インデックス>読書感想文 目次>浅田次郎
タイトル
評価
一言メモ
見知らぬ妻へ
うな
くそみそな結果に終わったのでした
勇気凛凛ルリの色
うなぎ
謎の雰囲気大作家
地下鉄に乗って
うな
あまりにも実直で確かな作品
椿山課長の七日間
うなぎ
あまりにも実直で確かな作品
勝負の極意
うな
おっさんのほら話
オー・マイ・ガアッ!
うなぎ
ラスベガス妄想伝
見知らぬ妻へ うな
見知らぬ妻へ
浅田 次郎
光文社
「うー読書読書」
いま読む本を求めて全力疾走している僕はふらふらと生きているごく一般的なNEET。強いて違うところを挙げるとすれば小説に興味があるってとこかナー
名前は浜名湖うなぎ。
そんなわけで帰り道にあるブックオフにやって来たのだ。
ふと見ると本棚に一人の作家の本が入っていた。
ウホッ! いい話……
そう思っていると突然その本は僕の見ている前でページを開きはじめたのだ……!
「読まないか」
そういえばブックオフは100円の本があることで有名なところだった。
いい話に弱い僕は誘われるままにホイホイと買って帰っちゃったのだ。
彼……ちょっとおっさんくさい作家で浅田次郎と名乗った。
短編小説も書きなれているらしく、家に帰るなりぼくはすぐに読みはじめてしまった。
「よかったのか、ホイホイ買っちまって。俺は映画の主演だってかまわないで高倉健にしちまう人間なんだぜ」
「こんな本読むのはじめてだけどいいんです……僕……浅田さんみたいな安い本好きですから……」
「うれしいこと言ってくれるじゃないの。それじゃあとことん泣かせてやるからな」
言葉どおりにかれはすばらしいテクニシャンだった。ぼくはというと涙腺に与えられる感動の波に身をふるわせてもだえていた。
しかし、そのとき予期せぬ出来事が……
「うっ……で、出そう」
「ん? もうかい? 意外に涙もろいんだな」
「ち、ちがう……実はさっきから汗が出て風呂に入りたかったんです。家に帰ってきたのもそのためで……」
「そうか……いいこと思いついた。お前、風呂の中で続きを読め」
「え〜っ!? お風呂の中でですかァ?」
「男は度胸。何でもためしてみるのさ。きっといい気持ちだぜ。ほら、遠慮しないで入ってみろ」
彼はそういうと上質紙にまとった表紙を脱ぎ捨て、たくましい背表紙を僕の前につきだした。
文庫本を読みながら風呂に入らせるなんて、なんて人なんだろう……しかし、彼の安く買った値札を見ているうちに、そんな本を捨てるようなことをためしてみたい欲望が……
「それじゃ……やります……」
クン……
ズ……ズズ……
ニュグ……
「は……入りました……」
「ああ……次はシャワーだ」
「それじゃ出します……」
シャーッ
チュチューッ
「いいぞ。本がどんどん濡れていくのがわかるよ。しっかりとしおりのページを閉めとかないとな」
「くうっ! 気持ちいい……!」
この初めての体験は室内読書では知る事のなかった感動をぼくにもたらした。
あまりに激しい感動にシャワーを終えると同時に僕の髪はシャンプーの海の中であっけなくキューティクルを取り戻していた。
「このぶんだとそうとう風呂に入ってなかったみたいだな。本の中がびちょびちょだぜ」
「はぁ……はぁ……」
「どうしたい」
「あんまり気持ちよくて……こんなことしたの初めてだから……」
「だろうな。俺も初めてだよ。ところで俺の壬生義士伝を見てくれ。こいつをどう思う?」
「すごく……ぶ厚いです……」
「ぶ厚いのはいいからさ。このままじゃおさまりがつかないんだよな」
「あっ」
「今度は定価買いだろ?」
「ああっ!!」
「いいぞ……定価の10%の印税が入ってきやがる……!」
「出……出る……」
「なんだァ? いま読み始めたばかりなのにもう泣くってのか? 感受性抜群なんだな」
「ちっちがう……!!」
「なにィ? 今度も100円の出費だァ? お前、俺をダイソー文庫と間違えてんじゃねえのか!?」
「しーましェーン!!」
「しょうがねえなあ。いいよ、いいよ。俺が安売りしてやるからそのまま揃えちまいな。2800円でコンプリートするのもいいかもしれないしな!」
「えーっ!?」
……と、こんなわけで、僕の初めての浅田次郎の本はびしょ濡れな結果に終ったのでした……
勇気凛凛ルリの色 うなぎ
勇気凛凛ルリの色 (講談社文庫)
浅田 次郎
講談社
『週刊現代』で連載していたエッセイ。
あ……あれ? 小説よりも面白い?
