タイトル | 評価 | 一言メモ |
蝶とヒットラー | うな | 徘徊老人エッセイ |
謎の母 | うな | 太宰ちゃんに母性をくすぐられる久世ちゃん |
桃 | うなぎ | 今際を書きつづけた作家・久世光彦 |
前に読んだような読んでないような……久世ちゃんのエッセイは適当に開いたページを拾い読みするからね。 なにを読んでなにを読んでないのか、すぐわからなくなる。内容もいつも似たようなもんだし。 しかし、久々に久世ちゃん読んだが、いいなあ、この徘徊具合。 暇をもてあました枯れきったおじいちゃんが、戦中、戦後あたりを思い出しながら街のあちらこちらをふらふらと徘徊しているちょっと不審なサマがよく出ている。 まあ、実際の久世ちゃんは年に二冊ぐらい本出すわテレビ製作会社の社長だわたまにドラマの演出するわ舞台の演出するわで非常にご多忙な人なんだが。 個人的に、老人小説の第一人者として推したい。『聖なる春』と『乱歩』はヒキコモリ老人小説として超・傑作。 しかし、久世ちゃんはナチが大好きだなあ。いつだってナチと天皇ラブだものな。そのくせ文章が枯れてるから危険な匂いがしないし。 なんか、義眼の話にちょっとグッときた。義眼、いいかもしれない。
長編ほにゃらら小説。 ごめな、ジャンルがよくわからないからほにゃららで誤魔化した。 文学というほどのもんでもないしな。 あらすじ。 太宰先生と仲良くなった女学生が、だらしのない太宰先生に母性本能をきゅんきゅんされながら、情けなく死ぬまでを見届ける話。 わかったこととしては、そうか、太宰先生には母性本能で接すればいいんだな、ということ。 だらしがなくて汚くて嘘つきで女ったらしで繊細で、そんな太宰先生が女学生の視線から見ることによって萌えです。萌え萌えです。 それにしても、久世光彦の戦後あたりの空気を生み出す能力は凄い。 その時代を生きたから、といえばそれまでなのだが、たしかに貧乏で、汚くて、下品で、なのに、妙に綺麗で、透きとおっていて、ひどく静かな文章を書く人だ。それでいて、読みやすい。 ストーリー云々ではなく、この一点だけをもって、評価したい。 やはり惜しい人を亡くしたものだ。 すごいな、と思ったのは、主人公の少女が、ちっとも美少女に見えないことだ。 普通、これだけかしこまった乙女一人称だったら、可憐な少女がイメージされそうなものを、文中に表現されている以上のイメージでもって、それなりに可愛いが美人ではない、本当にどこにでもいる少女が想起される。 まあ、時々、黒柳徹子が連想されるのはおいとくとして。 あーんー、とッ散らかった文章しかかけない状態なので、この雰囲気が楽しめるか楽しめないか、それだけの作品ですよ、と投げやりに感想を終える。 (06/5/7)
愛人の家で死んだ父の葬式とその愛人を描く ★『桃色』 テロリストに殺された祖父ののこした短歌の上の句 ★『むらさきの』 初老の男性と三匹の猫の暮らしを描いた ★『囁きの猫』 半世紀前に死んだ父のトランクが届いた ★『尼港の桃』 震災のどさくさにまぎれ郷里の伊予へと逃避行する二人の遊女 ★『同行二人』 テロリズムに身を投じた兄と夢見がちな妹を描く ★『いけない指』 みだらな紺屋の母と三人の娘を描いた ★『響きあう子ら』 死に瀕した女衒が妻を見失い、発見したのは桃の中だった ★『桃-お葉の匂い』 以上八篇収録。 いずれも昭和初期から終戦直後あたりまでを描いた作品。 桃という果実をモチーフに、その濃密な甘さと官能を絡み合わせて描かれた作品。 いずれも秀作だが『囁きの猫』と『桃-お葉の匂い』の出来が特に素晴らしかった。 久世光彦という人は稀有な人だ。人だった。 無論、文章が上手い、という点においてのみでも評価されるべき人間であるが、彼の小説世界は、いつだって生と死の狭間を、その瞬間を、いまわの際を描いている。その点をもって彼を稀有な作家だと、私は思う。 ストーリーだけを追っていけば、ここに描かれているのは、実はあまり綺麗な話ではない。 女は輪姦されるし、桃は腐るし、ウンコは食べるし、梅毒になるし、生首が並べられるし、テロは決行される。 にもかかわらず、ここに描かれる情景がどれも美しいのは、それが静謐に満たされているからだ。そして、その静謐は、いまわの際だけが持つ、いまわの際にはだれにでもおとずれる神聖不可侵な瞬間のものだからだ。 例えば『囁きの猫』のラストシーン 私はようやく、死ぬということは、豆本の中に入っていくことなのだと気がついた。なんだ、それだけのことなんだと頷きながら、私は紅色の漆の筐の中へ落ちていった。 かくのごとく静謐な死を描ける人間を、久世光彦のほかに私は知らない。 それは呆気ないのでも薄っぺらいのでもなく、ただ静謐に満たされているのだ。 その、静謐が生の狂態もあがきもなにもかもを塗りつぶし、綺麗なものへと変えていく。 砂漠に倒れた生き物の死骸や糞尿が、やがて風に流れていくように、さらさらと命が零れ落ちていく瞬間を、久世光彦は描く。 例えば、嵐を受けた柔布が、風に舞い、泥にまみれ、無惨に破れ、やがて日を浴びて、乾いていく。その過程の最後の一刹那。変わり果てた柔布から滴り落ちる、最後のひとしずく。 たとえどのような汚泥にまみれたのちであろうとも、その最後のひとしずくは清濁を越え、美しく映るにちがいあるまい。 人生の汚泥にまみれた魂が、肉体をぬけでる瞬間の美しさは、そういった類のものだ。 本来ならば、人生で一度しか味わい得ないはずのその瞬間を、久世光彦は何度でも味わわせてくれる。 一方でテレビマンとして精力的に働き、無数のドラマを撮りつづけながら、他方ではいまわの際を小説にし続ける久世光彦という人間は、まったくもってよくわからない人だ。 しかも、かれの手がけたドラマのほとんどは、小説とはまるで逆の「どのようなことがあっても人は生きていく」とでも言いたくなるような生の魅力に満ちたものばかりだ。 辛いことも嫌なことも苦しいこともあるし、それが解消されるとは限らないが、それでもただ、久世ドラマの人間は生きていく。 そのスタンスのちがいが、なかなか理解できなかった。 が、あるいは、だからこそ久世光彦はいまわを書きつづけられたのかもしれない。どれだけ希求しようとも、自分がなかなか死なない人間であることを自覚しているからこそ、いまわを強く想い、描きつづけたのかもしれない。 太宰治へのこだわりもまた、まるで水が流れるようにすみやかに自死を遂げた太宰に対する、憧憬であり愛着であり嫉妬であり、そして揶揄なのではないだろうか? 「ホントに死ぬなんて凄いな」という気持ちと「ホントに死ぬなんて馬鹿だな」という気持ちの、両方があったからこそのこだわりだったのではないだろうか? いずれにせよ、描き終わった次の日に死んだと聞いても驚かないような作品を二十余年も書きつづけた久世光彦が、本当に死んでしまってから二年余りがたった。 のこされた二十余冊の著作を大事に読んでいきたいものだ。 いまさらだが、あらためてご冥福をお祈りする。 読み終わったあとに、素直にそう思える作品を世に残すことが、作家として真に誇るべきことだと思う。 (08/6/28) |