留地からやってきた隻眼の歌手と、東京の地下に住むほろ酔いのバーテンダーと。
 かつて同じステージに立ち、日本中の女たちを熱狂させた二人の青年のなれの果てが、いまはスポットライトもない暗がりの店で、身を寄せ合うようにして、一つの楽譜をのぞき込んでいる。それを見ているのは、ほかならぬ島津ただ一人なのだ。
 なにか厳粛な気持ちが、島津の心に落ちてくる。
 その気持ちを包み込むように、いつの間にか、歌ははじまっていた。

 時間にすれば、わずか五分足らずの出来事であった。
 だがその五分間のことを、一生忘れることはできないだろうと島津は思った。
 あらゆる言葉も思考も、意味を失っていた。島津はただ、聴いていた。四十年をかけて着こんできた鎧のすべてが解き放たれ、三十年ものあいだ商売道具として操ってきた歌が、自らの心に容赦のない優しさでふりそそいでくるのを、ただ呆然と聴いていた。
 二つのまるで異なる歌声が、ときに絡み合い、ときに反発しあい、やがて一つの旋律に集約されていくのを、すべてを忘れて聴いていた。
(なんて……なんて……優しいのだろう、この世界は。神様ってやつは)
 島津は感謝すらしていた。
 ろくでもないことも、いくらでもやった。憎まれることも恨まれることも、数え切れないほどだ。その自分が、なぜ森田透と出会い、いまここに、こうしているという僥倖を授かれたのか。
 それは、世界のすべてを許すのに、充分すぎる五分間であった。
 島津は滂沱たる涙を流している自分を恥ずかしいと思うことも忘れ、ただ泣いていた。

「行くのかい?」
「うん、いい歌も、教えてもらったからね」
「どこへ行くの」
「とりあえず、中近東の――あたりに」
 それは、紛争にほど近い、危険な地域だったが、透も島津も、止めようとはしなかった。人の言葉も、のばした腕も、天高くとんでいるものを捕まえることは、できないのだから。
「そう……気をつけてね」
「うん。透も元気でね」
「帰ってくるの、待ってるよ。ずっとここで」
「うん、かならず帰ってくるよ。また会おうね、透」
「ああ、また会おう、良」
 別れの挨拶は、それだけだった。
 突然の訪れから、三十分と経っていなかったろう。
 朝日のさす階段の向こうへ、今西良は歌声という翼をきらめかせながら、去っていった。
 立ち尽くす島津の隣へくると、透はやさしく、かれの肩に手を置いた。 「島津さん、別に恥ずかしくないよ」
「……」
「還暦近い男がさ、歌を聴いて泣くのは、べつに恥ずかしいことじゃないよ」
「……うるさいんだよ、バカ野郎が」
 そうこたえるのが、精一杯だった。

 店を出たところで、空をあおいだ。
 良の姿は、もはやどこにも見当たらない。まるで、幻のように、消え去ってしまっていた。だが幻だとしても、あの時間は、島津に大きなものを与えていた。あまりにも、大きなものを。
「おい、マサヒコ、こら、なに一人で悦に入ってるんだよ」
 物思いは、暴力的とすらいえる騒がしさにかき消された。
 亜美が――いまや世界でもっともマスコミに注目される女優の一人である朝倉亜美が、憤懣やるかたないといった顔で立っていた。
「お前また一人で透に会いに行っただろ? 抜け駆けすんなって云っただろ、バカ」
「まったく、お前さんはどうしようもないほどに現実だね。ちったぁ自分が日本映画界の至宝って云われている立場だって理解しちゃどうなんだね」
「うっせえよ。あたしの勝手でしょ」
「透に会いに来たのか? 良い子だから、今日は帰れ。今日だけはな」
 断固とした島津の口調に、亜美もなにかを感じ取ったのか、ふんと横を向いたが「わかりましたよ」と素直に聞き分けた。
「今日は、透じゃなくてマサヒコちゃんに用事があったんだし」
「何の用だね、こんな朝早くに」
「結婚しよ」
 あっさりと、亜美は云った。
「はあ? だれと、だれがだね」
「あたし、朝倉亜美と、あなた、島津マサヒコちゃんが」
「なんでまた、三十も歳下のお前さんと結婚せにゃならんのだね」
「マサヒコちゃんもあたしも、透が一番好きだから」
 一桁の足し算に答えるような明瞭さだった。
「でも、二人とも透とは一緒になれないでしょ? 透はみんなのものだからね。仕方ないから、あたしとマサヒコちゃんで結婚するのよ」
「結婚してそれでどうするんだね」
「結婚したら、子供産むに決まってんでしょ。そんで、子供に透って名前つけるの。二人目ができたら、良にしようかな。どう名案でしょ?」
「名案ねえ」
 苦笑しながら、亜美の顔を見る。不適な笑みを浮かべる彼女の顔は、しかし眼の底で真剣な色をたたえていた。それを見ているうちに、島津の気持ちは和らいでいった。