どう考えても嘘にしか思えない経歴を持つ著者が、思いつくままに胡散臭い話や真面目な話を垂れ流していくエッセイ。
エッセイが面白いかどうかってのは、作者がどれだけ面白い人で、そしてどれだけ世界を愛しているかにかかっていると思うのだが、その点において浅田次郎はすごい。
すごい胡散臭い。
おれが勝手につくった大作家の条件の一つに「なにを書いてもホントっぽく、なにを書いてもウソ臭い」というのがある。
なにを書いても本当に聞こえるようなやつは虚業というものの楽しみをわかっていないつまらない人間だ。かといってなんでもうそ臭い奴は信に足らないので話を聞く気にならない。
しかしこの双方を十二分に満たしている現役作家となると、どうも筒井康隆しか思い浮かばなかった。みんなわりといいかげん過ぎたり、照れ屋すぎたりする。
が、浅田次郎。
実に厚顔無恥で真面目で情熱的で不真面目で胡散臭い。
この風格はまさに大作家。
こんなにも狸親父だとは思わなかった。
自衛隊出身ゆえに定期的に軍隊について熱く語り、その一方でマルチ商売をしていた時代の人間としてどうかと思う生活を赤裸々に語り、自分の悪癖を真顔で正当化し、市井の小さな事件に感情移入し義侠心に燃え、作家を目指した二十数年を語りながら、その口で金玉だのウンコだのについてしつこく語る。
このいいかげんとしか思えない内容が、しかし明確に一個の人格にちゃんと統合されているのが大作家的雰囲気の由縁。
愛すべき親父の愛すべきエッセイだ。
(09/1/10)
地下鉄に乗って うな
地下鉄(メトロ)に乗って (講談社文庫)
浅田 次郎
講談社
あらすじ
傲慢なやり口で一代にして大企業をつくりあげた父に反発し、実家を飛び出したまま四十もなかばを越してしまった主人公・真次。
彼が飛び出す契機となったのは、三十年前に起きた兄の死亡事故だった。
その兄の命日に、地下鉄に乗りうとうととした真次が目が覚ますと、そこは三十年前の東京であった……
「平成の泣かせ屋」なる嬉しいんだかうっとうしいんだかわからない異名をもつ浅田次郎の、最初の出世作とも云える本作。
吉川英治新人文学賞を受賞した作品だけあって、そのクオリティは確かなもの。
敢えて云うなら全然新人文学って感じじゃない。
新人文学ってもっと青臭かったり無駄に気負ってたりフロックなんじゃないかって危うさがあったり、するもんだしするべきだろ。なんだよこの確かな実力に裏打ちされ、実直に書き上げられた作品はw
ストーリー自体は、なぜかはわからぬままに過去と現在を行き来することによって、忌み嫌っていた父の半生を知るという、ツンデレ親父VSツンデレ息子のツンデレ合戦となっている。
その合間合間に、東京オリンピック時代の日本や、戦後の日本、戦中の日本などが、実にたくみに、それこそまるで見てきたかのようにするりと描写されている。
その描写には多分にノスタルジックなものが含まれていながら、しかし決して過去を賛美するにとどまらず、過去の醜さも同時に描くという公平な視点を持って為されている。
その上でなお、過ぎ去りし時代への憧憬を読者に与えるのは、不便でも醜くても、それでもなお過去を愛する作者の気持ちがあるからだ。
もっとも、浅田次郎は、同様に現代もまた、その醜さも含めて愛しているのだろう。
作品の出来自体は、細部にまで気がいきわたり、細かい台詞や描写の伏線が生かされた職人的なものだが、大筋においてはあまり大技を使うことのない、驚きの少ないものになっている(とはいえ、ちゃんと大きなオチもあるにはある)
結果として、この作品を傑作や名作だとは思わない。
主観的な意見ではあるが、傑作や名作の類というものは、作者が全力を注ぎ、そのうえでなお作者の力量を超えたなにかを加えてはじめて存在しうるものだ。
しかしこの作品は、まったくもってすべてこれ、作者の力量そのものにより作られた、確かな存在であるからだ。
どんな分野であれ、この三つを揃えれば必ず成功するというものがある。
