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柏枝真郷

タイトル評価一言メモ
雨かもしれない 〜厄介な連中1〜うな普通のBLだった。





  かもしれない 〜厄介な連中1〜  うな

雨かもしれない (角川ルビー文庫―厄介な連中)
柏枝 真郷
角川書店





ホモホモホモホモ。やおいミステリーシリーズ。
そういや最近JUNEもの読んでねえなあ、と思って読んでみた。
この作者の『デスペラード』シリーズは、なかなかによかったんだが、だんだん物語の行き先がないというか、もうあのシリーズで云うべきことが無くなってしまった、作者があの世界を切実には必要としなくなった、という感があって、シリーズ自体が行き詰まっている気がしないでもないまま、止まっているにゃあ。
その後どうなっているんだろ?

話しはずれるが、そもそも作家(小説家でも漫画家でも、創作活動をする職業ならなんでもいいが)というのは、少なくともおれの好きになる作家というのは、自分が社会、世界に対してうまくいかない、まわりの考え方、行動、生き方に同調できない、という人種で、さらにそのことに対する憤り、情けなさ、許せなさ、切なさ、なんだっていい、要するに、自分が世界と折り合いがつかないことに対する感情を吐き出して作品をつくっているようなところがある。
それが書き続けるうちに自己に対しても他者に対しても許せるようになっていき、また社会的に作品が認められていくうちに、精神が安定していき、最終的に作品を作ることに対する内的必然が失われていって、無駄にテクニックだけの作品がゴロゴロゴロゴロとうわあもうやめよう栗本へんへはそっしてやってくれ。
(追記・つうか栗本先生はテクニックもなくなってるし精神も安定してないけどな、昔の俺よ)

で、特にこの人は中島梓の小説道場門弟の中でも、そういう傾向の強い人で、実にだんだんと人格が丸くなっていき無駄にギスギスしていた文章が穏やかになり、そして内的必然を失って……失ってとか云うな!
思いつきと勢いで駄文を書くのはやめて、作品の感想に移る。

なんか、ちょっと笑ってしまった。
いや、笑う作品ではないんだが……設定がわりと懐かしい感じにベタなJUNEものだからさ。
人付き合いがうまくいかず、親兄弟にも疎まれ、自殺未遂常習者のイラストレーターと、あまりに猟奇的過ぎて理解者のいない真性サドで人間嫌いの貧乏作家。
他人に心を開かない二人は、お互いにだけは……という例の奴で、このコンビが事件に巻き込まれて解決していくっていう、なんていうかもうキャラもスタイルもわかりやすすぎるからたまらない。

でもまあ、完成度は悪くない。
生活感だな。
女性作家は全般的に生活感を出すのがうまいが、これもまた然り。
特に貴族のような容貌で、なにごとにつけうるさそうな遠野が、貧乏ゆえに雨漏りの家に住みに三級品のリーバイスを穿き生協COOPで買い物をしている、という細かいところがきちんとしている。

かつてだれかSF作家が(小松左京だっけか?)松本零士の漫画の解説で「SF作家は四畳半の天井に宇宙を見る」みたいなことを書いていて(松本零士は体現しすぎだと思うが)、最近ふとそれが心に落ちてきた。
そう、SFってのは、ヒキコモリの物語だよな。
貧乏暮らしをして、彼女もなく、仕事もなく、友達も少なく、せんべい布団に横たわり、視線をしみが浮かんだ天井に向けながら、その思いは遥か億万光年銀河の彼方へ向けられている、とそういう情景が、一番SFに似合う。
根暗なんだな、SFは。でもだからこそ浪漫なんだ

『星界の紋章』という作品では、アーヴ語と云う架空の言語がそこかしこに使われているが、この作者、作品を書き出す前からこの言語を考え続けていて、言語学に基づいて考え尽くされたこの言語体系と云うものは、実に大学ノート数冊分に及ぶそうだ。
デビューしてないのに、だれにも見せるあてのない架空の言語を何年もノートに書き溜める作者の姿というものはうわあ気持ち悪い、オタクそのものであって、この話を聞いたときに「ああ、この人は本物のSFものなんだな」と感じた。
つまり、SFってのはそういうものなんだな。

吾妻ひでおの漫画で、よくSF者が迫害されているギャグがあって「いやそれはないだろう」とか思ったが、いま思うとなんか納得するものがあって、やっぱSFするやつなんてのは気持ち悪いから迫害されがちだし、なによりそういう奴は被害者意識が強いからああいう風に「おおおれは迫害されたおれは迫害された」と思っても仕方がないんじゃないでしょうかどうでしょうか?

で、話がやっと本筋に入ると、SF者が「四畳半の天井に宇宙を見る」のなら(星を見る人みたいやね)JUNE者は「スーパーのチラシにボードレールの詩を見る」とでも云おうか(すまん、おれよくボードレールのことわかってない)
全体、男よりも女の方がやはり生活はしっかりしている。あくまで一般的にであって「片付けられない女」とかの例外は除く。

例えば、男の一人暮らしとかの食の一般イメージはカップラーメンとかコンビニ弁当だと思う。
男は手間を惜しみそれで済ますが、これはあまりコストパフォーマンス的にも栄養学的にも良くない。自活した方が安くうまく栄養もあるものがつくれる。
そしてより安くを求めれば自然にスーパーのチラシへと行く。「ああ、こっちのスーパーの方が卵が10円安いわ」とか「明日はトイレットペーパーが安売りだから買いだめしなきゃ」とか、考える。
考えながら、ふと心が空想の世界に飛ぶ。
スーパーの行き帰りにある並木道にヨーロッパの街並みに見、ビスケットの缶に「ビスキュイを頂戴」とつまむ美少年の指を見、枯れて舞う木の葉の向こうに退廃貴族の屋敷が見える(ところで、いま、自分のイメージの貧困さにとても驚いています)
そして買い物を無事におえた彼女は冷蔵庫に戦利品を詰め込みながら、今夜の晩御飯はどうしようと思い、ふとさきほど垣間見た幻を思い出してめくったチラシの余白にさらさらと散文的な文章を書く。
おそろしくわかりにくくて自分でもビックリだが、そういうことなのだ(どういうことだ)

JUNEとは、基本的に主婦の物語だ。
少なくとも、主婦的な感性を持った人間の物語だ。
あ、いや、待てよ。主婦的な感性を持ちながら主婦ではないもの、の物語なのか?そうなのか? そういうことにしとこう。思いつきで。

だから。
すぐれたJUNE作品というのは、まあわりと耽美系に限定して考えているが、基本はうわっついた世界のわりに、なぜか根底の生活感、なにを食ってなにを着てというのが非常に明確にイメージできる。

中途半端なところだが、とてもだるくなったし感想文を大きく逸脱してきたし、テンションがとても下がったのでここで止めます。
この作品自体は、まあまあでした。普通。









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