(おれに子供、か……とっくの昔に、あきらめていたがね)
 それも悪くない。
 島津は、いまきた道をふり返る。
 朝日の残照をあびて、都会の地下にうずくまった透のバーが、かれの店が、しずかにたたずんでいる。その中で、いま森田透は、どんなふうにすごしているだろう。良とうたった幸せの余韻に微睡んでいるのだろうか。
 ほんのわずかな時間だけ、朝日のあたる家で。安らぎの許された部屋で。
「それじゃいっちょ、ガキでも産んでみるかね」
 これで良いのだ、と島津は思った。
 この先、何度でもあの店を訪れるだろう。
 一人で、あるいは亜美と一緒に、野々村と一緒に、子供ができたらそれも連れてこよう。何度でも、訪れるだろう。きっと死んだら、ここに帰ってくるだろう。森田透という、一つの奇跡がある、この朝日のあたる家へ。
 良も風間も巽も、だれもがきっと、帰ってくるだろう、朝日のあたる家へ。
 だれもがきっと、かれらの歌声を聞くだろう。
 どこまでも優しい『朝日のあたる家』を―― 










       朝日のあたる家・完










 あとがきと解説



そんな感じで書き上げてからけっこう経ちましたが。
今回、あらためてまとめながら再読して、自分で驚いたね。思ったより栗本薫っぽくて。いや、自画自賛ですけどね、なんというかこう、ダサいところや恥ずかしいところもコミコミで栗本薫っぽいよ、これ。栗本薫の草稿ですって言われたら、たぶん信じるよ、おれは。
そんな気持ちになって、ちょっと機嫌をなおしつつあるうなぎさんですが、まあそれはそれとして。
読みながら「このネタ伝わらないだろなー」と思った部分を微妙に解説していこうと思う所存です。

・第五章 あんたが古いブルースを歌えと言うから

章タイトルは浅川マキの同名曲から。
ちなみに、そもそも朝日のあたる家には章タイトルはついていません。なのになぜつけたのかというと、翼あるものにはついていたのと、栗本薫の物真似をするなら、一度やってみたかったことだから。恥ずカッコいいし。
で、栗本薫がよくタイトルをいただいていた歌手といえば、浅川マキ、甲斐よしひろ、沢田研二、宇崎竜童あたりなので、ぼくもそれに準じてみたわけです。
文中で「午前〇時一分(ミッドナイト・プラスワン)」というのがありますが、これも甲斐よしひろの同名曲からです。


・第六章 廃墟の鳩
章タイトルはタイガースの同名曲から。
ちなみにこれは透のモデルとなった加橋かつみのソロ曲です。これをリリースしたあと、加橋かつみは脱退しているのですよ。曲調といい、歌詞といい、あまりにもイメージにぴったりでびっくりしたね、ぼくは。
荒廃した風間の心に存在する一羽の鳩。それは音楽であった、というイメージ。

今西良シリーズは、歌手を題材にしているくせに歌というものをあまりにもないがしろにしすぎで、しかもどんどん扱いが悪くなる。つまり栗本先生的には歌ってのは人を魅了する項目としてはかなりポイント低いんだろうなー、ということが察せられる。
この辺を書きながら「歌で適当にまとめよう」と決める。