一つには、事を為すまで生き延びる天運。
二つには、永の年月を耐える強靭な意思。
三つには、清濁を超えてなお揺るがぬ愛。
浅田次郎はこの三つを三つとも備えているだけだ。
自衛隊に入り、マルチ商売に走り、極道に片足を突っ込み、アパレル会社経営に成功し、ギャンブルに大はまりし続け、家庭も、富も、地位も、娯楽も、全て手に入れながら、なお青年時代の夢であった作家という夢を二十数年忘れなかったという、あまりにも強靭な意思。
そしてそれらの経歴のなかで味わってきた苦汁、見てきた人の醜さ愚かさ、そのうえでなお、揺るぎなく存在するすべての人間への、善悪を超越した愛。
ゆえに、浅田次郎は必然により作家となった人間であり、この作品もまた、必然で生まれた佳作であるのだ。浅田次郎が浅田次郎でありつづける限り、このクオリティを割ることは決してないだろう。
確かな力量に支えられた、あまりにも確かな物語。
それを名作だの傑作だのと呼ぶのは、むしろ彼への侮辱であるとすら、自分は思う。
……とはいえ。
正直なところ、自分は東京の昔や戦中戦後の日本にはさほど興味がなく、そもそも「平成の泣かせ屋」であるところの浅田次郎よりは、愛と虚構をふりまくタヌキ親父である浅田次郎の方を好ましく思うため、この作品自体はさして好きではないなあ。
(09/1/21)
椿山課長の七日間 うなぎ
椿山課長の七日間 (朝日文庫)
浅田 次郎
朝日新聞社
過労により不慮の死を遂げた椿山課長46歳。
気がつけばSACなるあの世のお役所で現世の罪を認めさせれらることに。
償いはボタン一つで終わる形式上のものだったが、自分に課せられた「邪淫の罪」がどうしても納得できず、初七日までの三日間を現世に戻り、心残りを果たすことになったのだが……
これいい話すぎるだろ……
汚いな流石平成の泣かせ屋きたない
設定の時点で「はいはい、ちょっと笑わせてしっとり泣かせる人情話でしょ。おっさんてそういうのホント好きだよね、はいはい」とわかりきって斜めに構えて読んだのに、それを全力でやりきるこの図太さに惚れ惚れとしてしまった。
やはり根底にあるのは、圧倒的なリアリティ。
デパートの服飾部門と博徒の世界をメインに描いているが、アパレル会社社長で極道に片足つっこんだという作者の経歴をいかんなく発揮。
その業界のつらさやその世界に生きる人の弱さ、渡世術、そしてなによりもずるさ。
これを的確に描いているからこそ圧倒的にリアリティが出る。
生臭くなる寸前で、ほんの少しだけ理想化して描くのがポイント。浅田次郎はとにかくこの「ほんの少しだけ」の見極め方がマジパネェ。
ともすれば偽善的にしかならないほどのいい話でありながら、素直に泣かせる秘訣は、人の弱さずるさから逃げないことか。
誰にでもあるずるさと身勝手さを、しっかりと描写して、しかしそこに汚さを感じさせず生を感じさせる。
例えば上司の妻を寝取っておきながら、上司の死を心から悼むという支離滅裂だが理解できてしまう心理を、脇役にいたるまでものすごく自然に描いている。こういうずるさを嫌味も皮肉もなくさらっと流すように描けてしまうのが、浅田次郎の凄いところ。
ひとえに人間に対する愛ゆえのものだ。
すべての物語は、願いであるべきだ。
浅田次郎の小説を読んでいるとしみじみとそう思う。
彼が描いているものはどこまでいっても家族。血ではなく、絆。
そして、願っているのは正義。許しているのはずるさ。
こんなばかげたものを堂々と書ける図太さ分厚さ。
雰囲気文豪は伊達じゃない。
終盤、話をまとめるためか、ちょっと椿山親子がいい人すぎた気もするが、しかしここまでつきあってしまうと「ま、いいか」と思えてしまう。
おれみたいな性格の人間には一番苦手なタイプの話なのに、しっかりと読ませてしまう技量が憎すぎる。凡人たちの台詞に金言があふれすぎてんだよな。それでいて不自然じゃないんだ。実際に口に出せる台詞なんだよな。これはすごいことだよ。