ちなみに、あとで原作読み直したら、風間さんがレックスと関わったのは透が脱退したあとなので、透のソロ曲を作ったことがあるといううなぎ設定は間違っています。
まとめるにあたってその部分を消そうかと思ったけど、風間さんは栗本薫の分身として捉えているので、敢えて設定無視してそのままにしました。

途中、アイスピックで指の間トントントンってやるけど、これは今西良シリーズのネタ元である『悪魔のようなあいつ』でジュリーがやっていたので、真似してアレンジしてみました。


・第七章  エコーズ・オブ・ラブ

章タイトルは甲斐よしひろから。
文中にある「無法者の愛」という言葉も甲斐よしひろから。
愛の残響をのこして消える風間と、無法な愛の巽、二人の対比にもなっている。いま考えたんだけど。

朝日~のなにがしょぼいって、ラスボスというか、最後の騒動が真木アリサというどうでもいいキャラ絡みだったのがよくない。ので、ここで早々に処分しました。


第八章 こぼれる黄金の砂 ―dream time―

浅川マキの同名曲。
これはタイトルがあまりにもカッコいいので使わなくては、という気持ちだけで選んだ。
一応、夢見心地のときに島津さんが帰ってくるところがdream timeになってはいる。

雪子とのエピソードは、どうまとめたものかまったく見当がつかず困った。なにをいうにも、原作でもどう収拾つけたのかまったく思い出せないのだ。 理屈としてはそこそこうまくまとまったが、シーンとしてはいいのが浮かばず適当に流した。

このあたりから、透が節操もなく他人に共感しはじめる。
だれよりも痛みを感じた透だから、だれの痛みにも共感してしまうのだ。
端的に言えば、物語とは痛みゆえに作り、痛みゆえに読むものだと思う。それを体現する存在が、自分にとっては森田透なのだ。


・第九章 悲しき愛奴(サーファー)

甲斐よしひろから。
同時に、ジュリーが歌い栗本薫がタイトルをいただいたことがある「探偵〜悲しきチェイサー〜」を連想させたことも、この曲を選んだ理由である。

おっさん同士の丁々発止、というのを真面目にやろうとしたが、時間がかかるし技量も追いつかないしやる気もないし需要もなさそうなのではしょった。もし加筆することがあるなら、第八章と第九章は大幅に変えるだろうなあ。
朝倉樹三郎はストーリー上では島津の進退を左右する重要な役目なんだが、どういう人物なのかはまるで描かれていないのですべて捏造した。
とにかく政治がらみの云々は一掃させないと気持ち悪いので、八、九章はそれにつかった。個人的にあんまりいらない章。でもこれがないと島津さんはただの役立たずのツンデレ親父という罠。

実際の栗本薫の場合、朝日のあたる家は「三人称、透の視点」を貫いて書かれているため、この章のような場面が描かれることはまずありえない。最終章ももちろんありえない。小説道場で視点については口うるさく云っていた先生なのだ。
ので、ちょっと迷ったが、へんへ自身はルールを破っていいので、気にしないことにした。

朝倉樹三郎が後援者からもらった掛け軸を見ているのは、これは『紫音と綺羅』で江森備が「総理大臣が周瑜の描かれた掛け軸を後援者からもらう」というシーンを書いているので、それへのオマージュである。たぶん一番わかりにくいオマージュ。まあ、政治家がもらいそうなものって想像つかないからいただいたんですが。


・第十章  I BELIEVE IN MUSIC

タイトルはもう、イメージ映像を見てのとおりです。
ちなみに、タイトルははっきり出していないけど『翼あるもの』シリーズのどこかで、良が「自分で訳した」「音楽への愛をうたった歌」を好んでいたという描写はあったはず。なので、それを生かしました。

加筆されたナイフのくだりは、翼あるもの下巻で印象的だった、透が巽にナイフを買ってもらうシーンを生かすことにしました。縁を切る贈り物だと知りながらそれを欲しがる透と、それを知らずに無邪気に買い与える巽さんに胸がキュンキュンしたものですよね。


・第十一章  翼あるもの

甲斐よしひろの同名曲であり、前作のタイトルでもある。
ここで前作のタイトルを章タイトルにするのってカッコよくね? という気持ちでつけた。わりとタイトルをつけてから内容を考えたふしもある。