これを読んでいい話だと思えなかったら、おまえの身体にはおっさん因子がない。そう云い切れるね。おっさん因子発見器として是非。
(09/2/21)
勝負の極意 うな
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勝負の極意 (幻冬舎アウトロー文庫)
浅田 次郎
幻冬舎
浅田次郎が作家になるまでの二十年間を語った講演会を書き起こした第一部。
以前、競馬本で書かれた独自の必勝法を語った第二部。
の、二部構成。
第一部は普通に感心してしまった。
二十年間、普通に会社経営しながら一日三時間は机に向かって小説を書くなり読むなりしていたという、その継続力に普通に恐れ入る。
理屈ではなくて、やると決めたら理由がなくてもやる、という意思の強さには恐れ入るしかない。
小説を書けないときは好きな本を写していた、というのもびっくりした。
あれを本当にやってる人いたんだw
いや、この本で浅田次郎も云ってるけど、書き写しは「効く」よ。
三十冊読むよりも一冊書き写した方が文章は確実にうまくなる。
ここだけの話だが、かれこれ8年位前、うなぎさんが真面目に小説を書いていた頃、栗本薫の『朝日のあたる家』一巻を書き写したこともあります。ほぼ丸一冊。
神林長平の短編も、二三書き写した。
読むだけじゃわからなかった作者の意図が、書き写すことによってけっこうわかってくるよ。うまい人は些細なところにどれだけ気を配って書いているかもわかる。
かなり有効なので作家志望者は是非やるとよいと思う。
が、アレ本当に疲れるんだよね。
写経ったらあんた、修行ですよ、修行。
おれはあっという間に飽きたね。
ムリだよ、あれは。
でも浅田次郎ずっとやっていたという。そりゃ大成もするわいな。そんな鋼鉄の意思をもって書き続けたんなら、成功しない方がおかしいわ。
でも、この人の書き方だとまともすぎて逆に全部うそ臭いんだよな……
第二部の競馬の必勝法は、これは真面目にためになってしまった。
今まで見た・聞いた話の中で、もっとも理論的、かつ心情的にも納得のいく話ばかり。
自分の得意分野を強引にでも定めて、そこでのみ勝負をする、という考え方は、これは競馬だけではなくすべての分野に通じている極意だと思う。
競馬に関する豆知識や思い出話もじつに実感のこもったものばかりで、競馬に興味のない自分でも感心しながら読んでしまった。
自分の知ってるHOW TO本の中でかなりトップクラスの実用書だと思った。
ところでこの本はいつも通りに古本で買ったのだが、ところどころで傍線引っ張って、まるでテスト勉強のように色々書き込みしているのが笑った。
特に受けたのが、騎手に関する珍エピソードの話。
「〜〜だというが、これは本当らしい」というところに傍線が引いてあって「本当です!」と書かれていた。誰に力説してんだ、誰にw
ともあれ、競馬の仕組みと歴史と必勝法がわかる、実にためになる本だと云える。
(09/3/5)
オー・マイ・ガアッ! うなぎ
オー・マイ・ガアッ! (集英社文庫)
浅田 次郎
集英社
ラスベガスを舞台にした娯楽小説。
バリ・ハイ・リゾートホテルのカジノにおいて、史上最大のジャック・ポット5400万ドルが出た。
しかしその配当者は、なんと三人の赤の他人。
一人目がキープした台で二人目が金を投入し三人目がレバーを入れた結果の大当たりは、三人の誰に権利があるとも云えない状況に。
しかしカジノ側としてはそんないいかげんな状況を公表しては、管理義務の不徹底として営業停止を申し渡されかねない。なんとか山分け以外の方法を考えろと三人に命じるが、トラブルはさらに続きがあった。
賞金を支払うべきマシンの管理会社は、会長の不正により全賞金を失っていたのだ。
一方トラブル続きのバリ・ハイホテルに、そんなことは露知らぬ、ホテルオーナーにして世界一の大富豪にしてアラブの摂政にして超ドケチの美形王子・フェラ三世がお忍びで向かっていた……
(/I)
ベガスのすべてがここに描かれている!