すべての事件の黒幕を弘にしたのは、やりすぎの感があったろうかといまだに判断しづらい。
とにかく、物語にカタルシスを与えるには、すべてをひっかぶる悪役が必要だと思ったわけで、その役にふさわしいほど良や透と関わりが深く、かつ意外な人物を探したら弘しかいなかった。ので、むりやり全部つなげた。
むりやりのわりには、けっこううまくつなげられた気がする。栗本薫程度にはつながったはずだ。

弘のエピソードは、一部を岸辺一徳からいただいている。
岸辺一徳は当時としては一流のベーシストでありながら、ジュリーのバックバンドという身分を甘んじて受け入れてしまっている自分に気づき、音楽を捨て俳優の道を選んだらしい。
弘はそこで音楽を捨てられなかった一徳、という感じをイメージしている。 まあ、一徳のイメージは本来サム、田端修で使われてしまってはいるのだが。
栗本先生が書くと男のプライドってものがなく、すぐに信奉者になってしまうのでこういうキャラは出さないし出せないだろうなあ、と実際は思う。
その一方で自分語りの長さうざさは栗本薫的で大変すばらしいと自分で思った。
大人びた青年の苦悩、というのは栗本薫が時折やる手法で、おわらぶの清正や『行き止まりの挽歌』の梶、『翼あるもの』の巽などがそれにあたる。みんなに頼られていた人が子供のような頼りなさをのぞかせ「ああ、この人も若かったんだ」と周囲が思い出すというシーンは印象的なので、弘にもその手を使ってみた。

男って生き物は妥協を重ねつつ、それでいてちんけなプライドは必死で守っていく悲しい生き物で、そこを感覚で理解できる女性作家って、あんまりいないと思うんだよね、という余談。

聖書のくだり(生きるに時があり……)は栗本先生がよく書く台詞なので、とりあえず書かなきゃいけないと思って書いた。

人のために殺されることのできる透。
歌のために自分を傷つけることをためらわない良。
二人の決断が対比となっているが、これは翼あるもの下巻で島津が二人を評し「透は山賊にさらわれたら悔しがりながらずっと犯され続ける。良は犯られる前に自殺する」と云っていたのをベースに考えたものだったりもする。

なお、良の結末に関して「ああ『ヘルタースケルター』(岡崎京子の漫画)のアレンジにしたのね」と云われたが、まったく覚えておらず、かるく読み直したらたしかにヘルタースケルターだった。
へルタースケルターは、超絶ブスの女の子が超整形によって芸能界に君臨するが、性格がゆがみまくってるせいでトラブルを起こしまくり、いろいろあって失踪。彼女の家には彼女の眼球だけが残っていた。その後、どこぞの部族で彼女らしき女性が女王として君臨しているらしい、という噂が流れて第二部開始(というところで作者が交通事故にあい半身不随で中絶)という話で、たしかどう考えてもヘルタースケルターでした。
ヘルタースケルター自体は岡崎京子作品の集大成とも云える傑作なので、未読の方は是非、という余談。

ラストシーン、もう少し切れ味が欲しかったんだが、うまくいかないものだ。


・最終章  朝日のあたる家

章タイトルに関しては説明しているとおり。
作品の大タイトルが最終章のタイトルになるのってカッコいいじゃん。
最終章に関しては、最初から浮かんでいたというか、ここにつなげるために間のエピソードを無理矢理でっちあげたという現実。

読めばわかるとおり、風間先生の作曲家としての才を栗本薫的に評しています。
で、はやく栗本先生の憑き物も落ちないかな、という願いをちょっとこめています。

ま、内容に関してはこれ以上うまくまとめるのは、すくなくともおれには不可能。
やはり、最後は別の人間の視点で〆たほうがいいと思ったし、それには島津さんしかいねえって話ですよ。
自分的には朝日のあたる家がこういう雰囲気でまとまってくれたら満足だった。
透がやる気なく酒飲んで鼻歌うたいながらバーテンダーしてるって萌えない?という気持ちだけでご飯三杯いけないかしら? よーし、いこう、いこうぜ、みんな!

そんな感じで、おしまい。
感想とか拍手はどんどんくれると喜ぶうなぎであった。






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