とすら勘違いしてしまうほど、実にベガスまみれの小説。
すべてのスケールが物理的にバカでかいベガス外観の描写からはじまり、そこに住まうデタラメな人々、他の街ではありえない人為的な成り立ちの歴史、衣食住にわたる激安にして世界最高のサービスの紹介、そしてもちろんギャンブルの魅力について、作者の感じたラスベガスのすべてが、まさしくすべてが凝縮されている。これを読んでベガスに行きたくならなければ嘘だ。
その魅力を語るためにアメリカの国民性やイタリアンの気性、二次大戦を境にした日本民族の変遷など、実に様々な事象に視野は広がり、そのすべてがベガスの存在とその必要性へとつながっていく。
その豪腕すぎる論理展開には「明らかに拡大解釈だよね」と思いつつも、あまりにも雄大なスケールで語ってくるのでむしろ惚れ惚れとしてしまう。金をドブに投げ捨てるという行為を、その非生産性からまったく目をそらさないままにここまで賛美しまくる人間が、ほかにどれだけいるだろうか。
完全無欠、と云ってもいい。完全無欠なまでの、ラスベガス宣伝小説だ。
物語自体も、もちろん面白い。
史上最大のジャックポットにまつわるトラブル、というだけで面白いが、また展開がコロコロと変わって飽きさせない。
ふらふらと生きてきた考えなしの中年の悲壮感のないどん詰まり方も、一流商社のOLが気まぐれでラスベガスに住み着いて娼婦に落ちぶれる様も、戦場では英雄だがそれ以外では無能者の元軍曹も、実にバカらしいが実にありそうな感じで、彼ら三人が出会う冒頭のチャプターだけでもめまぐるしいのに、話が佳境に進むにつれて、登場人物がどんどん増えてきて、それがまた一人一人がちゃんと面白おかしく人生しちゃってる。
イタリアンマフィアの元ドンで、思いつきで生きてる天才ドン・ビトー。
ビトーの懐刀で腕利きの殺し屋、でもいまは安全装置の外し方も忘れた老人ジョルジォ・パッシモ。
頭はいいが間の抜けた善良なるドン・ビトーの息子マイケル。
ジョルジォの娘婿にして異様に人のいい苦労人でカジノ支配人のモーリス。
世界一の金持ちで天才でキザで純情で美形で生真面目で完璧すぎてギャグになってるフェラ三世。
ベガスにずっと住みつづける謎の老婆セント・メアリー。
本当に人が良い神父ミスター・エスプタイン。
などなど、とにかく登場人物に一人たりとも、なんとなく出てきたものがなく、書割めいた感覚がない。ちゃんと生きてる。それでいて「思いつきで出しちゃっただけなんじゃないか?」と云いたくなるような勢いもある。勢いと着実さの両立はとても難しいものだ。
そして実在したベガスの立役者、バグジーことベンジャミン・シーゲルの生き様や死に方を、まるで自分の創作した人物であるかのように我が物顔で語り、ストーリーに思いっきり関わらせる作者の厚顔っぷりがすさまじい。
真面目に調べたら明らかに事実と食い違っていそうなバグジーの人生を、ここまで平然と語ってしまえる度胸は、なまなかの厚かましさでは出てこない。
思えば『壬生義士伝』などの時代物も、ありえねえ歴史の裏側をさも知ったような顔で書いているわけだが、こんなバカバカしい娯楽小説でこういうことをへらっとしてのけるのが怖い。
怖いといえば、この物語の冒頭からして作者が怖い。
自分のラスベガス帰りで出会った日本人が大前剛(おおまえごう)という名前で、それがベガスでは連呼される「オーマイゴッド」と同じ発音で面白く、きっとかれはこの後、ベガスでこういうドタバタ劇をひきおこしたんだろう、と妄想して書いた。
イントロでこういうことをへらっと書いてしまっている。
物語ってのは、基本的に「嘘だけど本当だよ」ということを神聖なる前提としている。
「創作だから嘘だけど、楽しんでいる間は水をさすようなことしないから、本物だと思って楽しんでね」というスタンスだ。
つまり「これは嘘ですよー」などと最初から明言するバカは普通いない。
しかもこうやって作者が登場するのは最初だけではない。
物語のところどころで、話をぶった切るように登場しては、作者本人の視点で物語を分析し、ついさっきまで同情するように描いていたキャラクターを「要するにアホである」などとバッサリと斬り捨て、なにごともなかったかのようにベガスの紹介を開始し、ある程度語ったらまた何事もなかったかのように物語の続きをはじめる。
この、物語の中を平気な顔して出たり引っ込んだりする大胆不敵な態度は、小説のいろはも知らぬド素人か、知り尽くした達人でなければできないことだ。
私小説のように作者を前面に出すのではなく。
普通の小説のように作者の存在を消滅させるのでもなく。
作者が物語の中を平然と練り歩いている。
作者の住む現実世界のラスベガスと、物語の中のラスベガスが完全な地続きであるかのように。
それでいて「小説は便利だ。現実では書き始めてから一年が経過したが、ラスベガスではまだ三日と経っていない」などとのうのうと書いてしまう。
自分の書く文章世界というものを信じきっているものだけが出来る図太さだ。
ここまで悠然たる横綱相撲、現役作家では筒井康隆くらいしか他に見たことないわ。
が、作品としては少々疑問が。
浅田次郎の文章は、うさんくさいくせに妙に説得力があり、ドタバタしながらも展開の大筋は「美しい」とすら云いたくなるほど王道なため、うっかりすると納得して流されてしまいそうになるが、冷静になるとぜんっぜん納得できないことが多い。
特に今作ではラストにおける主要人物の心の変遷が、展開としては美しいのだが、やっぱりどう考えても釈然としない。具体的に云うと「なんで大前とリサがふつうに相思相愛になってんだよw」ということだ。「なんで唐突に金よりも大事なものに目覚めてんだよw」ということだ。
これは他の作品、特に『椿山課長の七日間』でも感じたことだが、浅田次郎の思想の根幹には「家族の絆は素晴らしい」というのがある。
それはあまりにも全世界共通で普遍的たる美しい思想なため、異を唱えることも馬鹿馬鹿しく、そこに結論をもっていかれるとうっかり納得してしまいそうになるが、だからと云って説明もなく「素晴らしいものは素晴らしいし、みんなもそう思うから説明いらないだろ?」と云わんばかりに豪快にそこへ持っていかれても困る。
そもそも浅田次郎の云う家族とは血のつながりも育ちも生まれも恋も関係なく、ただ「絆があり愛があるものが家族」となっている。
「家族ってなんなの?」と聞けば「心の絆でつながっている人だ」と浅田次郎は云うだろうし「心の絆ってなんなの?」と聞けば「家族とつながっているものだ」と答えるだろう。
つまり、堂々巡りで答えになっていない。
たとえ説明できるとしても、絶対に合理的な説明なんてしないだろう。
浅田次郎にとって「家族」とはそういう説明しない、してはいけないものなのだろう。
でも、なんぼなんでも今作のは豪快すぎるし強引過ぎるだろ。おかしいだろ、やっぱw
しかしまあ。
浅田次郎は作家とは思えぬほどに肉体感覚に満ちて物語を描いている。
男の魂でも、身体が女になれば男に欲情を抱く。
赤の他人でも、一緒に住めば家族となる。
いたって単純明快。まず肉体ありき。
魂が肉体を動かしているのではなく、肉体の動きに魂がついていっている。
そして肉体感覚ゆえに、最終的に描くものはいつだって「愛」
身体が求めているのはいつだって「愛」
いやいや、ちがうな。
「愛」なんて堅苦しく重苦しいものは、直江兼継のように、勘違いした生真面目イケメンが背負えばいい。
浅田次郎のごときハゲデブメガネの中年親父が背負うものは、もっと華やかに軽やかにおおらかにそして胡散くさく
「LOVE」
そう呼んであげなくちゃいけない。
ハゲデブメガネの中年親父がうさん臭さ全開で語るラスベガスへの「LOVE」
味わっておいて損はないだろう。
……にしても、この著者近影、額からしたの美丈夫っぷりと、額からうえのみすぼらしさのギャップは狙ってやっているとしか思えんな。
(09/3/16)